チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

赤丸卒業式で祝辞を

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バンク・カレッジ赤丸卒業式で祝辞を述べる

今年のタシケント・バンク・カレッジの卒業生は756名である。その中で成績優秀者140名だけが集められて卒業式が行われた。場所はウズベキスタン銀行協会のコンフェレンスルーム。銀行協会、大手銀行の役員(イコール政府要人)のご臨席の下に挙行される名誉ある式典だ。炎天下の中、9時半の開場を待って生徒、教職員が20階建ての協会ビルの前に参集する。こちらでは日陰と日向の体感温度差がかなり大きいので皆、日陰でたむろする。

男子は白シャツにネクタイ、女子はドレス、イスラム民族衣装、髪もきれいにセットしてきている。皆盛装しているので美人に見える。3対7で女子生徒が多い。やはり女子のほうがよく勉強するのだろう。
会場に入るにはフェンスで囲まれたビル敷地内とビルの入り口の2箇所で身分証明書を提示しなければならない。ウ国の人はいつでもどこでも官憲に提示できるよう常時パスポートを携帯している。会場は2階席まである豪華なつくり。前に学校で行われた一般卒業式とは違い、息子、娘の晴れの姿を見ようと父兄の参加も目立つ。

式は来賓の出席を待って10時8分に開始。本日は通訳のベク君とともに始めから壇上に上がり、学長はじめ、お歴々と並んで座るザイニディン学長の挨拶。挨拶は1週間前に学校で行われた一般卒業式に比べかなり長い。挨拶の区切りごとに会場から拍手が起こる。旧ソ連中国共産党大会の要人演説のノリだ。全員起立しての国歌演奏。全員胸に手を当てて真剣に聞く。ビデオ撮影チームが式の模様を撮影している。聞いてみると国営テレビの取材が入っていて、卒業式の模様が今晩のニュースで流されるという。これは出席者一同、力が入るのも無理はない。

このあと、卒業生はザイニディン学長から直々に一人一人名前を呼ばれ、壇上に上がって、卒業証書を受け取る。協会からご褒美に本が1冊、また献花台のようなところからバラを1本手渡される。卒業証書を受け取るのはもちろん、授与するほうも名誉なことらしい。銀行協会役員、世界経済大学学長等、授与者が次々に学長から紹介を受けて、うれしそうに生徒に証書を手渡し、握手を交わす。父兄も子供が偉い人と固い握手を交わしているところをデジカメに収めようと、壇のすぐ下でフラッシュをたく。もう一枚、もう一枚と式の進行が滞るのもたびたびだ。

18,9の女性はそれでなくてもきれいのに、絹の衣装に肩から国旗を表す空色、白、緑の3色のたすきをかけ、頬を紅潮させて 授与者、会場関係者に微笑む姿は見ているだけでうれしくなる。これからこっちは英語で挨拶、という緊張が一瞬途切れるくらい美しい。

証書授与が終わると来賓、教職員3名から祝辞があった。祝辞のトリは自分である。通訳を引きつれ、登壇する。卒業を英語でコメンスメントといい、出発、始まりを意味すること、これから仕事につく、あるいは進学する皆さんにとって卒業は終りではなく、新たな出発を意味すること、皆さんが今、心に抱いている夢は、家族の、そして国家の夢でもある、強く夢を持ち続けて、来賓の皆さんの励ましの言葉を忘れずに、これまでそうであったように出来る限りの努力を続けていってください、と述べ、最後にウズベク語で、ありがとう、卒業おめでとうといって挨拶を締めた。

そのあと、答辞を3名の男女生徒が登壇して述べ、学長の短い挨拶があって1時間ほどの卒業式は無事終了した。

おー、やれやれ終わった、と思ったら、何十人もの生徒が壇上に上がってきて、もらった本にサインしてくれ、一緒に写真を撮ってください、ともみくちゃ状態になった。こんなにモテたことはわが生涯初めてのことである。我ながらキタナイ字だなと思いながらも必死にサインし、デジカメに向かって笑顔を作る。女の子からは花束をもらったり、いや、スターの皆さんのご苦労がちょっとわかった一日だった。