公民館もモラエス展示室
福本ヨネ
ほんの口絵から
展示室の写真
モラエスの書斎を模したもの、展示室から
モラエスゆかりの地、徳島(3)
■おヨネだろうか、コハルだろうか
徳島で独り暮らしをするモラエスはある夏の夜、外出先から戻り戸口に立った。
「しかし、あたりはまっ暗で、あやめも見えない。やるせなくもぐったりとなって、糠雨に濡れそぼち、気分もよくなかったので、鍵穴に鍵をさしこむことも、戸をあけることもせずに、とつおいつ、ためらっていた。ほんの一、二分過ぎたが、長い時間が過ぎたような気がした。こうして、ほとんどほとんど絶望に近い気持ちにおしやられていた。すると、その時であった。たった一本の木、すっくと家の入口に突っ立って門番の代わりをしている茂った一本の樫の枝葉の隙間を抜けて、一匹の蛍が青い光を放ちながら、私の周囲を廻り始めた。それは私の手もとの錠前のすぐ間近であったので、らくらくと、わけなく、鍵穴に入れることができた。こうして、やっと家の中に入ることができた。」
モラエスは、これは偶然ではなく、蛍が死んだおヨネかコハルの化身ではないかと思い至る。
「われとわが胸に問うた最後の疑問の後、私は急に心臓の鼓動が止まるほど強烈な、何とも言えない悲痛な気持ちに襲われた。ほんの一瞬が過ぎた。まもなく、落ち着きを取り戻してから、やっとこの言葉を口ごもった。?『おヨネだろうか?‥‥ コハルだろうか?‥‥』。苦痛に歪んだ震える唇から、やっとこの言葉が出た。そうして口ごもって、まっ暗な空間を見つめ、蛇行形の弧を描いて大空に高く昇っていく、小さい星くずに似たその虫けらの小さい光を、いつまでも追っていた・・・・・
おヨネだろうか?‥‥ コハルだろうか?‥‥」
■追慕の想い、「夢みつつ」から
死者が、かつて生きていた時の嬉しい追憶を胸に抱きしめていて、鳥や虫に化身してこの世に戻ってくる、これは日本人特有の考え方だ。モラエスは日本人と言ってもいいほど日本の文化に浸っていた。日本に惹きつけられれば惹きつけられるほど、異国に住む外人の孤独を感じる。想いはいつも切なくおヨネとコハルと結びついている。
おヨネさんは25歳でモラエスと一緒になり、13年後、38歳で亡くなった。温和で美しいだけではなく、「使いふるしの絹の布切れ、古くなって役に立たなくなった小箱、絹糸の束の残り、毛糸の束の残り、受け取った郵便葉書、手紙、年賀状、店の領収書、小さな絵、身内の写真」など価値のないこまごまとしたものまでかたづけ、まとめて、箪笥の引き出しに大切にしまっておく、「整理好きな、善良な、無邪気な、愛くるしい性質」(夢みつつ)の女性であった。
夢の中でニコニコと微笑むおヨネに向かってモラエスは「もう二度と死なないでおくれ。その通りに生きて、お前の生まれ故郷のこの徳島で、この淋しい独り暮らしを慰めておくれ・・・・」と呼び掛ける。やがて目が覚め、幻影が消えた後も、その微笑は彼を見続けていた。「私はどうやら、おヨネがこれほど優しい女とは思ってもいなかった。ありがとうよ、本当にありがとうよ、ああ、私のかわいそうなおヨネよ‥‥」、おヨネの死から7年たって書かれた短編「夢みつつ」の最終部分である。
■モラエス展示室
モラエスの記念館は眉山のロープウェイ山頂駅の近くにあった。でも山頂公園の再開発に伴って、徳島市役所裏の公民館の一室に移されている。
公民館3階にある部屋のドアを押すと、読書中だった初老の男性が「どうぞ、どうぞ」と招き入れる。モラエスの子供の時から晩年までの写真が壁いっぱいに飾られている。弧愁(サウダーデ)を含む関連図書も展示されている。展示室右奥にはモラエスが晩年を過ごした長屋の書斎が再現されていた。
早速、おヨネさんの写真を探す。これまで小さな口絵でしか見たことがなかった。大きな写真を目の当たりにしてその美しさに改めて感動した。おとがい細く、目元の涼しい楚々とした美人である。縞の着物、手を膝の上に揃えている。ふっくらとした顔と日本髪に比べ、肩の線が細く、はかなげである。
22,3歳の頃からモラエスと懇ろになり、25歳の時に46歳のモラエスと同棲を始めている。同棲後、2,3年しておヨネは心臓病の最初の兆候を見せている。亡くなる前の6年間は病床にあり、「互いに愛し合うふたりの兄妹のように暮らしていた」。元気な時は連れ立って神戸から徳島へ旅行しているし、亡くなる2カ月前には須磨にある敦盛の墓に出かけた。茶店で桃を買い、ひとつをすぐに食べ、ひとつをモラエスに渡し、残りを二人で持って、気分晴れやかに戻った、とある。これが二人の最期の外出だった。