チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

暑季のチェンライ

 

ウズベキスタンタシケントの冬

タシケントの冬、寒かった

オックステール、これで500円

ハミ瓜

これで普通の大きさ

半分食べると動けなくなる


暑季のチェンライ

■いい思い出だけが残る

チェンライに戻って1月ほどたつ。日本にいた時はなんて日本はいいのだろうと思ったが、タイに戻ればまたタイの良さを感じる。ウズベキスタンに2年住んでいた。ウズでは日本食にはお目にかかれず、道路がカチカチに凍る零下20度から酷暑の40度までの厳しい気候の街で過ごした。それなりに大変な思いをしたはずであるが、今となってはオックステールを1本500円で買って大量のスープを作ったり、井上靖が憧れてやまなかった哈密瓜(ハミウリ、メロン)を毎日のように食べたことを懐かしく思い出す。人間にも100%の善人とか100%の悪人はいないように、どんなに過酷な気候の街でも人が住んでいる限り、いいところはあるものだ。だから人との付き合いと同じように、どこに住んでもその場所のいい面をみて過ごしたいと思ってきたし、今もその思いは変わらない。

前回、ああ、チェンライに戻ったんだなあという感慨に囚われた出来事と言えば、近くの市場で5歳くらいの女の子が「アウ・アライ・カ?(何を差し上げましょう?)」と尋ねた時である。日本ではこんな小さな子は店番などしない。時間的に幼稚園か保育園に行っている。両親のお手伝いなのだろう。可愛く微笑まれるとなんか買わずにはいられなくなった。

今回、タイに戻ったと感じたことと言えば、チェンライの市場で購入した一袋の隼人瓜にある。袋には数個の瓜が入っていたが、帰宅して調べてみるとそのうち2つは薹が立っていてガリガリに硬かった。日本であれば袋入りを買っても同じ大きさ、同じ品質の野菜とか果物が入っている。我が祖国は売り手と買い手双方の信頼関係が前提となっている安全と安心の国だ。でもこれは日本だけ、バラ売りの隼人瓜を一つずつ確認して買わなかったこちらが悪いので別に怒ったり、落胆することはなかった。ここは日本ではなくタイのチェンライだ、ここに戻ってきたんだな、という感慨を持った。ただそれだけ。

 

■日本だって暑かったが

今年は例年になく暑いとチェンライの友人たちが言う。こんなにクーラーをつけっぱなしにした年はなかったそうだ。自分がチェンライに戻った4月末は確かに暑かった。気温が40度を越える日がざらで、体感気温は44度、45度などと携帯に表示される。22-23度と晩春の東京から戻ってきたので一段と暑さを感じた。去年まで住んでいた借家ではクーラーを使っていなかった。体温を越える気温となるとどうなるか。手に触れるものすべてが熱く感じられる。机もベッドも枕もPCも触ると熱い。冷たい場所は今まで自分が座っていた場所だ。こんな環境でも別に熱中症で倒れることがなかったのは体に順応性があったからだろう。

今の家にはクーラーがある。入れると涼しい。よく去年まで冷房のない家に住んでたな、と思うくらい。すっかり体がヤワになって今は冷房なしには過ごせない。ブアさんの姉さんや友達の家とか一般庶民の家には冷房はない。扇風機で凌いでいる。自分が20代のころは日本も冷房は一般的でなかった。その頃、役所勤務だった人に聞くと、職場に冷房はなく水の入ったバケツに両足を突っ込んで仕事をしていたそうである。夕方、冷蔵庫からビールを出してみんなで飲むのが楽しみだったとか。中央官庁でも昭和40年前後はこんなものだったらしい。

 

■スコールのあとの爽やかさ

自分が子供の頃と違って今の日本の小中学校は冷房完備が普通だそうだ。チェンライの教室では扇風機があるかないかといったところ。タイが経済発展して日本のように各家や教室に冷房が入る日は来るだろうか。タイの家の造りは高床式、天井が高い、土地が安いのでやたらと部屋が広いといった特徴があり、冷房効率が悪く、電気代もバカにならない。洋風の家を新築できる中産階級はともかく、一般庶民が冷房を享受できる日はまだ先のことだろう。

それに暑季の耐え難い暑さでも5月にはいれば待望のパーユ(嵐)がやってくる。茹だるような暑い日の午後、突然、風が吹き、大粒の雨が落ちてきて辺りは真っ暗になる。雨粒に交じって雹も降ることもあり、バナナの葉はササラのように裂けて左右に揺れる。豪雨は1時間足らずでピタリと止む。10度以上気温が下がり、緑鮮やかとなった木々の葉から忘れたように雨滴が落ちる。植物ばかりでなく、人間も息を吹き返す瞬間だ。

この爽やかさを演出するために40度の気温があるように思う。好雨時節を知り、という。もし日本に移り住んだとしても40度の暑さよりもチェンライのスコールの激しさと爽やかさを思い起こすに違いない。