チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

金門島にて死す?

 

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高粱畑

 

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翟山坑道内部

 

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同上

 

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内部見取り図

 

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こんな良い道でも走れなくなった

 

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雨川食堂内部



金門島に死す?

■サイクリング
金門島の広さは約150平方キロ、瀬戸内海の小豆島と同じ位である。小豆島と言えば素麺、醤油、オリーブ油、それに坪井栄の小説、「二十四の瞳」が思い浮かぶ。多くの入り江、半島に恵まれ、温泉もあるところから訪れる観光客は少なくない。最近は電動自転車も借りられるので、全島一周のサイクリングに人気が出ているという。

携帯で予約したホテルはホテルは畑の中の一軒家だった。ホテル入口横には30台ほどの自転車があった。観光地に出かけるには自転車を使えということであろうか。小豆島でもサイクリングが盛んなのだから、金門島も自転車で回れるということらしい。
到着した日にタクシーで主だった名所、戦跡を見て回った。それほど道路の数があるわけではない。その夜、行った場所を空港で貰った金門島全図で確認してみた。古寧頭や都市部である金城市には10キロほどしか離れておらず。充分自転車で行けることがわかった。また、島であるからそれほど道路の数があるわけではない。道を間違う心配もなさそうだ。

■高粱畑
金門島2日目の朝8時過ぎ、数ある自転車の空気圧、ブレーキの利き具合を確かめて、先ずは金城市へ向かう。前日に気が付いたのだが、金門島には水田がない。やたらと穂が長い玉蜀黍畑が広がっている。これは玉蜀黍ではなく高粱と後で知った。金門島は水がなく、かつてはサツマイモ、落花生くらいしかできなかった。高粱が栽培され、それを醸造、蒸留した高粱酒が金門島名物になったのは比較的最近のことで、古寧頭、金門砲戦で活躍した胡璉将軍が高粱酒の会社を作ったのが始めとか。

糸杉に似た並木道の道路を金城市へ向かう。途中、右手に古寧頭戦史館へ曲がる道があったが、帰りに寄ろうとそのまま通りすぎた。金城市のある金城鎮は人口4万、商店や飲食店が立ち並ぶ都市である。ここまで1時間余り、道路は空いているし、暑くもなく、寒くもなく快適である。海にぶつかったので道路を南下して翟山坑道へ向かった。

■翟山坑道
翟山坑道は金門島の南西部、海に直結して作られたトンネルである。金門国立公園管理處によって改修が行なわれ、1998年正式に観光地として公開された。全長357mのA字型隠し水路は、金門砲戦のあと3年の歳月をかけ1966年に完成したもので、小型上陸艇の基地として使用された。洞内には波止場も設置されている。

有事の際は、ここに40隻以上の小型舟艇を避難させ、またここから海上へ出撃することができるという。幅6m、高さ3.5mの地下道を100mほど行くと、外海につながる水道に行き当たる。海とつながっているので水路を覗きこむと多分クロダイと思われる魚が数匹遊弋しているのが見えた。洞窟内部は青い照明に照らされて、軍事施設とは思えないほど幻想的である。音響効果が素晴らしいということで時折、演奏会が開かれるという。そういえば獅山砲陣地も花崗岩をくり抜いた坑道で、坑内の天井が高く、広い場所でコンサートが開催されるとあった。金門島にはこのほかにも坑道を掘った軍事施設があるから、坑道演奏会を巡る旅を売りだせば更に観光客が増えるかもしれない。坑道の入り口の前は広い公園となっていて、戦車や大砲、高角砲、上陸用舟艇などが展示されていた。

■ステントが外れた?
翟山坑道見物を終え、昼食を摂ろうと金城市に戻ろうとした。来るときは気が付かなかったが、なだらかな坂になっていて、登ろうとしても力が入らない。おりて自転車を押す。下り坂になったら再び自転車に乗る。週に数回テニスをしていても、テニスと自転車では使う筋肉が違うようだ。日差しも強くなってきて、ペダルを踏む足が動かなくなってきた。目の前が暗くなる。市内に入ったものの金門楊家、雨川食堂という牛飯店の前の歩道にへたり込んでしまった。このへばり方は尋常でない。もしかしたら数カ月前に施術した心臓冠動脈のステントが外れたのではないか。日本の老人観光客、自転車に凭れたまま不審死、と新聞に載るのであろうか。金門島にまで来て外務省や兄弟に迷惑をかけることになるのか。

食堂横にあった自販機でお茶を2本買い、それをゆっくり飲んでいるうちに眩暈も治まってきた。何か食わなくては、と雨川食堂に入り、牛肉ご飯とテールスープの昼食を摂った。食べたら元気になったと言いたいが体力は低下したまま。ペダルを踏む足は重い。左手に古寧頭戦史館への道が出てきたが、とても行く元気はない。なんとか3時過ぎにホテルへ帰着、6時間のサイクリングだったが、サイクリングはほぼ半世紀ぶりだったことに気付いた。慣れないことと合わせ、暑さで熱中症に罹ったのだろう。