有楽町ガード下
同じ場所から望遠で
たまには初めての店で
■家の近くのイタリア料理店
経済発展著しいタイであるから、北タイの田舎であるチェンライでもあちこちに団地が造成されているし、車の増加に伴って新しい国道が開通し、道路拡張工事も盛んだ。十数年前にはほとんど見かけなかった大型オートバイも縦横無尽に走り回っている。
GDPがさっぱり増加しない日本でも、わが武蔵小山の駅前にはタワマンが聳えているし、新しいレストランが次々に開店し、それなりに客が入っている。駅に行く途中にイタリアンレストランがいくつもあるのだが、その一つにドアがなく、店の中が丸見えでカウンターやテーブルにいつも客でぎっしりという店がある。入店したことはないのだが、客足の途絶えた3時過ぎでも店内で若い人が働いている。目が合うと通行人の自分にも大きな声で「こんにちは」と挨拶してくれる。
いつも混んでいるということは美味しいという証拠ではないか。兄を誘って入店してみた。「いらっしゃいませ、ご予約は?」。通常は予約客で一杯になるようだがカウンター席が2つ空いていた。カウンターの前は調理場になっていて2,3人の若者が甲斐甲斐しく働いている。料理の段取りをしながら次々に入ってくる客に明るく挨拶をし、それぞれの席に導く。20人も入れば一杯になる小さな店だ。家族連れもいるがどういうわけか予約のカップルが多い。男が先に来てカウンターに座る。5分ほどして彼女登場、男がすかさず言う。「ありがとう、来てくれたんだ」。
店内には音楽が流れているがこういった会話が聞き取れるくらいの抑えた音量だ。チェンライではこうはいかない。音量がすごいうえにそれに負けじと客も大声で話すので、並みの神経をしている人にとってはかなり辛い。
■客と料理人の関係
寿司店とか有名天婦羅店ではカウンター越しに料理人の手元や調理の過程を見ながら出来立ての料理を楽しむことができる。これは日本の文化を表すものではないかと思っている。つまり日本には職人を敬う歴史が存在した。。日本なら仏師運慶、赤絵を白磁に取り入れた焼き物の柿右衛門、刀鍛冶でいえば祐定、正宗といったように製作者、職人の名前が残っている。
中国には商人の歴史はあるが職人の歴史はない。その証拠に故宮博物館蔵の芸術作品、例えば翠玉白菜とか象牙透彫雲龍文套球の作者の名前はわかっていない。後者の象牙球は直径約12cmの球体の中にマトリョーシカのように23個もの球体が入っている。内部の一つ一つの球が独立して回転するという仙人技。何代にもわたって制作されたと言われるが、個人名はもちろん職人集団の名前も残っていない。職人は皇帝に仕える奴隷扱いだった
料理人も一種の職人である。日本では一流の料理人は尊敬されるし、されてきた。対等どころか客が寿司屋の店主に怒られることさえある。欧州においては、料理人は宮廷の使用人で税金を払えない領民出身が多かったそうだ。身分は賤民だったらしい。そういった料理人が宮廷の貴族と同席するとか対等に口をきくことはあり得なかった。チェンマイのイタ飯屋でも料理人の顔など見たことはない。
■活気のある店
カウンター越しで30代のチーフと思しき男性が20代の若者に魚の切り方を伝授していた。ここは骨があるところだから、このように刃を入れるなどと懇切丁寧に教えている。技術は教えるものじゃない、知りたかったら盗むものだと先輩に小突き回された帝国ホテルの村上信夫料理長の時代とは違っているのだろう。
ホール係の若い女性の応対が素晴らしい。満席の客席、カウンターからの注文を次から次へと受ける。チェンライの店員は手をあげて目があっても客席にやってこないことがある。ウズの店員はまず客と目を合わせようとしない。若い人がキビキビと一生懸命働いている姿を見ていると、やはり日本はこれからも大丈夫だという気になってしまう。注文から料理が目の前に出される時間も短い。調理の過程を眺めながらの飲食、時にはチーフとの何気ない会話も楽しい。
ボトルのワインを飲んだし、料理もチェンマイのイタ飯より上等、かなりの満足度だった。たまには初めての店で変わった料理を味わう、刺激があっていいものだ。
通常は予約が必要な人気店、ネットには「土日など混み合った場合のみ、2時間半までのお席となります。ご協力よろしくお願いいたします」とある。新宿で予約していた有名ファミレスで会食した折、「混みあっていますので」と1時間半で追い出されたばかりだったのでこの店の配慮には感銘を受けた。