チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

サマルカンド その1/4

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サマルカンドへ行く。その1(タクシー)

これから4回に分けてサマルカンドのツアーレポートをお送りします。

ウ国の首都タシケントを知らない人でも世界遺産サマルカンドの名前は知っているだろう。シルクロードの要衝として栄え、「青の都」「イスラム世界の宝石」「東方の真珠」などと称される。
紀元前にサマルカンドに攻め入ったアレクサンダー大王も、7世紀にインドへ向かう途中の玄奘三蔵もその美しさに驚嘆したという。しかしチンギス汗による侵攻で都は徹底的に破壊しつくされた。今の景観は、14世紀にチムール帝国を築いたチムール大王がシリア、イランなど各国からえりすぐりの職人を集めて新しく建造したものである。

週末を利用して通訳のベクムロード君が故郷のサマルカンドへ帰省する。それにあわせてご一緒に、とお誘いを受けた。夏休みにも入っているし、幸いJICAからの私的国内旅行許可願も受理された。タシケントからサマルカンドへ行くにはバス、乗り合いタクシー、列車、飛行機といろいろ方法があるが、我々は地下鉄ソビルラヒモフ駅周辺から出るタクシーを利用した。駅を下りるとバスやタクシーの客引きでごった返している。バスだと3000スムから乗れるが6,7時間かかる。タクシーだと4時間弱、4人相乗りで一人8000スム、289キロの距離をタクシーで運んでもらって800円である。タクシーは客が揃うまで出発しないので少し待つことになる。その間に1Lのペットボトルを買う。
タクシーは右にイポドロームバザールを右に見ながらタシケント市内を抜け南西に向かう。片側2車線あるいは3車線、時には工事や市内に入って1車線になるが、ほぼきれいに舗装された道路を100キロ以上のスピードで走る。市内を抜けると両側は見渡す限りの綿花畑になる。刈入れを終わった小麦畑に牛が放牧されているところもある。なだらかな丘陵地帯が続き、ポプラだろうかところどころに喬木が見える。

高速道路ではないことは路肩でスイカやメロンを積み上げて売っていたり、トコトコとロバに引かせた荷車が通ることで判る。時には牛が道路を横切ることもあるから運転は注意を要する。視界をよくするためであろうか、定規で引いたような直線道路が続く。気温は40度を超えているので、いわゆる「逃げ水」現象で遠くの道路が水に濡れているように見える。はるか前方を走る車の反射光が逃げ水に映ってきらきらと光る。
冷房は体に悪いと思われているので、窓を開け放して冷房は入れない。人間乾風機みたいなもので喉が渇く。全員1Lペットボトルを買っていたがこれ必需品といえる。水が垂れるほど濡らしたタオルをペットボトルに巻き、風に当てると10分ほどで乾いてしまう。蒸発熱でペットボトルの水は冷たくなる。

高速道路ではないので、通行料はかからないが、県境にある検問所で警官にストップを命じられると、運転手は500スム札を持って車を降りる。警官の停止命令は恣意的であるので、停止を命じられなければ検問所を徐行してそのまま通り過ぎることができる。停止を命じられたら「運が悪かった」と思う他はない。運転手が検問所を通るたびにダッシュボードからお金を取り出し、通り過ぎるとまたお金を戻すという動作を繰り返す。

出発から45分でシルダリアを通り過ぎ、1時間半ほどでジザク市内に入る。このあたりから遠くにサマルカンドの山々がうっすらと見え始める。3時間ほどでサマルカンド県内に入り、市内に着いたのは出発から3時間45分後だった。この間、一回もトイレ休憩はない。もしトイレに行きたくなった場合は、運転手にその旨を伝え、紙を持って草むらへ一目散、ということになる。

ターミナルからベク君の実家まで更に約20キロ、途中の店で干菓子、乾燥果実など10種類以上買った。1000円も買うと大きなポリ袋一杯になる。さらにサマルカンド風ノン(写真)を数枚、スイカを3個購入し、白タクの中はみやげ物で満杯、まるで鬼退治から戻った桃太郎のような感じでベク君の家に着いた。
家の前にはご両親をはじめ、10人以上の人が我々の到着を待っていてくれた。(続く)