チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

乾季の来訪者と食品

ワットプラケーオ

いつも蘭が咲いている

同上

寺には必ず犬がいる

釈迦像

望遠で

乾季の来訪者と食品

■日本土産と共に

昨年の10月から11月にかけて娘一家が来ていた。それに2月に入るとブアさんの贔屓にしているお坊さんが数日滞在していた。そのあと2月初旬から息子とその後輩が我が家に滞在、後輩は早めにバンコクへ発っていったが、息子は2月末まで我が家にいた。息子は2週間以上の連続休暇がよく取れたものだと思う。昭和の社会人だった自分の時代とは企業文化が変容しているのかもしれない。

ともあれ、チェンライの乾季は近場の旅に出たり、遠来の客を迎えたりとかなり充実していた。気にしなくていいから、などと言いながら娘や息子が持ってきてくれる日本土産には随喜の涙、と言っても過言ではないほど感激した。また、例年からテニス合宿に来られるご夫妻からもお土産を頂いた。カレーのルーや塩昆布、即席麵などタイでも買えないことはない。でも買えば日本の倍以上の価格と思うとあまり手が出ない品々をどっさり貰って心が豊かになった。

息子の場合、毎年のようにチェンライに来ているので自分が観光案内する必要はない。カリビアンを貸しておけば後は自力更生、特に今回は後輩にいいところを見せないといけないと思ったのか、率先してラオス渡航、自分の出る幕はなかった。一度、ムーカタ(食べ放題の焼肉料理)に連れて行った。通常、ムーカタは一人200Bちょっとであるが、何時も混雑している店があってそこはちと高め。肉ばかりでなくイカ、タコ、蟹、エビ、生ガキ、ムール貝、蛤、赤貝などの海鮮類や野菜、果物、練り物など数十種類の食材があった。アイスクリームだけでも10種類以上。日本には絶対出てこない食材としてカブトガニがあった。ホアヒンの南に位置するプラチュアップキリカーンでカブトガニを食べたことがある。甲羅を外して甲羅の裏についている粒々の卵を食すのであるが、それほど美味しいものではなかった。日本じゃ絶対食えないからどうだ、と勧めたが「それほどうまくはない」という自分の説明をあらかじめ聞いていたので2人とも手を出さなかった。

 

■よく来る坊さん

2月初めにお坊さんが滞在していたと書いたが、どういう経緯かはわからないがブアさんが数年前からこの坊さんに傾倒している。あちこち修行しながら旅をしていて3,4ヶ月に一回程度、数日間チェンライに滞在する。泊るのはブアさん宅だが、その間、ブアさんは我が家のゲストルームで寝ている。ゆくゆくはブアさんの出身村であるロンブーにお寺を建立するという計画があるようで、ブアさんのお姉さんが提供する1町歩ほどの田んぼを見に行ったことがある。お寺を寄進するということはタンブンこれにすぎるものはないという徳を積むことになる。ブアさんの一族挙げてこの坊さんを応援している感がある。この坊さんは、どういうわけか携帯に詳しく、自分の携帯が故障したり、紛失したりした時はバンコクから新品の携帯を送ってもらった。シムやWiFi入力もお世話になっている。自分はこの坊さんに恩義を感じている。

タイの坊さんの食事は1日1回、朝10時前後だ。女性は坊さんにお斎を献上することはできない。お盆にのせた食事を坊さんに差し出すのは男の役、それで自分の出番となる。だから旅に出る場合、お坊さんの滞在期間を外さないとブアさんに怒られる。1日1回の食事であるから、これじゃ胃拡張になるよ、と心配になるくらいの大量のご飯となる。米飯だけでも5合分はある。おかずの量も半端でない。以前、ライスカレーを献上したことがあり、彼はカレーを痛く気に入ったようだ。それで坊さんが来るとブアさんからカレーを作るようにという指令がある。

 

■お下がりを頂く

お出しした食事はさすがに全部を食べ切ることはできない。坊さんのお下がりは当然のように我が昼食、或いは夜食となる。カレーなら丼から必要量を自分の皿に移して食べるわけであるから、食べ残しというわけではないし自分も気にならない。

ブアさんはタンブンが生きがいのような人であるからワンプラという仏さんの日にはお寺に果物などタンブンの品を持っていく。彼女のすごいところは持っていった以上の食べ物を持ち帰ることである。タイソバ、手羽元、チャーハンなど3日分は確保してくる。坊さんたちが食べる以上のものは無駄になり、お寺にいる犬の餌になってしまうのだから、お寺でも持ち帰ってもらったほうがいいのだろう。

美味しく頂いてはいるが、考えようによっては犬の上前をはねているのでは、と思うと坊さんのお下がりとは違って多少気が滅入る。