チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

情報過多と常識

ドイアンカーンのヒマラヤサクラ

同上

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華亮村看板

情報過多と常識

■情報選択に苦慮

北タイに逼塞する独居老人である。周りのことには無関心、少ない蓄えを心配しながら雨風を凌ぎ、カオニャオを食べ、社会と隔絶されたショボい生活を送っているに違いない、と同情して下さる向きもあるだろう。確かにそういった面がないわけではない。

でも昨今はAI万能の世の中、ウクライナ戦争、ガザ戦争、トランプ氏の膨大な大統領令、EVの凋落、ミャンマーの国際詐欺団、石破政権と日本政治の混乱、中居・フジ騒動などニュースが次々とPC画面に出てくる。だから世の中の事件のあらましは承知している。でもマスコミの報道は表面的な出来事しか教えてくれない。どうしてそうなったのか、両者の言い分はどうなのか、これからどうなるのかといった情報が少ない。

例えばウクライナ戦争がどうして起こったのか、ロシアがウ国侵攻に至るまでの経緯は、どちらの言い分を是とするか、その理由は等々・・・。夫婦喧嘩でも片方が100%悪いということはない。物事、東映の時代劇のように善玉、悪玉がはっきりしているわけではない。ウクライナ戦争では侵攻した大国ロシアは悪、攻め込まれた小国ウクライナは善という図式で語る識者は多かった。そして欧米の援助を得たウ国はロシアを撃退する、あそこでもここでもウ軍が勝っているという報道があった。確か3年前は、ロシアは1,2週間のうちにキーウを占領すると多くの人が言っていた。侵攻直前まで賢明なプーチン大統領ウクライナ攻撃などするはずがない、が大多数の意見だった。でもロシアは侵攻したし、2週間でキーウは落ちなかった。

 

■昔から正義より力

ゼレンスキー大統領とトランプ大統領の会談はうまくいかなかった。でもあの会談は大銀行の頭取と中小企業の社長との話し合いみたいなものだ。融資を受け倒産寸前の会社が銀行に逆らえるはずがない。遅かれ早かれウクライナは米国の調停で停戦あるいは終戦を迎える。ウクライナは欧米、就中、米国の援助で戦っているのだから援助が無ければ負けるに決まっている。今なら領土を少し失う程度で戦いをやめられる。いくら正義を唱えても力がなければ意味はない。ロシアの力の前では正義は無力だ。

この戦争では当初から欧米がウ国を援助していた。義勇軍はもちろん軍事技術サポートもあった。変な例えだがEVシフトに邁進した欧米中では、国の補助金の停止、減額でEV販売は失速した。同様に軍事援助停止となればらウ国は事実上の降伏。そもそも経済原則を無視したEV促進策や他国の軍事援助をあてにした戦争は始めから無理があったのではないか。

ウクライナは米国の援助停止によりロシアと「屈辱的な」和平を結ぶことになるだろう。でもウ国はその技術力をもって秘密裏に核爆弾を保有し、ロシアの再侵攻に備えるだろう。欧州各国は勝ったり負けたりの歴史を繰り返している。1度負けたくらいではへこたれない。敗戦国は必ず復讐戦に立ち上がる、が彼らの常識だ。欧米列強並びに中国は日本がいつ先の大戦の復讐戦を挑んでくるかと危惧している。日本は敗戦国として恒久平和を望んでいるのですなどと言っても誰も信用しない。

 

■考えただけで逮捕される

トランプ大統領はことあるごとに「常識で考えてみよう」と言っている。例えばLGBTQ法案だ。私は女だと主張する男性が陸上競技のメダルを独占する、またそういった男性が女子トイレに入ってくる、性転換手術を受けたいという小学生を許さない両親に圧力をかける、これらは常識で考えておかしくありませんか、と大統領は言う。

ウ露戦争だって実際の戦いの推移を見てみれば常識でおさまる道もあるはずだ。

夫婦別姓が国会で論議されている。LGBT推進のエマヌエル大使に言われて岸田首相が動いた。ここ少なくとも150年、夫婦同姓を基本としてやってきた。一家の中で両親は別姓、子供はどちらの姓でもいい、これで一家の絆が保たれるのだろうか。常識で考えれば自ずとわかる、と考えるのは自分だけだろうか。

独裁主義、共産主義体制ではあらゆる絆を破壊し、個人と国家を直接結び付け、人の心の中も統制する。

バンス副大統領は2月にミュンヘンで行った演説の中で、英国である男性が中絶クリニックから50メートル離れた場所に立って3分間黙祷を捧げたという「凶悪な罪」で起訴され、検察に数千ポンドの訴訟費用を支払うよう命じられた例を引いて、いわゆる思想犯罪とその密告制度が欧州に広がっていると警告している。これも常識で判断してはいけないのだろうか。