チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

#アジア

チェントンバス旅行(3)

チェントンバス旅行(3) ■バスの窓から タチレクから左手を流れる川を遡るようにバスは山道を登っていく。時折、山岳民族の集落を通りずぎる。まだ茅葺屋根の家がある。もうチェンライのアカ族やラフ族の村のでは茅葺屋根の家を見ることは難しい。2002年に初…

チェントンバス旅行(2)

チェントンバス旅行(2) ■タチレクへ メーサイに到着して先ず、我がスクータ、フォルツァを預ける。ワントンホテル横の街で一番大きな駐車場だ。1日80Bと言うから安くはない。しかし安全のためには仕方ない。3日分を前払いで支払う。その足で国境へ、向かって…

チェントンバス旅行(1)

チェントンバス旅行(1) ■ランナー王国ゆかりの地 チェンライ県北端、国境の町メーサイ、川幅約10mのサイ川を挟んで向こう側はミャンマーのタチレクという町になる。タチレクを含む一帯はシャン州と呼ばれ、タイ、中国の雲南省、ラオスと国境を接している。広…

スリランカ旅行(最終回)

スリランカ旅行(最終回) ■旅行記を終えるにあたって Iさんと娘の3人でスリランカに旅したのは昨年の11月のことだった。1週間ちょっとのそれほど長い旅行ではなかったけれども。Iさんの素晴らしいアレンジで、効率的にスリランカの世界遺産を回ることができた…

スリランカ旅行(22)

スリランカ旅行(22) ■債務の罠 スリランカの旅も最終日、8日目を迎えた。この日はゴールからコロンボまでバスで行く。ゴールからコロンボまで20分おきにバスが出ているが、15時発のバスチケットは購入済み。コロンボでIさんの友人一家と会って食事をする。…

スリランカ旅行(21)

スリランカ旅行(21) ■城壁内を散策 ゴールという街は、大航海時代のおもかげ残すコロニアルな雰囲気が人気の観光地だ。城壁に囲まれた旧市街にあ植民地時代の建物が残され、しゃれたアクセサリーやジュエリーを売る宝石店、西欧人の経営するブティック、ティ…

スリランカ旅行(20)

スリランカ旅行(20) ■6つ目の世界遺産、ゴール コロンボで博物館やお寺を見物した後、高速道路で最後の目的地、ゴールへ向かった。コロンボから約120キロ、6つ目の世界遺産である。 これまでに、2500年以上前に築かれたスリランカ最古の都、アヌラーダプラ、…

スリランカ旅行(19)

スリランカ旅行(19) ■コロンボに一泊 娘をバンダラナイケ空港に送ったあと、コロンボに戻った。空港からコロンボ市内まで35キロある。真夜中に郊外のホテルに投宿、朝起きて窓の外を眺めてみると目の前は大きな湖で、湖面には濃い靄がかかっていた。ミルクテ…

スリランカ旅行(18)

スリランカ旅行(18) ■キャンディからコロンボへ キャンディからコロンボの距離は約120キロである。スリランカの事実上の首都と2番目に大きな都市を結ぶというのに高速鉄道も高速道路もない。列車では3時間半、バスでも4時間かかる。時速にして30-40キロだ。 …

スリランカ旅行(16)

スリランカ旅行(16) ■セイロン紅茶 スリランカは1948年英国連邦セイロン自治領として独立、1972年に英連邦から共和国として独立した時に国名をスリランカに変更した。自分の世代だとセイロンのほうがしっくりくる。セイロンと言えば紅茶、2010年のデータによ…

スリランカ旅行(15)

スリランカ旅行(15) ■最後の王都、キャンディ シンハラ王朝は、紀元前にアヌラータブラに最初の都を設けたが、南インドからの侵略を受けて南に遷都を繰り返す。ポロンナルワなどを経て、1474年にキャンディに都を移す。キャンディ王国は1815年まで続くが、そ…

スリランカ旅行(14)

スリランカ旅行(14) ■ハーブ園を見学 スリランカ最古の都、アヌラダーブラ、12世紀に南アジア随一の仏教都市として発展した古代都市ポロンナルワ、狂気の王カッサパが地上200mに築いた天空の城、シーギリヤ、多数の仏像が安置され、無数の壁画が描かれてい…

スリランカ旅行(13)

スリランカ旅行(13) ■ダンブッラの石窟寺院へ シーギリヤの頂上から登山道入り口まで20分ほどで下りられた。登りに1時間はかかったことを思うと楽なものだ。シーギリヤは王宮ができる前、それから王都がアヌラダーブラに移ってからも僧院として使われた。そ…

スリランカ旅行(12)

スリランカ旅行(12) ■シーギリヤロック続き シーギリヤロックでは頂上にある天空の城跡の他にも見所がいくつかある。博物館から岩山までの公園の中を歩く。両側は城下町や僧院の跡、沐浴場もある。今も水を湛える濠もなかなかのものだ。約20分歩くと、目の前…

スリランカ旅行(11)

スリランカ旅行(11) ■シーギリヤロック スリランカの世界遺産と言えばシーギリヤだ。昨年帰国した折、IJPCの先輩と会食した。彼はスリランカ旅行から帰ってきたばかりで、苦労して登ったシーギリヤのことを楽しそうに話してくれた。それで初めてシーギリヤを…

