チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

中学の同級生

 

 

蘭の花

同上

同上

同上

同上

やはりきれい

 

 

 

中学の同級生

■勉強は不得意

引っ越しをしたので小学校に3つ通った。2年生まで新潟の長岡、それから東京の三鷹市で5年途中まで、5,6年を今の家がある品川区の小学校に通った。三鷹、品川のクラスは勉強ができるクラスメートが数人はいた。彼らが特に優秀だったわけではなく、自分ができなかっただけだと思う。だからと言って塾には行かなかった。弟は曲りなりにもピアノや英語を習ったから、自分のあとに経済成長の余波が及んできて我が家でも習い事が可能になったのだろう。

勉強しなさいと父母に言われた覚えは殆どない。言われなくても自主的に机に向かうような子供ではなかった。中学に入ったら「英語」の授業があった。多分、中1の1学期のことだと思うが、四国から祖父がやってきた。旧制中学から新制高校の校長を長く務めた英語教師であった。どれ、勉強を見てやろう、と言って、Book、Deskと書いてみろという。本とか机の意味は分かるが、英語はスペルを覚えなければいけないという常識が全く欠如していたので何もできなかった。「なんちゃ、でけんが」と呆れたように呟く祖父と恨めしそうに自分を見ている母の光景を今でも思い出す。

これに発奮して勉学に取り組むようになった、といいたいところだが凡人の悲しさ、成績はそこそこ。自覚して勉強を始めたのは中3になってからだと思う。

当時、都立高校には学区制があり、品川区は千代田区、港区、大田区と共に第1学区だった。第1学区には日比谷、小山台、九段など都立有名高がひしめいていた。別に東大合格者数で高校の良し悪しを言うわけではないが、当時、日比谷はトップだったし、小山台は10位以内、九段でさえ20位くらいには顔を出していた。

 

秀才O君

団塊の世代だから、中学の同学年は9クラス、500人近くいた。我が中学は不良が多いという評判で、日比谷高に進学する生徒はゼロ、小山台に数人合格するレベルだった。でも中2、中3で同級だったO君は常にトップの成績、見るからに利発そうな少年だった。我が母などはO君を尊敬していて「ああ云う子が将来、大蔵や通産に入って国を動かすんだね」と期待していた。

なんだ、息子には期待しないのかよ、などと僻む余地もないほどO君のレベルは抜きんでていた。中3の時、旺文社の模試でO君は第1学区で1位になった。我が中学開闢以来の快挙だ。クラスで自分が2番になったことがある。O君の次なのだから、ボクは第1学区で2番ということだよ、と母に言ったが、どんな表情をしたのか覚えていない。心の中でやっぱりこの子はダメかも、と思ったかもしれない。

O君は当然のことながら我が中学からただ一人、日比谷高校に進学した。高校1年か2年の時、電車の中でO君とばったり出会った。どうだよ、学校は。O君は暗い表情で答えた。「日比谷ってところはスポーツや部活で遊んでいる奴の方が成績のいいところなんだ」。彼の母親は教育ママで、息子を東大に入れたいと一生懸命だったそうだ。O君は母親の期待に応えるべく努力を重ねてきた。ところが彼がいくら努力してもかなわない生徒がゴロゴロいる。それが日比谷高だった。

 

■挫折を乗り越えて

その後、彼が東大ではなく東外大の英米科に進学したという噂を聞いた。自分から見れば東外大、それも英米科ならすごいじゃん、と思うが、O君にとってはそれが挫折だったのだろう。彼が3派全学連の活動家になってアジ演説をしているという話を聞いて、どうして、と暗い気持ちになった。O君は大学を中退して行方知れずになっていると、東外大で一緒だった友人から聞いたのは自分が社会人になってからのことだった。

その後、中学の同期会を企画した友人がO君宅に連絡を取ってみたところ、今は心を病んで入院している、もうこれから連絡しないでください、と家族に言われたという。あんなに輝いていた秀才のO君が...。高級官僚になって大活躍しているはずなのに。

それから30年以上経った。兄も同じ中学出身で、中学時代の友人、特に幹事がしっかりしているお陰で、喜寿を過ぎても同期会が開かれる。O君のお姉さんは兄と同期で中学時代からの美人、今でも芸術方面で活躍されており、同期会にも参加されるようだ。兄経由でO君の消息を聞いた。何でも長野だか福島だかで農業をして暮らしているという。自然を相手に自立して生きている。それを聞いて胸のつかえが下りるようだった。

人間、70過ぎれば勉強ができた、できなかったなんて何も意味を持たない。今、元気に楽しく、充実した毎日を送っているかどうかだ。きっとO君もそう思っているに違いない。