チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

10月も終わり

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チェンライの10月もコスモス

 

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よく見かける花ですが・・・

 

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葉鶏頭と思います。

 

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大きな木に咲いていた。

 

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ごく一般的な蘭


10月も終わり

■これからが良い季節
10月と言えば出安居だ。お坊さんが修行のためにお寺に籠る期間が明ける。今年の出安居は13日だった。実はこの日、1週間の台湾旅行を終えてチェンマイ空港に到着、夜9時半にバスターミナル近くのホテルに着いた。近くのコンビニへ行ってみたら缶ビールの収納棚に鍵がかかっている。それでこの日が出安居の日と悟った。この日はタイ全国で酒類の販売、提供が禁止される。実はビヤバーの近くのホテルに泊まって女の子でも冷かして、と当初は思っていたのだがそうしなくてよかった。お酒の提供が禁止だから、ビヤバーはもちろんレストランも休業するところが多い。

暦の上では出安居で雨季明けとなるが、立秋のあとも日本で猛暑が続くように、10月の中、下旬になってもチェンライでは雨の日があった。それでも次第に朝の最低気温が20度を下回る日が出てきて乾季への移り替わりを感じるようになった。チェンライのオーバーブルック病院から1号線に向かうシンハクライ通りは直径1.5mはあろうかというフタバガキの並木道となっている。その大木に蘭が纏わり付いている。この季節、紫や黄色の蘭の花が咲き始めて、通る人の目を楽しませる。最近は王母様の庭園、メーファールアン庭園から足が遠のいているが庭園の蘭やブーゲンビリアが一番美しく咲き誇る時期でもある。

■香港行き中止
9月は雨の日が多かったし、前月のパタヤ往復ツーリングで体力を消耗したせいもあって海外には出掛けなかった。前述のように10月に台湾に出かけた。この6月の百万人デモ以来、香港の情勢を注視していた。米英は人権、自由を振りかざして中国に対峙しているから妥協点はない。民主勢力かそれとも共産党独裁が勝つかの戦いである。一種の戦争である。戦争は勝たなければならない。勝つためには勝ち馬に乗る、或いは強国と同盟することが必要だ。

日本は戦後の冷戦、日清、日露戦争第一次世界大戦と勝ち馬に乗るか、強国の後押し、同盟があって戦勝国となった。唯一、大東亜戦争では孤立して戦ったため、敗戦の憂き目にあった。香港問題をみると、どう見ても中国の勝ち目はない。それなのに日本の政府、国会、マスメディアはどうして香港の民主派を支持、応援しないのだろう。アメリカに踏み絵を踏まされるまでどっちつかずの態度をとるのだろうか。

もし香港が落ちれば、次は台湾、そして尖閣、沖縄と中国の手は伸びてくる。亡国の危機が迫っているのかもしれない。それで香港に行って実際に起きていることを見ておきたいという気になった。しかしながら事態はますます深刻化していく。ヘネシー通りで警官隊に追っかけられたら。今の自分の足では逃げおおせることは難しい。ボコボコにされたら総領事館始め兄弟、知人に迷惑がかかる。いろいろ言い訳はあるが、航空運賃が数倍に跳ね上がったことが香港行きを諦めた大きな理由だ。それで香港が駄目なら、と決めたのが台湾、安い、旨い、近い。

■日本人を探し求めて
台湾行きの切っ掛けは他にもある。チェンライ在住30年の知人、Iさんとの会話はその一つ。彼は、半裸、ひとつの鍋に手を突っ込んで食事する極貧のタイ農民に衝撃を受け、この30年、彼らの生活向上に取り組んできた。タイの見えない大きな壁に阻まれて、その雄図は実現したとは言えない。しかし彼の誠実さは、古き、善き日本人が持っていた道徳に通じる。その彼がチェンライに日本人はいない、という。

俺の金で俺の自由にしているんだ、なんの文句あるんだ、女を買おうと朝から飲もうと勝手じゃないか。そんな日本人がチェンライに増えた。でも差別されずにタイで安穏に暮らせるのは誰のお陰か、この年まで生きているのは誰のお陰なんだ。天からポッと降って来て、今ここにいるのか、丈夫に産んで育ててくれた両親、祖父母、教えてくれたり助けてくれた先生、同級生、近所のおじさん、おばさん、そういった無数の人の助けがあってのことでしょう。

タイ人が暖かく接してくれるのは、インパールで戦った、そして戦後働き抜いた先人が作ってくれた「日本ブランド」あってのことじゃないですか。タイや韓国の老人はいくらもらえるのか知っていますか。日本に生まれ、日本で働けた、そのお陰で年金があるのでしょう?愛国心なんて言うつもりはないがせめて日本人として恥ずかしいことはしない、両親に感謝する、それくらいの気持ちがあってもいいのではないですか。

台湾の教科書には尊敬される日本人が登場する。そういった日本人の記念館も存在する。戦前の日本人の道徳心を知るには台湾を訪れる必要がある。