チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

煙害は解消するか

 

AQI180 道路が霞む

遠くの信号がよく見えない

木々の向こうに山があるのだが

コック川,昼頃

珍しく農民がいたのでパチリ

これでも昼近く

 

煙害は解消するか

■花粉症と煙害

日本の春は花粉症の人にとってつらい季節となる。花粉にもいろいろな種類があるが、スギ花粉が一番悪さをするらしい。気温が20度を越えると花粉飛散量が激増する。今年はスギ花粉が例年の12倍飛ぶ花粉症の当たり年という。

花粉が飛ぶ季節、日本を離れてタイで過ごす人もいる。タイでもいろいろな花粉が飛んでいるので花粉症に罹る人はいるが、スギ花粉に比べて軽症で済むらしい。

スギ花粉を避けて、どうぞチェンライへ、とお勧めしたいところであるが、2月から4月にかけて北タイはPM2.5の煙害の季節だ。PM2.5とは大気中に浮遊する2.5ミクロン以下の小さな粒子だ。小さいので肺の奥まで入り込み、呼吸器、循環器に悪影響を与え、アレルギーの原因になると言われている。

朝、テニスに行くとき、道路の先はうすぼんやりと濁っているし、7時前なら太陽が裸眼で直視できる。チェンライは山に囲まれているのだが、いつもは紫に見える稜線も濁った空気の中で何も見えない。ただ一面に立ち込めた、というと、文部省唱歌、「牧場の朝」を思い出すが、チェンライの煙害は陽が上がっても雲散霧消することはなく、朝から夕方まで1日中、うすぼんやりしていて気が滅入る。

 

北京より高いAQI

空気の汚染度を計る指標としてAQI(Air Quality Index, 大気質指標)がある。AQI100以下であれば健康に影響はない。しかし、このところチェンライは「健康に良くないレベル」のAQI 150を越えていて、連日170-190となっている。AQI150-200は「心疾患や肺疾患を持つ人、高齢者、子供は、長時間または激しい活動を中止する必要がある。それ以外の人でも、長時間または激しい活動を減らす必要がある」のレベルだ。ステント入り高齢者である自分はテニスなどしてはいけない環境下にあるが、息苦しいほどでもないので、いつものようにコートに通っている。

3月に入れば、時に「パーユ」と呼ばれる暴風雨が来る。この時は、大気はもちろん、自分の肺もきれいになるような清涼感が味わえる。でも北タイの煙害が解消するのはやはり雨の多くなる4月中旬まで待たないとダメだろう。日本には中国から黄砂が飛んできて、九州地方ではAQIが少し高くなることがあるが、日本の平均AQIは38と最低レベルの汚染度となっている。

北京や上海から日本に来た中国人が成田で深呼吸して「ああ、空気がきれいで気持ちいい」という話を聞いたことがある。それだけ中国の大気は汚染されているのかと思っていた。でもネット検索してみると最近の北京のAQIは65、上海は119、天津は65とチェンライよりずっと健康的なレベルに収まっている。もちろんこれは各都市の平均数値であって、特定の交差点等では異常にAQIが高くなっているので何とも言えないが、中国の都市よりチェンライの大気汚染がひどいと知って少し落胆した。

 

■改善の気配

遠くの風景は煙害でうすぼんやりしているが、テニスのボールがみえないほどではない。煙害は山岳民族の野焼きの他にディーゼル車の排気ガスに含まれる微粒子も関係していると言われる。10年ほど前は1ミリほどの植物の燃え滓がちらちらとテニスコートに降っていた。テニスボールは鮮やかなオレンジ色をしているのだが、新品のボールもラリーをしているうちに黒く煤けてしまったものだ。最近はボールが汚れることがない。降灰が無くなった割にはAQIが下がらないのは北タイでも車、特にジーゼルエンジンのトラックが増えているからだと思う。真っ黒な排気ガスをまき散らしながら猛スピードで走るトラックをよく見かける。

これでは、と思っていたがタイ政府も大気汚染に手をこまねいていたわけではない。タイで供給過剰となっているパーム油を7-10%混ぜたバイオ・ジーゼルオイルの普及が昨年から始まっている。これは従来の軽油100%のジーゼルオイルに比較して窒素酸化物などの微粒子の排出が半分以下になるという。東京では石原都知事の時代にジーゼル車規制を断行し、それ以来、東京の空気はきれいになった。

「百年河清を待つ」は黄河の水の澄むのを待つようにいつまでたっても実現性の当てがないことを言うが、北タイの煙害が消える日は来るのだろうか。焼き畑を必要としない農業開発の進展やバイオ燃料の普及によって百年も経たないうちに「煙害セロ」が実現する可能性がないとは言えない。

「百年煙害ゼロを待つ」であるが、自分の生きているうちに実現すると思うほど楽観的にはなれない。