チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

日光の湯葉定食

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石段の上が陽明門

 

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陽明門、彫刻がびっしり

 

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左甚五郎の眠り猫

 

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この雀も有名

 

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奥参道石段、すべて1枚板の石でできている

 

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家康公墓所


日光の湯葉定食

■タイなら豪華晩餐の値段
チェンライに戻れなくなってもう8カ月過ぎた。買い物はチェンライの市場ではなく、近所のオオゼキか業務用スーパーだ。7月頃まではすぐタイに戻れるはず、という希望を捨てていなかったので、東京滞在は旅の仮寝という気持ちが強かった。しかし、相次ぐ予約航空券のキャンセルに、じっくり日本の生活を楽しもうと多少考えを改めた。自分の努力で物事が動くことなどほとんどない。仕方ない、あなた任せの年の暮れ,と諦念に浸ってくると、独り暮らしで時間はたっぷりあるし、チェンライと東京のそれぞれ、いいところがある。東京の生活も悪くない。

世の中、すべてコインの裏表。経済でも円高で儲かる企業もあれば、円安で潤う企業もある。武漢肺炎のさなかにあって、旅行、運輸、航空、飲食、あるいは音楽業界のように苦しんでいるところもあれば、配送業、スーパーなど潤っているところもある。

神楽坂を歩いてみた。小路を入った所にある蕎麦屋のお品書きをみたら蕎麦定食が2千円だった。有楽町でも洒落たレストランの昼食代は1500-2500円の範囲だ。開店しているところをみると客はいるのだろう。たまたま、神楽坂、銀座に出るから、高くても美味しい昼食を摂る、まあ言ってみれば、「ハレの日」の昼食ではないか、と解説してくれた友人もいる。そうかもしれない。でも夕食は酒も伴うからもっと高くなるだろう。こういった高級店がちゃんと営業し、お客が入っているのだから、どこが不景気なんだ、と言いたくなる。

■日光へ行く
紅葉の季節になると混雑するだろうと、10月半ばに日光東照宮に行ってみた。40年ほど前に行ったのが最後か。浅草から東武日光線へ乗る。例によってパラパラとしか客は乗っていない。東武日光駅から東照宮の表参道までバスに乗る。土日はすし詰め状態でかなりきついとネットに書いてあったが、バスは空いていたし、神橋経由、約10分ほどであっけなく表参道に到着した。東照宮に向かう参道の両側は杉並木となっている。まずは黒田長政が、元和4年に奉納した石鳥居をくぐる。高さ9.2m、柱間6.7m、柱の直径(太さ)3.6mの石鳥居、筑前の国から切り出された花崗岩で造られている。

鳥居をくぐるには作法があって、まず鳥居の左側に立ち、本殿に向かって一礼する、そして左足から一歩を踏み出す。右側に立ってもいいが鳥居の真ん中は神様の通る道なのでそこは避ける。東照宮のように鳥居だらけのお宮では最初の鳥居で礼をすれば、その後の鳥居は軽く頭を下げて通り過ぎてもよいとのこと。

東照宮に限らず、靖国神社、近所の戸越神社、品川神社等でも、結構、一礼を欠かさない人は多い。また二礼二拍手一礼の参拝作法が若い人にも伝わっている。よい慣習、作法はよい日本人を作るのではないか。


■陽明門で説明を聞く
平成の大修理を終えたばかりの陽明門にきた。このあたり、修学旅行の生徒で一杯だった。修学旅行だって連綿と続く日本の良い慣習の一つと言える。陽明門は、江戸初期の工芸技術の粋が尽くされた東照宮のシンボルである。500以上の動物や人物の彫刻が施されている。陽明門は絢爛豪華ではあるが華美に走り、日本人の感性にそぐわないという人もいる。しかし、豪華ではあるか落ち着きと品格があり、タイや台湾の金ピカ寺とは比較にならない威厳を感じた。

中学生の団体の後ろでガイドさんの説明を聞いた。門は真南を向いており、この先には江戸城があります。四方の龍をご覧ください、目の入ってない龍があるが、それは最後の眼を入れると龍がそのまま飛び去ってしまうからです。また彩色されていない柱がありますが、それは完成してしまうとそのあとは崩壊が始まる、それを避けるためです・・・・。
50年以上前、遠足で東照宮に来たことを思い出したが、ガイドさんの説明は全然覚えていない。

門前町和食店
明治になるまで一般の人は陽明門の先へ行くことが出来なかった。ましてや家康公の墓所がある奥宮に参拝できたのは将軍だけ。今は庶民も奥宮に行けるが、本殿右の200段を越える石段を登る。前を行くカップルが「なんか言葉が少なくなっちゃったね」というほどきつい。5年後はもう無理だろう。

帰途、2キロくらいだから、と神橋から日光駅まで歩いた。昔からの店が軒を連ねている。昼を過ぎていたので和食店に入った。湯葉定食一品だけの店だった。値段は2千円、湯葉で2千円かよ、と思ったが、思いのほか美味しかった。折角、日光まで来てラーメンを食べて帰るより何倍も気持ちが豊かになった(ような気がする)。