チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

春節の旅(4)

道路沿いのヒマラヤサクラ

パデーンの展望台

ヒマラヤサクラ

同上、ピンク

スイタンの朝靄の中のテント、貸し出しテントも可能

華亮學校の朝礼

 

 

春節の旅(4)

■ドイ・アンカーン(安康山)の桜

ルノータイ(大谷地村)を過ぎてドイ・アンカーンを目指す。ドイ・アンカーンはタイとミャンマーの境にある標高1928mの山である。これだけ標高が高いと気温が低くなり、ヒマラヤサクラが咲く。道は急カーブと高低差のある山道となる。対向車は少ない。時折ピンクのヒマラヤサクラが見える。日本の桜に比べれば豪華さに欠けるけれども、こんな鄙びた奥地に咲いていて実にケナゲ、といった感じはする。

ドイ・アンカーンまで行くとほとんどホテルはなくなる。パデーンの展望台の手前に華亮村という中国村があり、ここにはいくつかGHがある。華亮學校という小学校の前にあるカフェに車を停めた。1階はカフェで2階がGHになっている。桜の季節とあって昨日と明日は満室だが今日は1室空いているという。このGHはアボガドのスムージーで有名らしく、部屋で休んでいたらサービスでそのスムージーを持ってきてくれた。タダというわけではないが生まれて初めて飲んだアボガドのスムージー、ヨーグルトの酸味もあってスルスルと喉を通っていく。旅に出ると日頃味わえない食物に出会える。

ドイ・アンカーン一帯ではその昔、阿片を栽培していたが王室プロジェクトで阿片にかわる換金作物として野菜やイチゴなどの栽培を奨励した。アボガドもその一つなのだろう。村にはアボガド畑があって、カフェの屋台にはアボガドが山ほど積んであった。でも1キロ50Bというからチェンライの市場とそれほど変わりはない。

部屋の掃除を待つ間、車で山を登る。先ず、パデーンの展望台に着く。誰もいない。眼前に狭い可耕地を挟んで石灰岩の山が立ちはだかる。それなりに迫力はあるが先日プーチーファ-に行ったばかりだからつい比べてしまう。プーチーファ-と比較されてはパデーンも可哀そうというものか。

 

■雲の中のキャンプ場

更に山道を登ってスイタン展望台に着く。ここはドイ・ファーホンポック国立公園に属していて標高1412mと看板に書いてあった。さすがに気温は低く、辺りは雲ともガスともつかない靄に包まれている。展望台近くはキャンプ場となっていて靄の中に10張りほどのテントがあった。駐車場には県外車、それもバンコク、チョンブリなどここから1000キロほど離れている県からの車だ。雲に包まれて寒さを楽しむ。これがタイ人にとって何よりの快楽なのだろう。札幌の雪はムリとしてもせめて北タイの山でキャンプというところか。

展望台、キャンプ場周辺、並びに1340号線の道路沿いにヒマラヤサクラがあった。一応並木になっているのだが日本の桜を見慣れた自分にとっては「しょぼい」という感じだったが、写真に撮ってみると可憐でそれなりに気高さを感じさせる。ヒマラヤと言ってもバカにしたものではないと反省した。

1340号線を更に登ると、王室プロジェクトの庭園があるとのことだったが、まずは雲海とヒマラヤサクラを観たということに満足してGHに戻った。

 

■華亮學校の朝礼で思い出したこと

華亮村もかなり高地にあるようで、朝の気温は8度だった。体がタイ化している自分にとっては酷寒と言っていい。そんな朝の中を小学生が元気に登校してくる。そのうち、ベルが鳴り、朝礼が始まった。全校生徒50名くらいだろうか。国歌斉唱、国旗掲揚があったがタイの国旗である。中国人村と言えどもタイの教育だ。でも彼らはタイの学校が終わったあと、中国学校で授業を受けると思う。つまり2つ学校に行く。それで成績のいい子は台湾に留学する。チェンライ県の中国村トードタイでもドイメーサロンでも台湾との結びつきは強い。トードタイの行きつけのGHにはよく台湾からの教育使節団が泊まっていた。

そういえばアカ族の村パナセリにも中国人学校があって、副村長アダムの姪っ子はお弁当を2つ持ってタイの学校と中国人学校の両方に通ったそうだ。彼女と出会ったのは彼女がチェンライの名門、ダムロン高に通っている頃だった。見るからに利発そうな少女だった。その後、パタヤ会計学校で学ぶ傍ら、英語情報誌でアルバイトをしていた。そこで覚えた英語をもとにして渡米して十数年になる。風の噂では米国でレストランを経営しており、順調な人生を送っているとのこと。

ニッパヤシの家に生まれたら少々頭がよくても性格がよくても人生それで終わり、と差別意識と階級差の強いタイでは思われがちだ。でも2つの学校を頑張って出て自分の運命を拓くアカ族の子もいるのだから、台湾との絆の強い中国人村の子供たちの将来は決して暗いものではないと思う。