スリランカ旅行(10)

スリランカ旅行(10) ■記憶の再構成 旅先では写真を撮る。昔と違って今はフィルムの残り枚数とかメモリーカードの容量を心配する必要はないので、訪れた名所を撮りまくる。説明板も英語で書かれていればしっかり撮っておく。また博物館やお寺でくれるパンフレ…

マンダレーひと回り

マンダレーひと回り ■2日で充分 マンダレーはミャンマー第2の都市、見どころは多い。1週間くらい滞在してもよいという旅行者もいるが、団体旅行では実質2日という旅程が多い。自分は4泊5日だったが、確かに2日あれば郊外のサガインヒル、ミングウォン、ウー…

1日10キロに負ける

1日10キロに負ける ■船旅でミングウォンへ ミングウォンはマンダレーの北11キロの地点にある古都である。行くには船が便利、エーヤワディー川を1時間かけて遡る。マンダレーで日英が戦ったことを知る身としてはエーヤワディー川よりもイワラジ河会戦のイワラ…

旅心やまず

旅心やまず ■マンダレー 今年はできるだけ旅に出ようと心に決めた。昨年11月に出かけたスリランカの旅行記をまだ書き続けているが、それはそれとして11月以来、家にいると何か心が落ち着かない。それこそ「片雲の風にさそはれて」心が乱れる。1泊程度であち…

スリランカ旅行(9)

スリランカ旅行(9) ■ポロンナルワへ かなり内容の濃いアヌラダープラ観光を終えた後、プール付きの高級ホテルに泊まった。部屋の天井もやたらと高かったという印象がある。Iさんが今度の旅行で1番高いホテルですという。でもツインルーム、1泊で6500ルピー、…

スリランカ旅行(8)

スリランカ旅行(8) ■ルワンウェリサーヤ大塔 スリランカ観光初日、アヌラダープラで必見のスポット、ルワンウェリサーヤ大塔を訪れた。この仏塔は紀元前2世紀に建造された。エジプトのピラミッド以降では最大の建造物だという。高さは55mであるが昔は100mを…

スリランカ旅行(7)

スリランカ旅行(7) ■長すぎる旅行記 スリランカを旅行したのは11月である。実質8日間の旅であったが、まだ1日目が終わらないのにもう6本もブログを書いている。この調子でいくと旅行記を書き終えるまでに数カ月を費やしてしまう。12月中旬にチェンライ日本人…

スリランカ旅行(6)

スリランカ旅行(6) ■シンハラ王朝 アヌラーダプラの地に都市を建設したのは、紀元前543年にインドからスリランカにたどり着いたウィジャヤ王(紀元前543年-紀元前505年)である。シンハラ人の祖先と言われるウィジャヤ王は、スリランカ全土を支配下に収める…

スリランカ旅行(5)

スリランカ旅行(5) ■スリランカのホテルについて ネットには「スリランカのホテルは割高です。一泊100ドルを目安にするといいでしょう」と書かれたものがある。しかし今回の旅行ではシングルルームでは2200円から3800円、ツインでは2800円から4300円といった…

スリランカ旅行(4)

スリランカ旅行(4) ■スリランカの世界文化遺産 スリランカには世界文化遺産が6つある。カッコ内の年号は世界遺産に認定された年。 1.アヌラーダプラ(1982年) 2500年以上前に築かれたスリランカ最古の都。 2.ダンブッラ石窟寺院(1991年) 2100年前に自然の…

スリランカ旅行(2)

スリランカ旅行(2) ■内戦で暫く行けなかった スリランカは、13世紀にマルコポーロから「世界で一番素晴らしい場所」と讃えられ、14世紀に訪れたイブンバツータも当時の風俗を書き残している。古くから旅人を魅了している島である。 2010年には、ニューヨーク…

スリランカ旅行(1)

スリランカ旅行(1) ■紀元前に遡る文明国 スリランカはバンコクから空路3時間余りで行ける国であるがほとんど興味がなかった。昔はセイロンという国名でコロンボが首都、紅茶で有名と覚えていたが、スリランカと国名を変えたのが1972年、コロンボはもう首都で…

遊就館のパンフレットから

遊就館のパンフレットから ■チェンライにも駐屯していた 先日、メチャンの知人宅を訪れた。メチャンはチェンライから40キロほど1号線を北上した地点にある。ここでいくつかの街道が交錯するので、昔から少数民族同士の交易で賑わう街である。 さて、知人宅…

これでも仲良くできるか

これでも仲良くできるか 3年前に書いたブログを加筆、訂正して再録いたします。 ■哀韓 1974年8月15日に初めて韓国を訪れた。何故その日をはっきり覚えているかというと、文世光事件、すなわち韓国大統領・朴正煕の夫人、陸英修さんが在日韓国人の文世光によ…

ラノーン

ラノーン ■熱帯モンスーン気候 昨年の秋、チェンライ-チュンポン、1300キロをフォルツァで走破した。その時、同行のNさんに、チュンポンの反対側、アンダマン海に面したラノーンに行けませんかね、と訊ねた。このあたりクラ地峡と言われて一番狭いところは…