







コタキナバルでのバスツアー(2)
■東南アジア最高峰
コタキナバルのコタはマレー語で都市の意味。キナバルは東南アジア最高峰のキナバル山を意味する。キナバル山は標高4095M、世界遺産にもなっていて、登山が趣味という人の間ではよく知られている山である。日本の山々を踏破しているうちに「海外遠征」への望みが湧いてくる。初級、中級の登山愛好家がまず海外遠征する山がコタキナバル山と言われる。年間を通して雪が降らないし、登山に当たって特別の装備はいらない。キナバル山の登山はマレーシア政府によって厳重に管理されているため、ガイド付きの登山ツアー申込から始まっていくつかの手続きがいる。そのお陰で登山者の数が絞られ、山の景観が守られているという側面はある。
日本からコタへの直行便があるので最短3泊4日でキナバル山に登ることができる。3泊4日のツアー料金は羽田往復で35万円前後である。海外遠征登山としてはそれほど高くないのかもしれない。日本の旅行代理店が募集するキナバル登山ツアーは人気があって、かなり前に申し込まないと参加できないそうだ。
日本はもとより世界からやってくる登山ツアー客で3ヵ月前から登山許可人数は埋まっている。富士山のように5合目まで行けば誰でも登れるという山ではない。自分が参加したツアーは「キナバル自然公園・ポーリン温泉 日帰りツアー」だった。世界遺産キナバル自然公園を回りながらキナバル山を見物できる、富士山を眺める箱根温泉巡りのようなものか。
■キナバル山は雲の中
前日は「ジャングルリバークルーズ」に出かけてホテルに戻った時間は22時を過ぎていた。キナバル公園ツアーは朝8時の出迎え、ミニバスの同乗者は中国人ばかり、ガイドのお兄ちゃんは中国語専門らしく、長々と中国語で案内を始める。英語での案内は非常に短い。どこへ行くのかよくわからない。1日の走行距離は300キロとか言っていた。帰りは夕方になるのか。
始めに車は食堂に停まった。トイレ休憩かなと思っていたらテーブル席に案内され、焼き豚が出てきた。爪楊枝に刺して口に運ぶ。マレーシアはイスラム教だから豚肉は食べないのかと思ったがそうでもないようだ。我がツアー客は中国人主体であるから焼き豚付き休憩を喜んでいた。
バスは次第に山を登り始める。天気はパッとせず、時折雨粒が落ちる。バスはデサデイリー牧場に着いた。ここは敷地が広く、キナバル公園行バスの集結地らしく多数のバス、車が駐車場に並ぶ。乳牛やヤギがいて観光客が草やミルクをやっている。コタキナバルのマザー牧場といった趣だ。牧場の売店で自家製アイスクリームを買った。このアイスは絶品、いい値段だったが量が多い。日頃、甘いものを口にしないが全部を平らげた。
高原にある牧場から雄大なキナバル山を望むことができる、はずであったがこの日、キナバル山は雲に隠れて見えなかった。箱根から富士山が必ず見えるとは限らないと同じだ。
牧場のあとは山あいの清流に停まった。川辺には家族連れが一杯、よく見ると大小無数の鯉が川岸に乗り上げて観光客の撒く餌に飛びついている。鯉への餌やりが観光化しているようだ。こんなのチェンライにもあるよー、という感じ。
■車内で長時間のツアー
鯉への餌やりが終わると再びバスは走り出し、道路わきの未舗装道路に入って小さな小屋の前で停まった。中国人観光客が入場料を払い、それとは別に10リンギット札を出している。中国人には詳しい説明があったが英語では「花がある」程度の説明だったから、要領を得ない。人について行ってみてわかった。世界最大の花、直径90センチにもなるラフレシアがあった。この花が咲くのは年に数日とのことで、あったのは正確いえばラフレシアの残骸もどきであったが、中国人客は10リンギット札に印刷されたラフレシアの花と現物の二つをカメラに収めていた。英語のガイド説明では聞かなかったぞ。
4ヵ所回ってやっと昼食、食事は前日のツアーと同じく美味しく、量も充分だった。
昼食の後、行きたい人がいればポーリン温泉に案内するという。
ポーリン温泉はボルネオ島を占領した日本軍が開発した温泉だ。戦後、打ち捨てられていたが1970年以降に整備されて観光客が行くようになった。でもこの時は水着で入る温泉は閉鎖中で「足湯」しかなく、ツアー料金とは別に1500円支払う必要があるとのこと。チェンライなら足湯は無料、個室風呂でも200円だ。足湯に行きたいという中国人もいなかったので、この日のツアーはお昼で終了、ただ帰りは事故で渋滞しており、ホテルに戻ったのはやはり夕方になってしまった。