





島巡り
■浜辺での楽しみ
3月下旬から5月上旬にかけて40日余、マレーのコタキナバル、ブルネイ、タイ南部のアンダマン海に浮かぶ島を巡る旅をした。コタキナバル、ブルネイが存在するボルネオ島、最終地となったタイのプーケット島を入れると宿泊した島は全部で11島となる。
このほかに宿泊はしなかったが島巡りツアーで取りあえず上陸し、曲がりなりにも海水浴を楽しんだり、浜辺の写真を撮ったりした島が南シナ海で2つ、アンダマン海で4つある。
どの島も海水はプールの水より澄んでいて、南国であるから海水温は30度ほどあってぬるめの風呂に入っているような感じだった。浜によって違うが小魚が水中眼鏡越しに何匹も確認できる。パンを小出しに擂り潰していると、あれよ、あれよという間に小魚が自分の周りを遊弋し始める。中には焼き魚、刺身でもいけるのではないかと思うくらいの大きさの魚も寄ってくる。朝食付きのホテルに泊まった時は食パンを1,2枚バッグに滑り込ませ、これを海に持参してコマセとして撒いて魚と仲良くなる、を繰り返した。
実を言うと海の魚に餌をやることは全裸で泳いだり、サンゴ礁を踏みつけることと並んで島の禁止事項になっている。何故かというと、魚が人のやる餌でお腹が一杯になるので、藻とかオニヒトデの卵などを食べなくなる。藻やオニヒトデが繁殖するとサンゴの育ちが悪くなり、サンゴの生態系が壊れるからという。自然はギリギリのバランスの上に成り立っているので、ちょっとのことで崩壊につながるということだろう。
■沈黙の世界
その昔、プーケットでスキューバダイビングのライセンスを取った。航空運賃を考えてもプーケットでのライセンス取得が一番安かった。ナイトダイブなども経験して一応,「アドバンスド オープン ウォーター ダイバー」の資格がある。当時は1,2年に1回はプーケットに潜りに行っていた。
でも2004年にスマトラ沖大地震が発生した。この地震により発生した大津波は最大で高さ34mにもなり、インドネシアだけでなく、タイ、マレーシア、インド、スリランカ、モルディブ、さらには遠くアフリカ大陸まで到達した。被災者は約206万人、死者・行方不明者数は約23万人、被害総額は68億ドルを超えるなど、未曾有の被害をもたらした。プーケットを襲った津波は死者、行方不明者合わせて1万人以上という被害をもたらした。当時、被害状況をネットで見たが、パンパンに膨れた多数の水死者の画像などが出てきた。それを見て以来、プーケットに行かなくなったしダイビングもしていない。
ライセンスカードを改めて眺めてみるとダイビングのライセンスを取った日付は1996年6月となっている。ほぼ30年前だ。小学生の頃、「沈黙の世界」という映画を観た。ネットで確認すると1956年仏伊合作の海洋記録映画、アカデミー賞やカンヌ国際映画祭のパルムドール賞などを受賞している。
この映画でアクアラングという道具があることや海の中がいかに美しいかを知った。スキューバダイビングで海へ潜る、心の奥に沈黙の世界への憧れがその時に芽生えていたのだろう。すっかり忘れていたが、小学生の夢を50近くになって果たしたという気はある。
■体力を考える
ダイビングのライセンスは更新手続きも再講習も必要ない。取ったライセンスは終生有効だ。ライセンスというが本当は認定証(Certification Card)だ。
離島を巡る旅であるからどこかでダイビングができるかもしれない。そう思って長年大切に保存してきたCカードを財布にしまって旅に出た。多くの島にはダイビングショップがあったけれども、結局ダイビングはしなかった。
無重力を体感するには宇宙に出る、或いはスキューバダイビングをする、の2つしかない。ソニーの盛田昭夫会長はそう言って67歳からダイビングを始めた。すごいエネルギーである。でも73歳の時にテニスのプレー中に脳溢血で倒れているから自分の年ではダイビングはしていないだろう。
水中で無重力といっても足ヒレを動かさないことには前に進まない。船上ではボンベや腰に巻いた重りで動きが取れない。ダイビングを終えた後の疲労を思い出し、あれから30年、もう年だ、ムリはしないと決めた。舟から舟への飛び移りも義経のようにはいかず、現地若者の手助けが必要だった。
海浜ではせいぜい腰くらいの深さでパンの小片で魚を寄せる。ファランの子供に残りのパンをプレゼントして両親にすごく感謝された。シュノーケルで小魚に取り囲まれた子供を見る。
体力的にはこれくらいが今の自分に相応しい海の楽しみ方なのだろう。