





記録的長期旅行
3月25日にチェンライを発って5月の連休明けに我が家に戻った。40余日、長い旅だったけれども終わってみれば一瞬のうちという気もする。長旅の疲れはあるが、テニスにも復帰してまた元の生活に戻りつつある。旅のお陰で精神的にもリフレッシュというところか。
バンコク、コタキナバルの低価格チケットに触発されてマレーシア旅行を思い立った。本来であれば数日をマレーで過ごして戻る予定だった。それが40日を越える長期旅行になるとは。
簡単に旅程を振り返ると、チェンライ-バンコク、マレーシア領のコタキナバル、それから隣国のブルネイ、海路でマレー領のラブアン島、再びコタキナバルへ戻り、マレー半島を横切ってアンダマン海のランカウイ島へ、アンダマン海を海路北上してタイ領のリぺ島へ、以後、アンダマン海に点在するブロン島―ムック島ーリボン島-ンガイ島―クラダン島を経てランタ島へ到着、此処で数日を過ごしてプーケットで一泊、早朝便でチェンマイへ、そしてチェンライという流れ。ムック、リボン、ンガイ、クラダン、ランタの島々はほぼひと塊となっている。
40余日を南シナ海とアンダマン海の旅と区分けをしたが、マレーシア、ブルネイ、タイを訪ねる、という分け方もできる。また、コタキナバルはほとんどが中国人観光客で占められていたのに対し、タイの島々では中国人は見なかった半面、ファランのカップル、家族連れを多く見た。中国人とファランを見た旅という分け方も可能だ。コタキナバル、ブルネイはボルネオ島にあるから南方島巡りという括り方もできる。
また、マレーシア、ブルネイはイスラム教国であるが、アンダマン海に浮かぶタイの島々の住民はイスラム教徒が多い。タイの人口の5%がモスレムと言われているが、大半のタイモスレムはタイ南部並びにアンダマン海の島々に住んでいる。ブルネイでは酒も煙草も禁止でかなりイスラム色が強い。タイの島々では基本的に飲酒、喫煙はできる。例外はリボン島でこの島ではブルネイと同じく飲酒、喫煙は禁止、もちろん島内の店にはアルコール類は売っていなかったし、レストランではビールも置いていなかった。
イスラム文化の濃淡を基準にタイのモスレムに焦点を合わせた旅日記も書けるかもしれない。
旅日記
通常、旅行中はブログ原稿を書かない。というより書けない。ゆっくりと落ち着いて原稿を書く時間がないからだ。「人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず」ではないが、旅をしていると、美しい光景や日頃接しない習慣、文化、珍しい食べ物に心奪われる。アー、きれいだ、アー、吃驚した、アー、美味しかった、と感動することはあるが、自分の場合、そういった感動をそのまま文章にするだけの言語抽象能力がない。それで、腰を落ち着けて、PCを開いて観光案内であるとか、食べ物ネットとかを参照、引用(有り体に言えば盗用か)して1800字余りの字数を揃える。ネットサーフィンをするうちに次から次に疑問が湧いてきて原稿そっちのけでPC画面に見入っていることもある。つまり、原稿を書き上げる過程でいろいろな知見が得られる、こっちの方が面白くて時間がかかっているということかもしれない。
■旅先でも原稿が書けた
数年前、スリランカ8日の旅に出たが、この時の旅日記はブログにして20本以上になった。今回の島旅行はスリランカの5倍を越える長期、旅程に従って島毎にコツコツと書き始めたら今年のブログはすべて旅日記で終わりになってしまう。
通常、旅に出るときは旅行期間中に原稿を書かないで済むよう、原稿を書き溜めたり、再録原稿を用意したものだ。でも今回の旅行では体力を考えて休養日を何日か設けた。透明な海水、白砂の浜が目の前にあっても冷房もないような浜辺の小屋に籠ってPCに向かっている日もあった。始めは折角、こんな素晴らしい景観の島に来ているのに、とPCに向かうのにかなりの努力を要したが、そのうち、今日は休みと決めてベッドとPCとの往復だけの日もあった。考えてみるとこんなにのんびりとした旅は初めてかもしれない。
コタキナバルにいた時にミャンマーでの大地震が起こり、バンコクのビルが倒壊、友人からのお見舞いメールに応える形でブログをアップ、それ以来、旅の空き時間、休養日に原稿を書いた。もし、自分が若くてウェブデザイナー、翻訳家、プログラマー等のノマドワーカーだったら、南の島を渡り歩きながら暮らしていけたのかも。もはや果たせるはずもない夢に耽るのも南国の島でリラックスできたお陰かもしれない。