思考の基準は
■初めての献金
旅に出るとかの予定がなければ週5日、土日を除いてテニスコートに日参している。今年の雨季は例年以上に降雨日が多く、週に2,3日できればいい方だった。ある日、コートに行くと常連のスイス人、ジョンが寄ってきた。「コートの管理人が水切りを新調したいが金がない、よって朝のテニスグループから一人100Bの寄付をしてもらえないか、と言ってきた」。もう数人から集めているようだ。携帯で寄付金拠出者一覧を見せてくれた。
チェンライ市営運動場のテニスコートを使わせてもらって十有余年、コート管理者から使用料はおろか備品代さえ徴収されたことはない。喜んで支払った。感染症で一時帰国中、テニススクールに週1回通った。グループレッスンだったが1時間半で3千円払っていたように思う。チェンライに住んでよかったということはいろいろあるが、毎日テニスをしても掛かる費用は自分が使うテニスボール代だけ、は特筆すべき利点の一つだろう。これは日本に比べてこれだけ恵まれている、つまり日本を基準として考えていることは確かだ。
水切りは雨季の必需品だ。2年前にITFワールド・テニスツアーがこの市営コートで開催された。その時にコート面は塗りなおされ、球が出入りするボロボロのネットは新品に取り換えられた。同時にコロ付きのゴム張り水切りが新調された。それ以前はモップにぼろ布代わりにゴム板がついた50センチ幅の水切りを使っていた。効率は悪いし、結構体力を必要とするので、テニスをやる前に疲れてしまうといった欠点があった。テニスツアー後、新しい水切りを使ってみると、溜り水の捕捉率は抜群で、大量の水をコート外に押し出すことができる。爽快である。
でもゴム製品であるから経年劣化で使い辛くなってはいた。またテニスツアーをやってくれないかな、そうすれば水切りも新しくなるのにな、などと思っていた矢先である。いくらかでもコートのお役に立てて光栄です、という気持ちである。胸を張るほどの金額ではないけれど。
■タイの雨季も日本の目で
はてなブログでは、X年前の8月には貴方はこのようなブログを書いていましたよ、というリマインドが自動的に送られてくる。それを読むとここ1週間、雨でテニスができなかった、今年の雨季は異常だ、などと書いている。どうやら例年、8月には雨が降ってどこかで洪水が起こり、大変だ、大変だと言っているようだ。だが、今年は現地ニュースでも数十年見なかった雨量と出ているし、洪水の規模も大きいようだ。でも8月末からは降雨は短時間で雨の合間には太陽が照り付けるという南国のスコールパターンに入っているように思う。
人間、何事も自分の経験をもとに考える。天候もつい日本のそれと比べてしまうので違和感がある。日本で朝雨が降っているとこれは終日ぐずつく天気かな、と思う。だがチェンライでは土砂降りの雨であっても、30分後には雲が切れて日が差してくる。と思っていたらまた黒い雲が天を覆って雨粒が落ちてきて車軸を流すような豪雨となる。だが豪雨はすぐあがる。この変わりやすい天気にはまだ自分の思考がついて行かない。雨なら雨、晴れるなら晴れる、そういったケジメはないものか、と思う。
天候に限らず、自分とか自分の経験を基準に考えるとどんでん返しを食らう。例えば自分は時間を守るのだから相手も時間通りに現れる、袋入り野菜はほぼ同じ品質のものが入っている、前回と同じ書類を用意したのだから今回の入管手続きは問題ない、ガソリン代付随のポイントは溜まれば利用可能、スーパーの洗剤はセブンイレブンより安い、こういった日本人的思い込みは裏切られることが多い。
■思い通りにいかない
銀行口座の開設、お金の出し入れなど日本ではまずもめようのないことでも行員の気分によってダメということがある。亡母名義の預金については弁護士を立てて裁判所の判決をもらって引きだすことができた。邦人のご亭主が亡くなったタイ人女性も同じく裁判所の裁定が必要だったから、とにかくここはタイですから、ということになる。
でも銀行とか官庁に有力なコネがあれば、裁判所に行かなくても思い通りに事が運ぶそうである。タイで言うコネは上流階級であること、その階級に知り合いがいるということである。日本でも親ガチャ、担任ガチャ、配属ガチャなど自分の力ではどうにもならない運によって人生が左右されると言われている。
親ガチャと重なるかもしれないがタイでは「階級ガチャ」がかなり重要である。水切りの話から妙な所へ話がずれてしまった。