チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

乾季・低湿度

イカとメロン皮 ウズでは2日こうなる

紫芋干し芋

干し芋第2弾

味はいいが・・・見た目が悪い

チェンライの市場

同上

 

乾季・低湿度

■乾季は夏の軽井沢

現在、乾季で晴れの日が多い。テニスは毎日できる。テニス仲間のロバートが、湿度が30%を割っているんだぜ、という。確かにコートを走り回っても汗が出ない。出ないというより出てもすぐに乾いてしまうのだろう。4,5月の暑季には絞れば水滴が垂れるほど汗でシャツが濡れるし、テニス用のショートパンツもびっしょりになる。運動したなあ、という気分になれるのは暑季の頃かもしれないが、今の時期、気温が30度を越えても湿度が低いせいでまるで夏の軽井沢のように爽やかである。

ただ2月も半ばを過ぎると煙害が起きて、道路の向こうがぼんやりと霞み、人によっては気管支炎になる。煙害は肥料の買えない山岳民族が焼き畑農業をするためと言われている。タイだけではなくラオスミャンマーでも盛んに山を焼くのでその煙がタイ北部にやってくる。焼き畑は貧困と関係するから煙害問題はすぐには解決しない。チェンライにロングステイするためのささやかな代償と諦めるほかはない。

湿度と言えばウズベキスタンの夏を思い出す。湿度が数%、外出時は1.5Lのポリ飲料水を持って歩いていた。ポリビンを濡れタオルで巻いて外気に晒すと蒸発熱でポリの水がいくらか冷たくなった。街では素焼きの壺に入った水が売られていた。素焼きの壺の表面に染み出した水が蒸発し、壺の中の水はひんやりしている。柄杓でコップに注いでくれる水はいくらだったのか。

干し芋

日本放送の「飯田浩司のOK!Cozy up」という番組を聞いていたら、聴取者への「干し芋」プレゼントを告知していた。干し芋か、しばらく食べていないな。小学生の頃、干し芋は一袋30円か40円、ありふれた子供のおやつだった。今ではラジオ番組のプレゼントになるほど高級品に昇格している。ネットで調べると、干し芋1キロの価格は、安いもので2千円、高級品だと数千円もする。りっぱなご贈答品だ。サツマイモはもう庶民の食物ではないのか。チェンライではサツマイモはジャガイモより身近な存在である。市場でよく見かける。芋を使ったスイーツが夜市でも売られている。でもタイに住んで十余年、何故かタイで干し芋を見たことがない。

今は乾季、湿度は低い、そうだ、干し芋を作ってみよう。チェンライの新時計塔の北西にムン・ムアン寺がある。寺の塀に沿って山岳民族が野菜や果物を地べたに並べて売っている。チェンライ観光では外せない場所であるが、販売されている農産物は新鮮で価格も安い。たまたまこのあたりを通りかかったので、サツマイモを3,4本買った。値段は日本円で1キロ120円ほど、日本では、安納芋、鳴門金時で1キロ、1200円はするようだ。

紫芋だった

まず芋を蒸かす。蒸し器といった洒落たものはないので大鍋に円筒形の針金を置き、その上に芋を並べる。1時間ほどして、箸がすんなり突き刺さることを確かめて火を消す。

芋の粗熱が取れたところで、包丁で1センチほどの厚さで縦方向に芋を切る。この時、初めて気づいた。芋は紫芋だった。黄金色のいわゆるサツマイモと思っていたのでショックを受けた。でも芋自体の味はそれほど変わらない。紫芋は、その鮮やかな紫色を利用してスイーツやモンブラン、ポテトチップスやスープに用いられるそうだ。日本で売られている紫芋には、種子島が産地の種子島紫、おもに千葉県で栽培されているパープルスイートロード、鹿児島、沖縄で栽培されているあやむらさき、なかむらさきなどの種類がある。チェンライの紫芋がどの種類であるかはわからない。芋は芋、その昔、アンデスで栽培され、コロンブスが持ち帰ったサツマイモの子孫である。

■満足度60%

家に野菜干しの網があった。重ならないように並べて干す。湿度は低く、陽光は結構厳しい。夜は露がおりるかもしれないので軒先に移動しておく。1週間も干せばいいか、と思っていたが、3日でカチカチになってしまった。紫というより黒っぽくなって、イモというより火事場跡の燃え残り木片だ。厚く切った芋の真ん中あたりは昔を思い出させる柔らかさ、もう10年後はムリと思いながら干し芋を何とか嚙み切る。そういえばここ何十年か、干し芋を口にしていなかった。子供の頃の郷愁が口の中に広がる。干し芋かじっていた頃が我が人生の華であったか。

尚、固型化した芋はフライパンに少し水を垂らして熱することにより美味しく食べられた。その後、ネットで干し芋の作り方を学習したので再チャレンジするつもりである。上手くできたら、ラジオ番組の景品に提供してもいいと考えている。

 

 

「タイは若いうちに行け!」

 

カイモ、アリの卵

カイコの蛹

タニシは5B

菜っ葉も5B

まな板屋さん

 

「タイは若いうちに行け!」

 

タイ国際航空のCM

「タイは若いうちに行け!」のテレビCMを覚えている人はいるだろうか。1996年から1997年かけてタイ国際航空が、いしだ壱成を起用してタイ観光を呼び掛けた。このCMを視聴してみた。いくつかバージョンがあって、いしだ壱成ムエタイを見たり、屋台飯を掻き込んだり、美しい浜辺でタイの子供たちと交流する15秒ほどの映像のあと、「タイ ラブ ユー」で締められる。タイの活気、自然の美しさ等、タイの魅力を凝縮した良いCM と思った。

