チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

通勤事情

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通勤事情

通勤にはバス、トロリーバス、マシュルートカ(写真・8人乗り軽ワゴンバス)の3つのチョイスがある。
以前はマシュルートカが集まる地下鉄ベルーニイ駅まで15分ほど歩いていたが、6月、7月ともなると朝からものすごい暑さになってきて、少しでも歩かないですむ方法を考えてしまう。乾いた熱風というのはちょうどジェットエンジンの排ガスにあたっているような感じだ。アパートを一歩でると「うーん、このまま歩くと熱中症になる」とすぐ予測がつく。

一番歩く距離が少なくてすむのは、アパートのすぐ前にあるバス停で、114番のマシュルートカを待つことである。次から次へやってくる軽ワゴンの前方に張り出してある番号を読み取る。114番のマシュルートカは学校の正門まで運んでくれる。ただし、9時前はお客が多く、8人満杯になっていることが多い。座席は運転手の隣、中央と後方に3人ずつ座る。ぎゅうづめだ。後方に乗った人は中央の人にお金を渡す。
お金を受け取った人は運転手にお金を渡す。お釣りはその逆コースで後方席に順繰りに渡されていく。時には助手席に乗った客が料金の受け渡し代行を勤める。運転手は70キロ以上のスピードで飛ばしながらお金を受け取り、お釣りの札を数える。いつも走っている道路なのでどこにでこぼこがあるか熟知しており、高速で飛ばしながら急カーブを切って陥没箇所をよける。隣がウズベクの太ったおばさんだったりすると、遠心力により豊満な肉体が息もできないくらいに押し付けられる。
お金を数えながら、それぞれお客の好みの場所で下ろし、車中の人数を常に確認して空きがあれば次々にお客を拾っていく。これで値段は150スムだ。114番バスに乗れればアパートから学校へ15分ほどで到着する。これが一番早くて安い。

アパート前のバス停に4番というトロリーバスが来る。これに乗ると学校から歩いて5分ほどのカムドウシュ24というバスターミナルまで行ける。これは時間がかかる上にトロリーの電気をとるパンタグラフがよく外れる。修理時間が不明で、到着時間が判らないせいか乗る人が少ない。うまくいけば25分ほどで終点まで着くのだが、先日は2回パンタグラフが故障し、運転手と車掌が降りて金槌でとんとんやりながら部品交換を行っていたので、到着まで45分かかった。乗客は文句も言わずに修理が終わるのを待っていた。料金は160スムである。

アパートからバス停ひとつ分歩くと交差点にあるバス停に着く。ここで87番バスを待つという手もある。終点はトロリーバスと同じくカムドゥシュ24だが、手前にある学校前のバス停に停まる。時間は20分足らずだ。ただ乗るときはいつも満員で、途中の地下鉄ベルーニイ駅までは人は降りない。でもその時間は5分足らずなので我慢して乗る。料金はトロリーバスと同じく160スムである。200スム札を出すと小銭を出すのが面倒なのか50スム札をお釣りに寄こすことが多い。
この国では料金の端数切り下げ、切捨ては普通である。レストランで770スムだとするとお釣りは200で我慢しなければならないし、逆に750スムのサクランボを買うとお釣りを300スムくれることがある。びっくりしたのは銀行でドルを換金したととき12400スムのはずが12500スムと100スム多かったことである。銀行でお札を抜かれることがあると聞いたがこういった細かい計算のつじつまあわせをやっているためではないかと思う。

アパートの前から白タクを捕まえれば、1000スム(100円)くらいで学校まで運んでくれるし、アパート前をひっきりなしに通るバスにどれにでも乗ってベルーニイまで行き、そこで乗り合い白タクに乗れば160プラス200スムで学校へ行ける。老後の年金が当てにならないからと倹約をしているわけではないが、何となく最低料金で通勤している。

実は、自分の前任者、前々任者はJICAの手当てが高かったため、月400ドルで運転手つきの車を雇って通勤していた。だから学校関係者はどうして今度の先生は運転手付きの車で通勤してこないのだろう、と訝しく思っていたようだ。
ある日、学部長に何故だと聞かれたので、「JICAの予算が減り、SVの手当てが激減して、マシュルートカで通うのがやっとなんだ」、と説明した。学部長は大笑いして握手を求めてきた。仕方ないので握手したが、正直言って握手なんかしたくなかった。