チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

8月になると

2022年チェンマイ戦没者慰霊祭、ムーサン寺会場

同上

同上

2023年チェンマイ戦没者慰霊祭バンガード会場

同上

慰霊碑が高校の敷地にある関係で高校生ボランティア多数

 

8月になると

■一億総懺悔

広島、長崎の原爆忌と15日の終戦記念日があるせいか8月になると新聞を始め、マスコミは「戦争を繰り返してはならない」、「平和が大切」と上から目線で国民に説教を始める。今年は79回目の終戦記念日というがマスコミの論調は1945年9月5日に 東久邇宮稔彦首相が国会演説で述べた「一億総懺悔」を引いて日本国民は反省を続けるべきだという。

東久邇宮首相の「 戦争集結ニ至ル経緯竝ニ施政方針演説」では総懺悔をしたのちは

「神の御前に一切の邪心を洗い浄め、過去を以て将来の誡めとなし、心を新たにして、戦いの日にも増したる挙国一家、相援け相携えて各〃其の本分に最善を竭し、来るべき苦難の途を踏み越えて、帝国将来の進運を開くべきであります

征戦四年、忠勇なる陸海の精強は、冱寒を凌ぎ、炎熱を冒し、具さに辛苦を嘗めて勇戦敢闘し、官吏は寝食を忘れて其の職務に盡瘁し、銃後国民は協心戮力、一意戦力増強の職域に挺身し、挙国一体、皇国は其の総力を挙げて戦争目的の完遂に傾けて参りました、固より其の方法に於て過ちを犯し、適切を欠いたものも少くありませぬ、其の努力に於て悉く適当であったとは言い得ざる憾みもあります、併しながら凡ゆる困苦欠乏に耐えて参りました一億国民の此の敢闘の意力、此の盡忠の精神こそは、仮令戦いに敗れたりとは言え永く記憶せらるべき民族の底力であります」。

反省は必要だが、心新たに新しい日本を作り上げようという気概に満ちた演説だ。演説の最後はこう結ばれている。

「全国民が一つ心に融和し、挙国一家、力を戮せて、不断の精進努力に徹しますならば、私は帝国の前途は軈て洋々として開け輝くことを固く信じて疑わぬものであります、斯くしてこそ初めて、宸襟を安んじ奉り、戦線銃後に散華殉職せられましたる幾十萬の忠魂に応え、英霊を慰め得るものと固く信じます」。

 

■誇りを持っていた

東久邇首相は「凡ゆる困苦欠乏に耐えて参りました一億国民の此の敢闘の意力、此の盡忠の精神こそは、仮令戦いに敗れたりとは言え永く記憶せらるべき民族の底力であります」と日本人の誇りを忘れていない。

米国人と戦争の話になった時、「ベトコンがアメリカに勝ったと言っても銃器、砲弾から燃料に至るまでソ連や中国から援助を受けてたんだ、日本はどこからも軍事援助を受けず3年半、自前の軍艦や飛行機で戦ったんだよ」と自慢したことがある。敗戦直後は首相ばかりでなく、広く国民もこういった誇りを持っていたのではないか。

全土焼け野原の日本で「帝国の前途は軈て洋々として開け輝くことを固く信じて疑わぬものであります」と言い切った首相も偉いが、戦後一生懸命働いた我が父母、祖父母の世代には感謝の言葉もない。団塊の世代は高度成長の食い逃げ世代とZ世代やY世代に揶揄されるが、それも時代の巡り合わせ、申し訳ないが若い人には時代の新局面に当たって国威発揚に努めてほしいと思っている。

 

■原爆

ガザ戦争、ウクライナ戦争で病院や学校が攻撃され、非戦闘員の市民や子供が犠牲になったと報道されている。泣き叫ぶ子供を見て心が痛むという人は世界中にいるだろう。

でも非戦闘員のお母さん、赤ん坊、子供、老人をまとめて30万人以上殺戮した国がある。それは広島、長崎に原爆を落とした米国である。戦時国際法の違反であることは言うまでもない。2発の原爆投下を許可したトルーマン大統領は「原爆投下のお蔭で米国の若者100万人の命が救われた」と嘯いた。でも日本は制空権、制海権も失い、1945年6月には沖縄戦でも負けた。敗戦は必至で日本政府はあらゆる伝手を頼って終戦、講和を模索していた。米国はそれを知りながら終戦を先延ばしにした。ポツダム宣言も日本が受け入れられない条件を付けて受諾しないよう仕向けた。これは原爆完成までの時間稼ぎだった。ソ連が参戦することを見越し、ソ連に原爆の威力を見せつける必要もあった。

沖縄戦では米軍は1万人の戦死者が出た。いくら本土決戦となっても日本の軍事力では100万人どころか3万の損害も与えることができなかっただろう。3万の米兵を助けるためなら30万、それも有色人種を殺すなら良心の痛みは全然感じない。感じないどころか戦争終結を早めた正しい決断だった。少なくとも米国の高校生はそう習っている。一瞬にして命を奪われた人たちは、その日、朝起きて家族でご飯を食べて、それでは行ってきます、と普通の一日を送っていたはずだ。

戦後79年、原爆投下の真実を明らかにして米国に対して「過ちは繰り返すなよ」という日本人や政治家が出てきてもいい頃ではないかと思う。