チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

結局はボケ防止か

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横浜そごうの10階から

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横浜桜通り近く

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 大きな錨、赤レンガ倉庫近く

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赤レンガ倉庫

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ちょうど飛鳥Ⅱが出航するときだった

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かなりの望遠で右舷を
 

 

 

結局はボケ防止か

■原稿が消えた
週2回、ブログをアップしている。足の骨折、心臓のステント手術、あるいは長期の旅行に出た時も、都合により休載します、ということにはならなかった。原稿のストックは、というと、1,2本だけ。在庫が1本あれば、数日原稿が書けなくても凌げる。なくてもアップして2,3日以内に次の原稿を書けば問題ない。要するにブログアップは綱渡りだ。

友人は「都合によりしばらく休載します、で何も問題ないんじゃない」という。確かに誰も困るわけではない。週3回のジム、週2回の英会話、週2回のピアノのレッスンに通う、そういった人と同じで、やめても誰にも迷惑がかかるわけでもない。ブログの場合、お稽古事のように上達するわけでも、達成感が感じられるわけでもないが、これまでやってきたことをこれまで通り、という惰性で続けている。原稿は誤字、脱字、思い違い、文章の繋がりがおかしいなどの不備が必ずある。書いてすぐには気が付かないから、時間をおいて訂正作業を行うよう心掛けている。それでもミスはあって、アップ後、こっそり直すこともある。

ワードで書いた原稿は「保存」をクリックしてキープしておく。ところがある日、アップ前日に原稿が2本消えていることが分かった。ショックであったが、預金通帳からいつの間にかごっそりお金が消えていた、に比べればどうということはない。将棋や囲碁では勝負の後、「感想戦」といって初手から最後までパタパタと同じ手を繰り返してみせる。それと同じように、前日に書いた原稿であれば、まだ内容が頭に残っているから、ほぼ同じ原稿を短時間で書くことができる。たまたまアップが後回し、後回しの連続となっていた原稿は、書いた本人が忘れているので、始めから書き直しとなる。

3月の四国旅行、お大師様とモラエスで10本以上の原稿を書いた。実はモラエス展示室の説明員とのやり取りや、モラエスの墓に辿り着けなかった経緯を書いた原稿があったのだが、長らく塩漬けになっており、頭の中で復元できなかったため、自動的に没になってしまった。

認知症かそれとも
思い当たるフシはあった。原稿を読み直し、多少の変更を加えて保存しておく。ところがアップしようと最終原稿を開いてみると、ミスが訂正されておらず、変更以前に戻っていることがあった。ああ、ボケがすすんでいて、直したかどうかわからなくなっているのだな、気を付けなければ、とは自分を責めて、アップ直前に直しを入れたことが2,3度あった。

でも、文章の変更が反映されないばかりでなく、書いた原稿がすっぽり消えうせる、これは自分の頭の問題ではなく、間違いなくPCソフトの問題だ。まだボケは進行していないぞ。ワードのソフトをいろいろ試してみたが、復元できない。消えた原稿と青春は戻らない、か。

ワードを終了する場合、「保存する」、「保存しない」、「キャンセル」の3つの枠が出てきて、通常は「保存する」をクリックする。この画面に問題がありそうだと気づいた。3つの枠の上に「保存しないをクリックした場合でも、このファイルの最新のコピーが一時的に保存されます」という但し書きで出てくる。どうやら「保存する」をクリックしても、最新のファイル、即ち、文章を書く前の白紙原稿に戻るらしい、と分かった。
それ以来、原稿を書いたり、変更を加えたりした場合は、ワードからテキスト文書にコピペしておくことにした。あくまで便宜的な方法で根本的解決ではないが、文章がすっかり消えて初めから書き直し、これが防止できる。満足である。

■絵描きと違って頭を使う
レオナルドダビンチの完成された絵は生涯で15点に過ぎない。芸術だけではなく科学、土木、軍事など多才であったため、興味が描きかけの絵から他に移ってしまってそれっきり、となったそうだ。但し、未完成でもデッサンでもダビンチの作品は評価される。

その点、劇作家や小説家など文章をもって生きる人は、作品を完成させないことには評価されない。例えば、いつも殺人事件が起こったところで終了、というミステリーがあったらその本は売れないだろう。絵描きは無心でカンバスに向かう。ほとんど頭は使わないという。でも精霊が降臨して自動書記、という稀な事象が起こらない限り、文章を書くには頭を使う。だから絵と違って書けなくなる作家もいる。しがない文章であるから、書けなくなっても川端康成のように自殺に走ることはないだろう。

まあ、ボケ防止と思ってしばらくはブログを続けようと思っている。