チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

映画の楽しさ

 

 

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ウォーレン・ビューティとフェイ・ダナウェイ

 

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狼たちの午後アル・パチーノ

 

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ジュディ・ガーランド

 

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マリア・カラス

 

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パヴァロッティ

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映画の楽しさ

 

■2本立て
帰国して映画館で観た映画は30本を越える。封切館に行くこともあるが目黒シネマ、飯田橋ギンレイホールといった2本立て中心のミニシアターで見ることが多い。
男はつらいよ、お帰り寅さん」、「男はつらいよ、第一作」、またウォーレン・ビューティ、フェイ・ダナウェイの「俺たちに明日はない」、アル・パチーノ主演の「狼たちの午後」といった2本立ての選択には劇場主の思い入れが感じられる。
俺たちに明日はない」は1967年の制作、世界恐慌時代の実在の銀行強盗であるボニーとクライドの、出会いと逃走を描いた犯罪映画だ。「狼たちの午後」は1975年制作、1972年にニューヨークのブルックリン区で発生した銀行強盗事件を題材にしている。

映画は当時の生活を生き生きと伝えてくれる。1969年制作の寅さんシリーズ第一作では寅さんの妹、さくらがキーパンチャーという花形職業についていて、制服着用の同僚OLと集団で働いていた。訪問者待合ロビーでテーブルの上にあった道具を寅さんが取り上げると火がついて慌てて元に戻す。こういった持ち上げると火が付く卓上ライター、あったよな、と懐かしく思う。

■映画は時代を表す
大恐慌時代、銀行強盗を犯しても犯人が州境を越えると、警官はそれ以上追跡できなかった。上役を切り倒しても脱藩すれば隣藩といえども逮捕できなかったのと同じか。ボニーとクライドの愛車(盗品)はフォードV8、8気筒エンジンの最新モデル、最高速度と抜群の加速性能の車で追跡する警察の車が追いつけなかった。二人は86発の銃弾を受けて亡くなった。銃弾で穴だらけになったクライドの背広がネバダ州にあるボニーとクライド博物館に保存されている。

狼たちの午後」の原題は「Dog Day Afternoon」で、Dog Day は「暑い日」の意味があり、日本の題は誤訳ではあるが、悪くない。この映画ではダイヤル式の黒電話、壁掛けの公衆電話が効果的に使われている。我が家にも長らく黒電話があったがいつのまにか無くなった。古物商をしている友人によると黒電話は結構いい値段で取引されているそうである。

■歌手の映画
有名歌手の伝記映画、ドキュメンタリーを立て続けに5本見た。オズの魔法使いの子役で知られるジュディ・ガーランドを描いた「ジュディ、虹の彼方に」、音楽史に永遠に輝く才能と絶賛されたオペラ歌手の「私は、マリア・カラス」、この2本は同時上映、ほぼ同じ時期に生まれ、40代、50代と若くして亡くなった二人の女性歌手を追う。
他にはクイーンズのフレディ・マーキュリーの「ボヘミアン・ラプソディ」、エルトン・ジョンを描いた「ロケットマン」、そして神の声、「太陽のテノールパヴァロッティ」の5本である。

フレディ・マーキュリーエルトン・ジョンLGBTで二人は大変親しい友達だったことがある。ジュディ・ガーランドバイ・セクシャルと知られている。ジュディの劇中でゲイの二人が虹の彼方を彼女に代わって歌い始めるシーンがある。
映画の中であっても男同士の濃厚キッスには思わず下を向いてしまう。LGBTは隠花植物と思っていたがポリコレで一気に開花したのか。最近のハリウッド映画の気に入らない部分である。

エルトン・ジョンはアル中、ヤク中から立ち直ったけれど、フレディもジュディもドラッグで命を縮めた。50歳を過ぎても歌のトレーニングを欠かさなかったマリア・カラスも免疫系薬、あるいは睡眠薬の摂りすぎによる心臓発作で亡くなっている。「マリアとして生きるにはカラスという名前が重すぎるのです」、「幸せも不幸も選べない。神様お願い、打ち勝つ力をください」という彼女の告白には心打たれる。

歌とその生き方で、世界を照らしたテノール歌手、ルチアーノ・パバロッティにも私生活では苦悩があったことをこのドキュメンタリー映画で知った。人々に喜びを与える歌手でありながらスターであり続けるストレスは庶民の自分には想像もつかない。それでもパヴァロッティは71歳まで生きて、前妻、3人の娘、そして30ほど年下の後妻に見守られて亡くなったのだから、カラスに比べればいかほど幸せだったかと思う。

子供の頃、3本立ての映画館があった。午前中に入館しても全部見終わるころには薄暮が迫っていた。映画館の入り口脇には映画シーンの白黒写真が貼られていた。館を出て写真をぼんやりと眺める、この時間が好きだった。パヴァロッティが亡くなった年齢を過ぎた今、ネット検索で映画を振り返り、このような一文をしたためている。白黒写真を見ていた子供と今の自分は重なっている。半世紀以上たっても特に進歩はないのだろう。