





職人魂は日本の文化
■到来モノ
昨秋から今年にかけて日本からの訪問者が多かった。たまさかに会う人にはお土産を持参する、は日本古来からの美風である。北タイの陋屋に蟄居する独居老人としては、好意あふれる到来モノを押し頂くときは涙が出るほど嬉しい。年を取って涙もろくなったのではないかと思うくらいだ。カレーのルーの在庫は数箱ある。カレー好きの坊さんが何度来ても失望させることはない。
最近、友人から水牛カレーを貰った。脂身のない水牛肉はさっぱりしていて噛み応えがある。日本ではなかなか食べられない。尚、お坊さんに差し上げる食事に生臭モノは如何なものか、という向きもあろうかと思うが、タイのお坊さんは供されたものはどんなものでも有難く頂く、がルールとのこと。豚肉でも魚でもヘビでも特に失礼ではないそうだ。
トロロ昆布が我が好物であるという情報は息子やその後輩にまで伝わっていてトロロ昆布も数袋ある。タイのお粥であるジョークにとろろをふんだんに千切ってかける。味噌汁、吸い物、ご飯、クイッティオ、野菜炒めにもあう。トロロのネバネバは体にいいそうだ。オクラの醤油漬けにもトロロをかける。オクラもネバネバ食品、こういったものを食べていると口調が石破首相に似てくるのではないかと心配になってしまう。
石破首相の回りくどい、何を言っているかよくわからない話法は「ネバネバ構文、納豆話法」と言われている。政治家がはっきりと分かりやすく説明することは有権者にとっては有難みがないそうだ。重々しく、よくわからない内容をしゃべる、よって言質は取られない。この世の亭主は石破さんのネバネバ構文、納豆話法を学んでおけば、浮気がバレても窮地を脱することができるだろう。
■進化する日本の米
日本に帰国するたびに思う。「日本の米は進化している」。食べるたびに美味しくなっている。米の粒も少しずつ大きくなっているのではないか。米粒が大きいと粒と粒の間に入る空気の量が増えるので食感がよくなるそうである。日本は職人芸の国、よりいいものを作ろうという精神が国民の間に漲っている。美味しい米を作りたい、これは農家のみならず農業試験場、大学農学部、すべての関係者共通の認識だ。世界に米の品評会がないのは優勝する国が決まっているからに違いない。ビール、ワイン、ウィスキー製造においても本場よりも良いものを作りたいといった日本的職人魂が発揮され、今では國際コンテストで日本産が優勝を重ねている。
昨秋、娘がチェンライに来た折、2キロほどの米を持ってきてくれた。婿さんの出身は新潟の長岡、その縁で美味しい越後米が手に入った。銘柄はわからない。一般に流通しない特別米ではないかと思う。炊いてみて匂いも色つやも素晴らしい。味はというとご飯をおかずにしてご飯が食べられるくらいだ。
チェンライのスーパーでも「コシヒカリ」、「ひとめ惚れ」等の銘柄米が手に入る。5キロ入りの袋には日本語で日本米と書いてある。日本円で一袋1000円ほどだから米価爆上げの日本の3分の1以下だ。でもタイ産コシヒカリの味はというと、長らく北タイにLSする老人の郷愁をわずかに満足させる程度であって、これならタイのジャスミン米のほうが美味しい、という人もいる。
■あらゆる分野で生きている
日本産の米は美味しい。貰った米は越後米の中でも選りすぐりの貴重米だからうまさは格別だ。中国の富裕層が日本産の米を好んで食べると聞いたことがある。自分が中国の富裕層だったらキロ数千円払っても購入するだろう。
娘に頼んで2月にチェンライにやってきた息子に2Lポリ瓶入りの米を4本持ってきてもらった。総量でで8L、1Lの米は5.5合、合計4升4合、大事に残しておいた娘持参の米と合わせ5升か。キロとかカップ何杯というより、升、合の単位が身近に感じる年代だ。そういえば芭蕉の句に「我富めり新年古き米五升」があった。正に「我富めり春節美味き米五升」だ。ああ幸せ。
米ばかりではない。宮崎のアップルマンゴ-はタイのマンゴーより美味しいという。タイのイチゴも自分の来た頃のヘビイチゴ並みよりは進歩しているが、日本のとちおとめ、とよのかの味には及びもつかない。まして初恋のかおり、ゆきうさぎといった白イチゴはタイにはない。日本産バナナは皮まで食べられるという。少しでもいいものを開発しようという日本の職人魂は自動車や半導体ばかりでなく、農工水産業始め、あらゆる産業に生きているのではないかと思う。美味しい白米に舌鼓を打ちながら、明るい日本を期待しているところです。