家を建てた
■兄弟別居
母が亡くなって今年で5年目になる。こちらでは認知症の母を2人の女中さんに見てもらっていた。女中さん2人も泊まりこみという時期もあったから、家には母と兄を合わせ5人が住んでいた。母が亡くなってからは週3日の通いの女中さん一人で間に合う。兄弟2人で住むには広すぎる家だ。兄は品川の家を2世帯住宅に建て直し、2階に甥一家が、1階に兄が暮らすことにした。家の建て直し計画はかなり前からあったが、例の感染症騒ぎで着工が思ったより遅れて昨年の11月に工事が始まった。そして完工したのが今年の3月、こうして兄は日本に帰国し、自分はチェンライに残ることになった。二人でも広すぎる家に一人で住むのはどうか。家賃もさることながら高級団地であるから警備費、共益費など団地費用も結構掛かる。
タイに来た頃、もし長く住むようなら、土地を買って、家を建てたほうが安上がりですよとアドバイスを貰ったことがある。日本の医者に「お母さまは3カ月でお亡くなりになります」というご託宣を受けていたから、せいぜい2,3年で日本に帰国できると思っていた。いくら土地代や建築費が安いからと言って異国で家を建てるなどとは思いもよらなかった。
2009年から母の面倒を見てくれていたブアさんは住込み勤務の傍ら、我が家の団地から1キロほど離れた村に100坪ほどの土地を買い、自分の家を建ててしまった。確か介護を始めて3年目だったと思う。この介護は長丁場になる、住込みだからアゴアシ付き、給金はほとんど全部残る、と踏んだのだろう。我が家には実が2キロ近くに育つアップルマンゴーの木があった。その種を植木鉢に植えて芽を出させていた。なにしているんだろうと思っていたが、自分の家に植えるためだったようだ。土地代、建築費の総額は彼女の10年分の給金の半分ほどだった。その後、インフレで諸物価は高騰したから、ブアさんは本当にいい時に家を建てたと思う。
今の借家には14年住んだことになるが、その間の家賃総額を考えると相当な豪邸を建ててもお釣りが来ただろう。だが家を建てる意思がなかったのだから仕方ない。
■図面の交付は無し
兄が帰国する、を機会にタイに残る自分はどうしようかと考えた。小さい家に引っ越すか、アパートを借りれば1月3000Bですむ。でも北タイのアパートの一室で老人孤独死、なんてことになれば人に迷惑かけるしなあ。
実は母が亡くなった時、ブアさんにちょっとまとまった金を預けていた。いい土地があったら買っといて。日本と違ってタイでは外国人は土地の所有者になれない、また原則的に自分名義の家を持つことはできない。殆ど預けたことを忘れていたのだが、昨年の12月にブアさんから私の家の隣の土地が売りに出された、これを買うからここに家を新築しなさい。あれよ、あれよ、という間に土地取引が終わり、今年の1月中旬に家の起工式があって、4月にはシャワー・トイレ付の部屋が2つ、それにキッチン、居間、車庫2台分の平屋の家が完成してしまった。
日本で建築関係の仕事をしていた知人がいる。彼は、人様の家は日本で沢山建てたが、やっと自分の思い通りの家を建てることができると言って、奥さんや娘さんのために3軒ほどチェンライに家を建てた。彼に相談したら、きれいな図面を引いてくれた。配筋施工の鉄材の量、金額まで記入してある。ブアさんの村の大工さんは手書きのマンガみたいな見取り図を呉れただけだった。
■予定通りに完工
タイの大工さんは工事をするだけだ。施主が窓やドア、蝶番、床タイル、蛇口、洗面台、シャワー、便器などを買ってきて、大工さんに現物支給しなければならない。これまで家の新築はもちろん、部屋の模様替えだって経験したことはない。インテリアとか床タイルの色合わせ、といっても小学校の図画工作の成績は2だった。デザイン、色、ドアノブの選択などどれににするか、それが建築の楽しみですよ、と前述の知人は言っていたが、自分にとっては苦痛の連続だった。一緒に建材店に付き合ってくれたブアさんに「アライ・コダイ(なんでもいい)」を連発して呆れられた。
タイでは工期が大幅に遅れるのが当たり前、と脅かされていたが、ブアさんの村から来た大工さんとその関係者(電気工事、タイル張り職人など)は真面目に働き、予定通りに家が完成した。これはタイにおいては奇跡的なことだという。
ともあれ、新居はブアさんの家の隣なので、これで孤独死しても早めに発見してもらえるだろう。