初めての授業
エー、まず皆さんとこれから一年、一緒に勉強できることを大変うれしく思います。
JICAのSVとして2年の任期で「ベンチャー論」をカレッジで教えます。
ベンチャー論は経営学の一部ですが、米国では戦後、日本でもここ20年くらい前から大学で教えられるようになってきた比較的新しい学問です。日本には700くらい大学がありますが、おそらくそのうち100ほどの大学でベンチャー論が講義されています。経営学の一部として教えられている場合もあるし、ベンチャーファイナンスと言ってベンチャー論の中の更に一部を講義されている先生もいます。
ところで経営論を教えている先生に共通している悩みがあります。それは経営論という経験科学は、皆さんのように実務経験のない学生にとっては余り興味がわかず、退屈な話になってしまうからです。それをどうやって、1年飽きさせずに講義するか、それが教師にとって頭の痛い問題です。
米国でもビジネスアドミニストレーションの授業は20歳代後半から30歳前後の実務経験を持つ学生が受けるのが普通です。何年かの実務経験があれば、組織論、経営戦略論、ロジスティックス、リーダー論などの話が実感を持って理解できる。皆さんは会社という組織に属したことがありませんし、起業しようにもビジネスをした経験がないので、起業の話も実感がわかないでしょう。
ところで大学の成立は12世紀の北イタリア、ボローニャにあるといわれています。ヨーロッパはそれまで領主の権力や都市の規模が小さかったので別に高度な学問(例えば体系的な法律)を必要としていなかった。俺が法律だ、と領主が言えばそれですんでいたわけですね。しかし12世紀に入って都市の発展が著しくなり(法律といったものが必要になる)、十字軍遠征に触発されてイスラム圏との交易が活発化すると、そちらを経由する形で古代の著作がもたらされるようになりました。
ボローニャに12世紀初頭、イルネリウスという学者が現れてローマ法の注釈を行い、続いて1140年頃にグラティアンという人が教会法の教科書を執筆した。いつの頃からかボローニャにはイタリアのみならずドイツやフランスからも法律を学ぼうとする人々(つまり学生)が数百人も群れ集まるようになっていた。遠方から単身やってきた学生たちは、まず、下宿代や生活必需品の値段をつり上げるボローニャ市民に対抗するために「組合(ウニヴェルシタス)」を結成した。
この学生の組合が現在の「大学」のそもそもの起源だそうです。 学生組合は教授を雇い、授業料相応の講義を要求した。許可なしの休講厳禁、5人以上の学生を集められないレベルの低い講義は休講とみなして罰金、時間厳守、教科書の記述を飛ばして教えること禁止、だからといって序論とかに時間をかけすぎることも禁止、難問もきちんと教えるべし、等々。ボローニャ大学で教授されていた必須3科目は法律、医学、それから神学です。他に7科目の選択科目があった。文法、修辞学、論理学の3学と算術、幾何学、天文学、音楽の4科ですね。経済学なんか学問ではなかった。
経済学の父と言われる人を皆さんご存知ですか?(生徒からアリストテレス、カール・マルクスなどの声が上がる)経済学の父と言われているのはアダム・スミスです。皆さんご存知でしょう。彼が有名な「国富論」を書いたのは1776年のことです。彼は経済学者だったのでしょうか。いいえ、彼はグラスゴー大学で道徳哲学をおしえていました。
と言うわけで経営論が教えられるようになったのは1900年代初めの米国でした。西へ、西へと開拓が進み、大量の移民が流入し、すばらしい勢いで発展する新しい国で、理論なんかおいといて「役に立つこと」は学問として学ぶ価値があるというプラグマティズムという考え方が生まれました。まさに経営学はプラグマティズムの申し子です。
この授業では小難しい理論はやめて、実際に成功した起業家の実例を沢山取り上げます。そこに皆さんが日本人以上に金持ちになれるヒントがあるかもしれない、また起業は人の心を読んで、物やサービスを買ってもらうという行動です。皆さんは異性にもてたいでしょう。相手の心を読むというのは恋愛の基本です。授業を聞けば必ずもてるようになる(と思います)。
しかし、起業は知識だけでできるものではありません。知識は教えられるが知恵は教えることはできない。授業を通して皆さんに「自分で考える」ということをお願いしたい。それが知恵を生み出す基本ですから。
最後に絶対失敗しない方法をお教えしましょう。起業でも人生でも・・・。
それはチャレンジしないことです。入試に失敗したくなかったら受験しない、失恋がいやなら異性と付き合わない、夫婦喧嘩がいやだったら結婚しない、おなかを壊すのがいやだったら美味しいものでも一杯食べない・・・
でも皆さんはそういったチャレンジしない人生を送りたいでしょうか。(全員首を横に振る)
今日はこれで終わり。