チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

人権擁護、差別撤廃

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九品仏浄真寺

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比較的新しい仏像

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本堂

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石仏

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最近は断水のところが多い

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鐘撞堂


人権擁護、差別撤廃

■今は活字にできない
小説家の内田百閒が、筝曲家の宮城道雄に質問した。「めくらでも美人はわかるものですか?」。答えは「そりゃ、わかりますよ、美人が来るとその辺りの空気が変わる」。

内田百閒は1920年に宮城の琴の弟子になり、宮城が1956年に亡くなるまで交友は30年以上続いた。それにしても思い切った質問をしたものだと思うが、半世紀以上前はそれほど失礼なことではなかったのかもしれない。今だったら、そういう会話があったとしても活字になることはないだろう。編集者が人権、差別に忖度してカットする。

勝新太郎の「座頭市シリーズ」はテレビで再放映されていた。座頭市をバラバラと取り囲むヤクザが「このどめくら!」と叫ぶ。以前は「ど」の後にピーという無機質の音が被さっていたが、最近は映画そのものが放映されなくなっている。DVDを手に入れてまで観たいとは思わないが、座頭市が大立ち回りの後、「ああ、いやな渡世だなあ」と天を仰ぐ、このシーンは妙に心に残っていて、仕事がきつくなると同じような呟きを漏らしたものだ。「いやな渡世」とワード変換しようとしたら、始めに「いやな都政」が出てきた。今のご時世、「ああ、いやな都政だなあ」がしっくりくる。

■おおらかな時代
社会人の頃、正月の最初の出勤日には社員を大会議室に集めて社長の訓示があった。式典は10時から始まるのであるが、出勤時間を10時と間違えていて、9時半に出社してみると皆、「今年もよろしく」などの挨拶を終えて席についていた。これを懲りることなく何度かやった。社長訓示の集合がかかる前の社内には宮城道雄作曲の「春の海」の筝曲が流れていた。この曲は入社してから会社を辞めるまで毎年変わらなかった。「春の海」を聞くと新年のめでたさと遅刻の気まずさがまぜこぜになった気分を思い出す。

昔はよかった、の老人の繰り言ではないが、あの頃は鷹揚なところがあった。人権とか差別という人も当時からいたのだろうが、今のように差別をした人の総てを否定する、いわゆる「キャンセルカルチャー」という言葉も概念もなかった。40-50年前の寄席では「牛ほめ」、「道具屋」などの与太郎物の上演は普通だったと思うが、今は「これは頭の足りないやつでございまして」などと発達障害児を題材にする落語は放送されない。寄席で入船亭扇橋の「皇室モノ」を聞いたことがある。詳細は忘れたが妃殿下が、お腹が痛くなってトイレに入っている殿下に「でんか」と呼び掛ける。たわいもない話で不敬の至りと分かっていても、いや、それだからこそ笑い転げた。

■欧米の価値観がすべてか
古今東西、「平等」などこの世に存在しなかったし、これからも存在しない。歴史、文化、伝統、言語が違うように人権、差別も時代によって、地域によって違う。

男同士のベロチューで思い出した。豪州出身の国際経済学者、外交官で 上智大学教授、多摩大学学長を歴任したグレゴリー・クラークという人がいる。彼は若い頃、外交官としてモスクワに赴任した。ソ連では男同士でもキスをし、正式には相手の口に舌を差し入れる。彼はブレジネフ書記長と熱いキスを交わしたそうだ。「書記長の舌が口に入ってきて気持ち悪くありませんでしたか」の質問に対し「いや、慣れれば結構いいもんですよ」。

パキスタンでは女の子は生理が始まると外に出ることはできない。嫁に行くときに外に出る。そして夫の家に入り、次に外に出るときは死んだとき、つまりイスラムの女性は10代以降、生きて外に出るのは嫁入りの一回だけである。イスラムで学校に行く少女が襲われるのは千年以上続くこの文化、伝統を壊すことになるからである。

中東では赤ん坊を抱いた親子の写真は殆ど無い。外人が幼児に笑いかけたり、触ったりすることはできない。可愛いですね、と声をかけてもいけない、これらは子供の魂を抜く悪魔の行為だからだ。ベトウィンの私物を褒めると彼らはゲストに褒めてくれたものをプレゼントしなければならない。奥さんを褒めたりしたら大変なことになる。砂漠の井戸は持ち主が決まっていて無断で井戸水を飲むと撃ち殺される。アラビアのロレンスの従者はそれで殺された。彼らは1000年以上そういった掟を守って生きてきた。それだけ続くにはそれなりの合理性がある。西欧の価値観だけが普遍的で正しいとは言いきれない。

皇族は死刑、神社仏閣の参拝禁止、言語は中国語だけ、親と日本語で話したら親は収容所送り、こういった日本が望ましいという価値観の国も存在する。固有の歴史、文化、伝統を振り返りつつ、日本なりの人権、差別を考えるときだと思う。