チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

日本人総会

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日本人総会に出席

先日、ウ国日本人会総会があった。会場はウズボウル。10レーンほどのボウリング場である。タシケントにもボウリング場が3,4箇所あるが、ウズボウルはその中でも一番高級なボウリング場である。そこを借り切って、午前はボウリング大会、昼から同じ場所で表彰式、及び日本人会総会が開かれた。

昼前に会場についてみると、みなラフな格好で、人によってはビールを飲みながら、ボウリングに興じていた。チーム対抗で賞品が出る。並べられている賞品を見るとチョウシタのサンマの蒲焼缶詰、ナガイのふりかけセット、桃屋のメンマなど、こちらではよだれが出るような貴重品ばかりだ。参加者は4,50名だろうか。個人年会費10ドルを払う時に役員に聞いてみると、現在の在留邦人は130名を割っているとのこと。地方にいる邦人もいるから出席率はまあまあだろう。もしバンコクで総会をやって同じような出席率だとすると、サッカー場を貸切にしないと入りきれない。

60代後半のSVの方々も昔取った杵柄で、ストライクを連発している。やはりボウリングの部は参加しなくてよかった。最近、歩くことは別にして運動から遠ざかっている。突然ボウリングのような激しい運動をやれば腕や肩の筋肉痛になることはわかっていたし、それにボウリングはあまり得意ではない。

会社に入りたての新入社員のとき、「歓迎ボウリング大会」が職場で催された。女性はハンデがあったが、新入社員とはいえ男子にはハンデがなく、ガーターを連発した自分はブービーメーカーになってしまった。女子社員の哀れみの眼が忘れられない。

その上、ボウリング大会の数日あとに行われた麻雀大会でも全くツキがなく、役満に振り込んだりして、これもビケになってしまった。翌日上司から「ボウリングもだめ、麻雀もだめ、お前はいったい何ができるんだ」といわれたことが、今でもトラウマとなって残っているのかもしれない。

在留邦人の半分がJICA関係者ということで、パーティでもさびしい思いをすることもなく、数社しか事務所がないという商社の方たちとも初めてお話しすることもできた。日本からの企業進出がなく、また日本に売るものがないという国でのビジネスはラクではないと思う。
ジェトロタシケントに事務所を置き、一人の日本人職員(所長)ががんばっているが、全世界76箇所ある在外ジェトロ事務所の中で、3つの指に入るほど案件の少ない事務所と言っておられた。ウ国はダブル・ランド・ロックド・カントリーといって2つの国を通らないと海に出られない。物品の陸送は何とかスタンとか中国のような怪しい国を通らざるを得ないため、リスクも輸送コストも高くつく。したがって両国にとってメリットのある貿易物資が限られてくる。

総会は名誉会長の楠本大使のご挨拶のあと、会長、副会長の交代、規約の改定などの案件が「拍手多数」というきわめてうるわしい日本的議決方法で短時間のうちに決定していった。あとは、食べる、飲む、話すのパーティタイム。すでにゲーム中から飲み始めている人も多く、和気藹々。

NGOで5年、こちらの大学でマネージメントを教え、近くお帰りになるというKさんとお話をした。実はたびたび、彼をナボイ劇場でお見かけしていたが、朝鮮系ウズベク人と思っていて話しかけることがなかった。(ロシア語のプログラムをいつも読んでおられたので)向こうもそう思っていたかもしれない。
Kさんからこの国のエリートの優秀さ、その優秀さは管理にのみ発揮されて、自らは手を汚して、率先して働くことはないというお話を聞いた。日本の養鶏場に実習に行った学生は帰国して、2度と自分から餌の調合や鶏卵の集荷などの仕事をすることはなかったという。「若い人に起業を教えることは大切です。この国の将来は若い人の肩にかかっているのですから」と励ましてくれたが、この国の発展を阻むソ連時代の制度、思考様式がいまだ強いことを改めて知った。

ボウリングもしていないのに、多少の疲れが残ったのは昼に飲んだビールのせいだけではなかったように思う。

p.s.7月15日「世界不思議発見」(土曜日21時TBS)はウズベキスタン特集です。