チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

南房総、感傷旅行

 

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宿泊したリゾートホテル

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犬が崎

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足場は悪い

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鯛の浦、遊覧船からf:id:hidenaka24:20210717111336j:plain

見にくいが群がる鯛

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両陛下も半世紀ほど前にご高覧とか

 

 

南房総、感傷旅行

 ■感染症騒ぎの中ではあるが

Yahooから、ここ1年、どこか旅行をしましたか?というアンケートが来た。独り暮らしでだんまりの日々である。ずっと荏原の陋屋に蟄居していたかなあ・・・。でも思い起こしてみると、何度か国内を旅している。九州と四国に数日、それに山中湖にある友人の山荘に2,3度、また娘と越後湯沢の温泉や佐賀の嬉野温泉と数回は旅行に出ている。

西行芭蕉でなくても旅は人の心の琴線に触れる。古人も多く旅に死せるあり、というほど漂泊の想いに駆られることはないが、家でごみ捨て、掃除などの日常の雑事をこなし、ダラダラと過ごしていると、心の中で誰かが「イッツ・タイム・トゥ・ゴウ」と囁く。これはラオスで出会ったオーストリアの退職高裁判事のマンフレッドの台詞だ。その後、一緒にチェンライの少数山岳民族の村などを訪ねたものだ。元気にしているだろうか。そろそろ、出かける時だよ、でも海外旅行へ行けるのはまだ先のことだ。ホント、中国共産党に責任取ってもらいたい。

チェンライでは大型スクータも車もあった。1,2泊の旅なら思い立ったその時に出かけた。女中さんが「もう晩のおかずを買ってあるのよー」という制止の声を振り切ってスクータに跨る。ナーンの湖の畔でイズミ鯛の塩焼き、或いはランパーンの豚骨クイッティオか、気ままな生活であった。

 

 ■知らなかったことを知る

武漢肺炎のせいで東京滞在を余儀なくされているが、映画を毎週のように見ているし、本は図書館で20冊まで借りられる。時には友人とも会う。映画、読書、会話の共通点は、「知らないことを教えてもらえる」ということだ。世の中、へー、そうだったの、ということばかり、これはいくつになろうと変わらない。知らないことが分かるとさらに奥を知りたくなる。そうこうしているうちに人生を終えるのであろうが、好奇心さえあれば、それほど退屈しない日々が続くような気がする。

 旅も新しい発見を求めて、という面がある。7月のある日、高校時代の友人2名と1泊の安房勝浦に出かけた。海ホタルができたので、南房総、勝浦まで都心から1時間半で行ける。勝浦の守谷海岸には我らが母校の校外尞があり、夏の合宿で水泳訓練に励んだ。わが青春、郷愁の地である。昨年、日帰りドライブに誘ってもらったから今回は帰国後2度目の訪問となる。守谷の浜からさほど遠くない丘の上に立つリゾートホテルに宿泊、ここで3人、部屋飲みで高校時代を語る。時は一気に半世紀以上遡る。日本に帰るたびに会っているから、伝統芸能の如く同じ昔話が繰り返される。一人は成績優秀、スポーツ万能、更に音楽でも才能があった。だから高校時代、モテモテだった。自分ともう一人は成績も運動もパッとしなかったから、「お前はモテてよかったよなー」とヒガミ根性丸出しで元イケメンをなじる。でもこの会話がなぜか楽しくて仕方がない。

 

■「再びの機会」はないのかも

せっかく南房総をドライブしたのだから、訪れた観光スポットをいくつか。

守谷海岸の左手、犬が崎に行った。岩礁に打ち寄せる白波と崖の断層が美しい。見とれていると岩から足を踏み外す。5年後はもう歩けないと思いながら、梅雨の合間の晴れ間に広がる青い海を観た。亡くなった友人も少なくない。また来てみよう、が実現するとは限らない、そう思うと眺める景色が還らざる青春と共にひとしお美しく感じられる。

天津小湊の誕生寺は日蓮聖人生誕の地に建てられた古寺である。貞応元年(1222年)2月16日、日蓮聖人誕生の折、小湊湾に大小の鯛が群集浮上し、波間に銀鱗を躍らせて聖人の生誕を祝った、いわゆる日蓮聖人生誕の3奇瑞の一つ、鯛の浦は寺のすぐ前である。鯛の浦は国指定の特別天然記念物となっている。

鯛が群れ集う様子は昭和天皇、皇后両陛下も昭和48年にご高覧になっている。遊覧船が出ている。乗船券は千円である。自分一人だったら絶対乗らなかったと思う。タイで暮らしたため、すっかりケチになっている。同行者のお陰で遊覧船に乗る機会を得た。

定員の3分の1ほどの客を乗せて遊覧船は湾外へ出る。すぐに停船し、船首のオジサンがイワシのミンチを柄杓で撒く。すると鯛が池の鯉のように集まってきて押し合い圧し合いで餌に突進する。中にはブリなど青物が混じるのもご愛敬である。写真を撮ろうと身を乗り出したので、ミンチが手にかかってしまった。こういった些細な出来事を懐かしく思うときがくるのだろう。

 

なお、正確を期すためネットで「たいのうら(鯛の浦)」と検索したところ、「タイの裏社会」という項目が出てきた。こちらも興味深いがここで字数が尽きた。