チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

巣鴨を歩く

 

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 巣鴨

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本妙寺寺門

 

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説明板

 

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本妙寺本堂

 

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中央、遠山金四郎景元の墓

 

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お玉が池、千葉先生の墓

 

巣鴨を歩く

 

■看板に偽りあり
「チェンライの市場から」という表題でブログを書いているが、ここ半年、東京住まいである。だから看板に偽りありではないかと思っている。行動範囲から言えば「武蔵小山の商店街から」のほうが相応しい。

武蔵小山商店街は武蔵小山駅から中原街道まで約800m続く商店街で、アーケード商店街としては東京最長らしい。約250店舗が軒を連ねている。屋根があるから雨が降っても太陽が照り付けても大丈夫。昨今の猛暑では店から冷気が足元に吹いてきて快適である。特に買い物がなくても商店街を歩く。ついでに戸越銀座商店街まで足を延ばし、1万歩をめざすこともある。チェンライに戻ってテニスを再開するとき、足が縺れて転んでは仲間に笑われる。歩けば健康維持に繋がる。一時より商店街は活気を見せている。シャッターを下ろしている店が少なくなった。4月15日と記憶しているが、この日50枚入りマスクを5千円で売る店が出た。今は50枚入りで398円とか350円だ。種類も豊富になった。犬も歩けば、ではないが何かしら変化を見ることも歩く面白さの一つだろう。

■池袋から2駅、巣鴨
4日に池袋で大学時代の友人と会った。人と会う時、この人は自分のブログを読んでいるかいないかが気になる。あ、それ、ブログに書いてあったよね、などと言われると、顔から火が出るほど恥ずかしくなる。この日会った友人は自分のブログを読んでいない。だから心置きなく話ができて楽しかった。なんといっても同じギャグが使える。彼の奥さんは自分のブログを読んでいるそうだ。それで時折、自分の動静を亭主に報告する。しばらくチェンライに戻れないんだってな。

しがないブログではあるが、息子や限られた人達が、ブログを見て、ああ、まだ生きているんだな、と思ってくれる。生存証明代わりに恥ずかしながら「看板に偽りあり」のブログを書いていると言ってもいい。

池袋から都営地下鉄の駅がある巣鴨まで行った。1駅かと思ったが間に大塚駅があり2駅の距離。(前号では池袋・巣鴨間は1駅と書いたがそれは間違い)。巣鴨と言えばおばあちゃんの原宿とげぬき地蔵で有名な巣鴨地蔵通り商店街がある。駅から400m、徒歩4分となっている。ちょっと寄ってみよう。

巣鴨地蔵通りは江戸時代、中山道の出発地点、日本橋から出発して最初の休憩所(江戸時代の言葉で立場(たてば)と言う)が江戸六地蔵尊 眞性寺から巣鴨庚申塚の間に点在し、町並みが作られた。巣鴨地蔵通りは「とげぬき地蔵尊」と「江戸六地蔵尊」の2つのお地蔵様と巣鴨庚申塚に守られて、商業の街・信仰の街としてお年寄りを中心に若い方々にも親しまれているとのこと。

■金さん、千葉先生の墓
殆ど真上から太陽が照り付ける猛暑の中を駅から北へ進む。ぼんやりと歩いていたせいか、地蔵通りを通り過ぎてしまったらしい。豊島市場からしばらく行くと右側の道奥に大きなお寺の門が見えた。こっちへ行ってみよう。着いた寺は法華宗本妙寺、門の左に遠山金四郎墓所の説明板があった。

本堂へ至る境内の右手が墓所となっており、明暦の大火の慰霊碑があった。あとで知ったが本妙寺は振袖火事で知られる明暦の大火の火元だったという。明治44年巣鴨に移転してきたが、墓も一緒に移ってきたようだ。遠山金四郎景元の墓はすぐ見つかった。なかなか風情のある墓である。遠山の金さんと言えば大岡越前と並ぶ江戸の名奉行、旗本の3男に生まれ、家督が継げる見込みもなく無頼の生活を送っていた。ぐれていた頃に入れ墨を入れたが、模様は「桜吹雪」ではなかったらしい。兄が病死したので家を継ぎ、その後、とんとん拍子に出世、勘定奉行、江戸北町奉行大目付、江戸南町奉行等を歴任、安政2年に63歳で亡くなっている。

江戸町奉行と言えば、警察官、検察官、裁判官の3役を一人でこなしている。その上、金さんの場合、金さんが原告側証人まで兼ねているのだから、被告が無罪になるはずがない。こんな暗黒裁判が許されるのか、と左翼の人が言わないのがおかしいくらいだ。
遠山家の墓所から20mほど離れたところに千葉周作の墓があった。北辰一刀流の開祖だ。偶然であるが遠山金四郎千葉周作も寛政5年(1793年)に生まれ、同じく安政2年(1853年)に没している。

本妙寺から染井霊園を抜けて巣鴨駅に戻った。この日の最高気温は35度超の猛暑。友人と2人でビール中ジョッキ4杯、冷酒の瓶5本を飲んだ後だったから、酔いと暑さで倒れる寸前であった。駅手前で地蔵通り商店街入り口を発見したが、とても行く気にはなれない。楽しみは次回に。