チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

2つの講演会

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2つの講演会を聞く

タシケントの日本センター主催で時折、講演会が開かれる。
学校とアパートの往復、時にバザールで買い物とあまり刺激のない生活であるから、こういった催し物はうれしい。小学校低学年のとき裏日本の小都市に住んでいた。テレビなどない時代だったから娯楽には乏しい。時々巡回映画というものがまわってきて、小学校の講堂で映画を上演してくれた。その時のわくわくした気分を思い出してしまう。

先日「大使と語ろう」という催し物があった。楠本ウズベキスタン大使(写真左)が1時間の講演と30分の質疑応答を行う。月1回の連続シリーズになっていて、日本の政治、経済、文化など各回テーマを絞って講演される。自分が聞きに行ったのは「日本の文化について」だった。
もう何度目かの催しなので会場は若いウズベク人や各国の文化関係者で一杯だった。このシリーズの人気のほどが伺える。
大使は颯爽と登場して、流暢なロシア語でまず、中央アジアシルクロードと日本の関係から説き起こされる。仏教伝来から聖徳太子の17条の憲法、庶民から天皇までの歌が編集された万葉集へと話が進んでいく。時折、笑いを取りながら、淀みなく講演は続く。

残念なことに、露日同時通訳が素人のため、流れるような大使の話に対して、ポツリ、ポツリと「女の人が千年くらい前に長い小説を書きましたね」。紫式部源氏物語のことらしいが、それが次の話にどうつながるのかわからない。大変もどかしい。でもイヤホンを使って講演を聴いているのは日本人2,3人だけで、ロシア語のわかる聴衆は充分に感銘を受けている様子が見て取れる。

質疑応答に移って、会場から次々に手が上がる。なぜ武術や文化が柔道、華道、書道のように「道」という形になるのですか、出来たら日本のテレビ番組を放映したいのだが力を貸してもらえないか。質問は雑多だ。大使は笑みを絶やさず一つ一つ丁寧に答えていく。
もちろん大使といえども文化の専門家ではないから、すべての質問に答えられるわけではない。しかし誠実で真摯な対応振りは日本という国を体現して余りあるものだった。盛大な拍手は大使への敬愛の念の表れであったように思う。

それから2,3日後に、同じく日本センターで「21世紀の中央アジア」という日本から来た名誉教授による英語講演があった。あまりにも演題がすばらしいので演題に惹かれて行ってみた。
講演の内容は、アジアはひとつ、EUのようにアジアユニオン(AU)ができる日も近い、などと自説を述べるだけで、中央アジアのことにはほとんど触れずじまい。しかもこの先生のいうアジアは東アジア、アセアンまでであってウズベクの属する中央アジアはその範疇に入っていないことが歴然としていた。

EUと異なり、アジア諸国は政治形態も共産主義国家から開発独裁型、民主国家までさまざま、宗教的にもイスラム、仏教、儒教とさまざま、経済規模、歴史的背景、言語、文化に至るまで共通性に乏しい。陸続きで文化、歴史、宗教に共通点を持つEU諸国とは全然違う。また日本のリーダーシップを喜ばない国もある。アジアを少しでも知っている人にとっては、AUは言葉の遊びでしかない。「アジアはひとつ」ではなく「アジアはひとつ、ひとつ」なのだ。

質疑応答では最初に質問に立って、「日本は中央アジアを第2のアセアンにしようとODAを供与してきた。ウズベク1国だけで独立後14年の間に1200億円もつぎ込んでいるが、この第2のアセアンの試みはまだ成功したとはいえない。できたらこの国、地域の具体的または可能性のある繁栄のプロセスを伺いたい」と聞いてみた。先生は経済発展をするためには、民主化が不可欠であるなどと答えた上、この際、ウ国は、中央アジアで一番GDPの多いカザフスタンにFOLLOW して発展していくべきだ、などと言う。確かにカザフは石油、ガスの輸出で潤っているので一人頭のGDPは高い。(カザフ2280ドル、ウ国480ドル)

実はカザフとウ国は、隣国同士ではありがちなことであるがとても仲が悪い。ウ国の親は子供が馬鹿なことをすると「カザフ!」と言って叱るくらいだ。もっともウズベクの人たちは謙虚であるから黙って先生のご託宣を聞いてはいたが。講演が終わって何となく自分と話したそうにしている先生を振り切るようにして会場を後にした。やはりご挨拶すべきだったのだろうか。

日本の声価を高める講演と、ウ国の事情にあまりもうとい講演を連続して聞いて、物理化学者で哲学者でもあったマイケル・ポランニーの「すべての生産的知識の根底には、言語化されない知識がある」という言葉を思い出した。いわゆる「暗黙知」であるが、その中には人は如何に生きるべきか、如何に人と接するべきかという個人的な哲学が含まれているのではないかなどと考えた。