チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

長生きできる職業

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東急沿線,九品仏浄真寺総門

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左右に仁王様が

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左の仁王像

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如来さま

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やはり日本のお釈迦様の方が有難みがある

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本堂横

長生きできる職業

■頭は使わない
絵描きは無心でカンバスに向かう、頭を使う必要がないと書いた。誰がそう言っていたのかと思い出してみたら、文化勲章受章の洋画家、野見山暁治横尾忠則が対談で語っていた。

(編集)野見山先生も横尾先生も、文章をお書きになりますが、絵を描く作業と原稿を書く作業とでは頭の使い方が違うんですか?

横尾 絵を描くように文章を書くことも、文章を書くように絵を描くこともできないですよね。ということは絵と文は全く違うんです。

野見山 僕は絵を描くときは頭を使わないです。絵は直接画面ですから。例えば散歩しながら、「原稿の出だしはどのように持っていこうか」と考えられるけど、「今描いている絵をどうしようか」とは考えられない。絵は画面に向かわない限り、考えようがない。絵描きは小説家のように頭を使わないですよ。見たところだけ、完全に視覚的なものです。頭は空っぽなんですね。でも小説家は頭が空っぽになったらなにも出てこない。

横尾 文章はやっぱり観念的な仕事で、論理的に書かないといけないから頭を使う。でも絵を描くときは音楽をかけてごまかしちゃいます、考えを。メロディーとかリズムに乗せる、なるべく考えない。肉体作業ですからね。

野見山 無心になる?

横尾 言葉を外していく、という感じかな。

野見山 ものを書くときはそうはいかない。まして、小説家はある年になると、どんどんアイディアが沸いてくるわけじゃないだろうから、絞り出さなくてはいけなくなると、かなり生きているのがしんどくなるのではないかと思う。絵描きはしんどくなることはないと思う。

横尾 絵を描いているときは考えない。それが長命、長生きにつながるのかも。考えていると、ストレスにもなるし、いろんなことで精神が病みますよね。絵っていうのは精神は病まないですよね。

■絵描きは長生き
横尾忠則は続けて、考えないから絵描きは長生きする、例えば、ミロ、ダリ、シャガール、キリコ、ピカソのようにと言う。キリコは90歳で亡くなったが、晩年、脳溢血かなんかで絵筆がブルブル震えていた。でもその震えようが味がある、と評価された。死ぬまで現役だ。職場の先輩で定年後も絵を描いている人がいる。80半ばであるが元気いっぱいだ。自分より長生きされるに違いない。

志賀直哉川端康成は、生まれ変わったら絵描きになりたいと答えている。また、三島由紀夫は「絵画の持つ力はすごい、文学のほうが無力だ」と言っている。無心に宇宙を相手にするがごとき仕事に憧れたのだろう。自分も頭を使わずにできるのであれば絵描きになりたい。でも天分と努力は必要だろうから、まあ無理だろうと思う。小学校の図画工作の評点は2だったし。

絵で生活を立てよう、賞を取らねば、と考え始め、権力や権威にすり寄っていく絵描きは短命に終わるという。ヘルマン・ヘッセは、芸術家が社会に必要以上に関わるとか、政治に興味を持ったり、活動したりすると、長生きしない、と書いている。本来、考えないことで人生が成り立っている人が、環境、政治など観念的なことを発言しはじめると、ストレスは常人の何倍にもなる。一人で絵を描いている方が健康的だ。

■やはりストレスがよくない
ユーチューブやテレビのコメンテータの肩書はジャーナリスト、エコノミスト、数量経済学者、国際政治学者など様々であるが、絵描きという人はいない。絵描きに「ワクチン接種を早期完遂するにあたっての問題点は何でしょう」などと聞いても始まらないと思っているのだろう。

でもマスコミはマクロ経済の大学教授に「大坂なおみさんが全仏オープンを棄権しましたが、これについてご意見をお聞かせください」などとやっている。質問者も回答者も意味がないとわかっている。これなら絵描きに回答を10号カンバスに一筆書きしてもらい、これが問題点です、と示したほうが、わかる人にはわかるという意味ではよろしいのではないか。絵描きがだめなら、またショーンKを連れてきて、彼に「なおみさんにも悩みがあったんでしょうねえ、誰か相談するお友達はいなかったんでしょうかねえ」などと当り障りのないことを喋らせれば済む話し。

武漢肺炎騒動では専門家も専門家でない人も、真実を知らないという意味では絵描き並に違いない。無心の絵かきさんの方が本質をつく発言をするかもしれないが、社会に関わる絵描きは早死にするせいかマスコミには出てこない。こんなことばかり考えたり、書いたりしている自分も無心には程遠く、ストレスで早死にするに違いない。

 

「創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集」 横尾忠則 2018年SBクリエイティブ刊 から引用しました。