





中国の門松?
春節の旅(3)
■国民党落人村
チェンダオでカオカームーを食べた後、桜の名所、ドイ・アンカーンを目指す。カオカームーの店を出て30分ほど車を走らせるときれいな湖のほとりに出た。透き通った水の中で子供たちが泳いでいた。ここがチェンダオ郡のアルノータイ村、チェンライ県のドイメーサロンと同じく国民党の中国人村だ。
1949年に共産党軍が勝利し、中華人民共和国が成立した。内戦に敗れた国民党軍の大半は蒋介石とともに台湾に逃れ、そこで中華民国を樹立。一方、雲南や四川で展開していた部隊は行き場を失い、ビルマのシャン高原に逃れる。ビルマで大陸反攻の機会をうかがっていたがやがてビルマ軍による国民党軍の討伐が始まる。国民党軍はビルマ、ラオス、タイ国境のゴールデントライアングルに逃げ、そこで定住するとともに山岳民族に阿片を栽培させ、その麻薬資金で組織を維持する。一種の独立組織みたいなものだからタイ政府が麻薬撲滅の討伐作戦を実施する。大きな戦闘はなく国民党軍は武装解除と麻薬栽培停止を条件にタイ国籍を取得することとなった。それが1987年というからそれほど昔のことではない。国民党軍はベトナム戦争当時、タイ国内に浸透しようとするパテト・ラオとの交戦に駆り出されるなど反共活動でタイ政府に協力したからこれも国籍取得の一助となったかもしれない。
湖を回るように1340号線を進むと1780号線のT字路にぶつかった。アルノータイ(中国名大谷地村)は何もない国民党落人村と書いてあるネットもあるが、T字路周辺が村の市場となっていて春節の正月用品を買い求める村人でかなり賑わっていた。
■餃子と雲南麺
新明天庵ブログのYさん情報ではこの村には美味しい餃子、雲南麺を食べさせる店があるという。遅めの朝食をチェンダオのカオカームーで済ましていたが、市場近くの「大勇雲南麺館」に入る。時節柄、家族連れで店内はほぼ一杯だった。1976年創業と店内に書いてあった。まだタイ国籍のない国民党兵士が始めた店だろうか。
餃子の出来上がりを待つ間、外を見る。ここまでくるとヘルメットを被ってバイクに乗っている人はほぼゼロ、バイクの3人乗り、4人乗りも当たり前だ。ポリ袋に入れた鶏をバイクにぶら下げて走る人もいる。餃子は1皿6ケ入りで50B、これまでに食べた餃子の中で一番うまい。できたら餃子2皿にビールといきたいところであった。でもこれから山道を車で登る、諦めざるを得なかったがいつかその機会は訪れるだろう。
餃子を食べた後、市場を歩いてみた。新年飾りの赤いランタン、先祖供養として燃やすための札束などが売られていた。チェンライではあまり見かけないクルミもあった。道路標識や住居表示は漢字で書かれている。買い物客も店の人達の顔もチェンライの市場とはなんとなく違う。台湾の村にいるようだ。半乾きの生雲南麺を買った。これも正月食品か。500gで50Bだったが帰宅して食べてみて何故1キロ買わなかったのかと後悔した。
■門松?
露店で松の枝と竹を売っていた。竹は太さ10センチほど、長さは人の背丈ほど、一部を切り取った節に小板や松枝を差す筒が挟まれている。
中国でも門松を飾るのだろうか。
門松は一年の幸福をもたらしてくれる神様に、家に来てもらうための目印となる正月飾りだという。お正月には年神様がやってくるがその年神様が目印とするのが門松であり、門松には依り代として降りて来られた神様が宿るという。
門松は平安時代の宮廷儀礼の「小松引き」に始まる。竹が門松に含まれるようになったのは室町時代、江戸時代には武家、商家、農家も宮中に倣い、家の前に門松を飾るようになったという。
松は神様が宿るというばかりでなく、生命力が強く千代・千年の齢とされ、長寿の木と考えられている。また松は神を祀る(まつる)という言葉につながる、「神様を待つ」にも通じる縁起のいい木だ。竹は成長が早く、生命力の象徴、繁栄の象徴とされる。というわけで門松は平安時代から続く子孫繁栄、健康長寿を願う日本の伝統である。
ネットで中国における門松を調べてみたが納得のいく情報にはぶつからなかった。
「一説には唐代にあった正月に松の枝を門に飾る風習が平安時代に日本に伝わったと言われています。ただし、中国で正月に松を飾る地域は限られています。」といった断片的な記事のみ。雲南省と門松、中国の正月飾りなどで検索してみてもはかばかしい答えは出てこない。どなたか中国の門松について知っている方はおられないでしょうか。