

これが実際の船

バクテー、ネットから借用

ラブアン島の市場から

同上、市場の裏は港で魚は新鮮

ラブアン島で
■ラブアン島は免税特区
ラブアン島は面積、約90平方キロの小さな島である。品川区と大田区を合わせた面積、あるいは小豆島の3分の2弱の面積と言えば感覚がつかめるだろうか。この島にはクアラルンプールやコタキナバルからのフライトがある。小島ではあるが3世紀にわたってボルネオとの交易の重要港として栄え、南シナ海の真珠と呼ばれていた。マレーシアのボルネオ北西部からわずか6マイル離れた唯一のハリケーンフリーの深海錨地であったため旧日本海軍の戦略的要衝となっていた。
ラブアン島にはブルネイから高速船に乗って1時間ほどで到着したが、港には多くの貨物船、コンテナ船、タンカーなどが停泊していた。免税特区の恩恵があるからだろう。
免税だから酒が安い。この島が多くの人で賑わう理由は、酒の高いマレーシアや酒も煙草も買えないブルネイからの人々がやってくるからと言われる。紅灯緑酒の巷という言葉があるがラブアン島には派手な電飾、その店の前に立つミニスカートの女性がいた。ブルネイでは決して見ることのできない光景だ。イスラム教徒でも女性を侍らせて飲みたいことはあるのだろう。
■マレーシアのソウルフード
夕食にマレー名物バクテーを食べた。バクテーとは漢方の材料をたくさん使って煮込む豚肉スープ。マレーシア人が大好きなローカル料理だ。沖縄のラフテーと同系の料理と思ったがラフテーは豚肉の角煮だからバクテーとは違うようだ。真っ黒なスープの中に柔らかく煮た骨付き豚肉にキノコ、揚げ豆腐、ニンニク等が入っている。メニューには「肉骨茶」と書いてある。中国由来の料理か。チェンライでは見たことがない。滋養強壮に効果というから自分のような老人にはうってつけ。
隣を見ると若い男が二人、ギネスの大壜を数本並べて飲んでいる。ギネスビールと言えばアイルランド発祥の黒ビール、高級ビールというイメージが強い。日本で買うと330ml缶が一つ400円以上する。マレーシアは英国の植民地だったからギネスが普及したのだろうか。それにしてもそのギネスの大壜を若者が…。20年早いよ、と思ったが、待てよ、この島は免税特区だったことを思い出した。
メニューを見た。安い。おばさん、ギネス1本!ここで吞まずしてどこで吞む。でも若い時のように何本も飲めるものではない。2本目に入るともうたくさん、という気になった。ビール飲む前にバクテーを食べちゃったしなあ。それにしてもビヤホールで1リットル入りジョッキを3つ空けていた頃が懐かしい。隣のテーブルを見て、若者よ、飲める時に飲んでおきなさいと心の中でつぶやいた。
・アピ事件など
ラブアン島、ボルネオ島は戦地となったことは書いた。この地を含め、マレーシア人の中には今でも反日的感情を持っている人が少なくないという。大東亜戦争末期になるとシーレーンが遮断されたためボルネオの日本軍は物資、食料の不足に悩む。現地人からの徴発も厳しく日本軍に対するゲリラ活動も活発になってきた。その一つにアピ事件があった。
1943年10月にアピ(現在のコタキナバル)で華僑を中心とする現地住民が警察を襲って銃を奪い武装蜂起した。この蜂起によって、女性・子供を含む日本人や台湾人約50人と、日本軍に協力していた巡回警察官、現地住民など約10人が殺害され、アピ一帯はゲリラ軍によって制圧された。婦女子を無残に殺された日本軍は討伐隊を派遣し、戦闘の末ゲリラを壊滅させた。戦後、日本の法務省がまとめた資料では、討伐隊は暴徒約420名を逮捕し、取調べの結果320名を軍律会議に送り、軍律会議で220名が死刑、残る100名が懲役刑となったとされた。
今でもマレーシアではアピ事件の追悼式が行われている。ゲリラは正規軍ではなく、国際戦時法の適用を受けない。日本の女子供を狙っての蜂起であるし、討伐にあたった日本軍にも何十人もの戦死者が出ている。当時の日本軍の対応が間違っているとは思えないが、戦後、この件に関連して複数の軍人が戦犯として処刑されている。
また、サンダカン死の行進も忘れてはならない。サンダカンの捕虜収容所からコタキナバルへの移動の際、英豪の捕虜約2千人ほぼ全員がジャングルの中で死亡した事件である。日本軍司令部のサンダカンからコタへの日本軍転進命令に基づくものであったが、日本将兵2万のうち半数がこの移動の際に戦病死している。捕虜移送にあたった日本将兵500名もこの数に含まれる。無謀な作戦命令であった、とあとだから言えるが、戦争とはこういうものかもしれない。