チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

下座から見えること

 

f:id:hidenaka24:20201125110155j:plain

チェンライ花祭りから2020年1月

f:id:hidenaka24:20201125110225j:plain

同上、タイ人はどういうわけかチューリップが好き

f:id:hidenaka24:20201125110229j:plain

期間中何度も鉢を交換する

f:id:hidenaka24:20201125110257j:plain

ユリ

f:id:hidenaka24:20201125110846j:plain

f:id:hidenaka24:20201125110329j:plain

やはり蘭



下座から見えること

旅行中につき2013年10月にアップしたブログを再録します。

■ 骨折の成果
2012年の12月13日に左足首を骨折した。テニスでボールを追っているとき、スリップし、完全に滑りきらない足首に全体重がかかり、敢え無く足の裏が90度外側を向いてしまった。
イテテ、これじゃしばらくテニスができねーじゃねーか。

膝下から足の先まで石膏で固められた。入院2日目から松葉杖を使っての歩行訓練、ギプスが外れるまで1月くらいかかったのだが、松葉杖歩行はかなり上手くなった。石膏で左足が重いのだが、その足を振り子のように使ってリズムカルに歩く。自分の部屋は2階なので、階段も松葉杖を使って上り下りする。始めはひっくり返りそうになって、見守る女中さんを驚愕させたが、階段も「ポッカ・ペック(タイ語でビッコの意味)」と掛け声をかけながら、健常者と同じくらいの速度で上り下りできるようになった。

骨折は必ず治る病気であるから、闘病生活も明るい。ストックホルム症候群ではないが、松葉杖にも愛情が湧いてきて、別れるのが寂しいと思うことさえあった。

整形外科に行くと,同じように足を折った人、手を首から吊っている人、これだけ骨折者が居るのかと思うくらいの肢体不自由者が集結している。中には手足が無い人も居る。自分は治るからいいけれど、身体障害の人のことを思うと「不幸中の幸いだった。ゆっくり休む機会が与えられて良かった」などと思うのが傲慢に思えた。

何事も経験してみなければ理解できないという。外出もママならず、シャワーを浴びるにも不自由を感じていたときに、これが生涯続く人の苦労を少しは思った。電車で足の不自由な人が前に立ったら、必ず席を譲ろう、と思う程度には殊勝な気持ちになったものだ。

■健康とは嫌なもの
何かに健康な人とは友達になるな、と書いてあったような気がする。今は本が手元に無くてもネットで調べることが出来る。徒然草117段に「友とするにわろき者七つあり」とあってその3番目に「病なく身つよき人」がでている。
健康な人は病弱な人や障害者には同情が無い、と言うか同情が薄い人が多いような気がする。
なにっ、風邪で練習休みたいだとぉ、それは貴様の精神がたるんどるからだ、走れば治る、などという教師や上級生は今でもいるだろう。自分にも水泳部時代、「泳げば治る」といっていた先輩がいた。

でもその先輩だって社会の荒波にもまれ、今は立派な高齢者、血圧や血糖値が高くなっているはずだから、なに、血圧180だとぉ、泳げば治る、などと言ってはいないだろう。そんなことを言っても世の中通るのは前の日本柔道連盟理事会くらいなものだ。

健康な人は自分の体力が通常だと思い、またその体力が続くと過信している。自分と同じように他の人が動けないのは、そう出来ない人に問題があると断じて、弱い人を非難する。

体力、能力の劣るものは駄目人間だ、差別されても仕方ない。その考え方を極端に推し進め、社会の無駄の排除に邁進したのがナチスであったということはすでに書いた。

モーム箴言
90まで生きた英国の作家、サマセット・モームは「20代には20代の楽しみが、50代には50代の楽しみが、70代には70代の楽しみがそれぞれある」といった意味のことを書いている。この言葉に初めて触れたのは学生の頃だった。
生意気だったから、60、70の爺さんになっていつも不機嫌な顔して、あんなんで生きている価値あんのか、などと思っていた。20歳の貧困な想像力では「年を取っての楽しみ」に考えが及ばなかったのだ。

自分が70のジジイになってみるとモーム先生は実にいいことを仰っている、と分かる。そうです。人は年に応じて楽しみがある。体力がある、体力が残っている。体力が無くても考えることが出来る。

人に指図する身分ではなく、高齢者で無職という世間から一歩引いた地位にいると、現役のときには分からなかったことが、何だ、そうなのか、と合点がいくことがあるし、社会的に恵まれない人や健康でない人たちに親しみを感じるようになる。この社会がいろいろな人で構成されていて、それで社会全体がうまく成り立っているということに気づくからだ。骨折してみて足の不自由な人の気持ちが少し分かったように、年をとってみて体力の衰えた人に寄り添った考えが持てるようになったと思う。

そういえば兼好法師は「友にするにわろきもの」に健康な人と並んで「若き人」を挙げている。
もし、今の自分が、20歳の時の自分に出会ったら、多分友達にはならないだろう。