 

沢木耕太郎の紀行小説「深夜特急」の最終巻が出たのが1992年、また猿岩石の「進め、電波少年」は1992年から1998年まで放映されていたから、アジアを経験してみたいという若者にとって、インパクトの強いCMだったのだろう。1990年代後半ならば、お姉さん3人にマッサージをしてもらっても、屋台飯を何皿もお替りしても、安く上がったに違いない。

ところが最近、「タイは、若いうちに行け」はもう通用しない、 現地で痛感した"安いニッポン"の現実、という記事がマネーポストWEBに掲載された。タイも物価上昇中でもう「タイは安い」は昔話というのだ。

 

■マネーポストWEB記事から

2021年に刊行された『安いニッポン 「価格」が示す停滞』(中藤玲・日本経済新聞出版)では、日本で販売されている商品の価格が100円ショップのダイソーも含めて他国よりも安いことや、日本人の賃金が上がらないこと、サンフランシスコでは年収1400万円でも低所得層であることなどが描かれました。

この本が話題になった後、ネットでは「そうはいっても日本は快適だ」「この価格でおいしい食事が食べられ、治安の良い日本から出る理由がない」「家賃30万円、ランチに3000円かけるような場所に住みたくない」などと、「安いニッポン」を肯定する声が多数書き込まれました。

 

しかし、私は今タイに来て、「これじゃマズいだろ......」と感じています。現在、5つ星ホテルに泊まっているのですが、2000年代前半には多くいた日本人がまったくいない! その代わり多いのがインド人です。白人は従来通りたくさんいます。韓国人も時々見ます。

街を歩いていてもかつては「コニチハ!」と客引きから言われたのですが、今は「アンニョンハセヨ」か「ニイハオ」になっています。もはや日本人は上客ではないのでしょう。食堂に行ってもかつて日本語メニューがあったのに、同じ店で中国語に代わっていた。

それはタイの3輪タクシー「トゥクトゥク」の客引きでも同じです。当たり前のように"観光客料金"を取るのですが、「日本人は値切りまくるためあまり上客ではないと考えられている」という話を地元在住日本人から聞きました。

 

マクドナルドのメニューもタイのほうが高い

さて、国の経済力を見るにあたり、ひとつの指標となるのが「ビッグマック指数」です。マクドナルドのビッグマックの価格がいくらかでその国の経済状態が分かるというものですが、タイのマクドナルドで実際に売られているセットメニュー(バーガー+ポテト+ドリンク)と日本のセットメニューの価格を比較してみましょう。

 

ここでは1B=3.92円で計算。日本の場合は、日本マクドナルドの公式ホームページが掲載している「最安値」を出します。また、タイは、私が行ったバンコク市内「プラトゥーナム」のマクドナルドの料金と比較します。

フィレオフィッシュセット】タイ:180B=706円、日本:670円~

チキンフィレオセット】タイ:180B=706円、日本:680円~

ダブルチーズバーガーセット】タイ:210B=823円、日本:700円~

ビッグマックセット】タイ:220B=862円、日本:750円~

 

いずれもタイの方が高いです。1996~1997年にかけ、タイ国際航空いしだ壱成をCMタレントに起用して「タイは、若いうちに行け」と呼びかけました。ここには、「タイは若者が行くと学びもあるし、収入がそれほどなくても十分楽しめるよ」といったメッセージもあったことでしょう。しかし今、あまりお金を持っていない若者が交通費や宿泊費をかけてでも行くような「安いタイ」ではなくなっているのではないでしょうか。

 

あとは、一般的なタイ料理を出す食堂へ行っても、10年前はビールも合わせて2人で1700円ほどだった店が、2500円ほどになっています。バーツの価値が上がっていることもあるのでしょうが、タイでは着実に賃上げ・値上げが達成されていると言えるでしょう。

私は日本人には滅多に遭わないものの、一般的な経済状況の日本の若者にとっては敷居の高い国になったのかな、と思いました。同時に「安いニッポン」も改めて感じたのです。(引用終り)

 

確かに物価上昇の気配は感じる。だが、物価上昇が原因でタイから脱出するという邦人をまだ見ていないので、上記はそういう見方もあるくらいに留めておくべきかと思う。

岸田さん、大丈夫ですか

 

チェンライ花祭りから

同上

同上

同上

同上

同上

 

岸田さん、大丈夫ですか
■世界の中の日本
日本のテレビニュースには国際ニュースの時間が少なく、日本を世界の中で俯瞰的にみる姿勢があまり感じられない。フィリピンから強盗指示をした容疑者の移送とか、火事で人が死んだとか、寿司チェーンで人を不愉快にする行動をとった若者がいるとか、確かに大変な出来事かもしれないが、基本的には日本の将来を左右することではない。

それよりもロシアのウクライナ侵攻から得られる教訓は何か、とか台湾有事が生じたらどうなるか、中国、ロシアの連合軍が日本に侵攻してくるか、その備えはどうか、そういった日本国の興廃に関する重要事項を報道し、警鐘を鳴らすのがマスコミの使命ではないかと思うのだが、違うのだろうか。

国連の常任理事国が武力による領土変更を行い、原子力発電所を砲撃し、更には戦術核の使用をチラつかせている。ロシアが核を使えば、中国も使うだろう。
中国には1300発のミサイルが日本の30万人以上の都市に狙いを定めているという。ロシアのウクライナ侵攻で分かったことは、独裁者は、いくら賢明と言われていても常識的な行動はしないということだ。習近平が台湾有事にあたって、嘉手納基地、佐世保、横須賀、横田基地三沢基地を攻撃するだけではなく、千代田区に戦術核搭載のミサイルを落としたら日本国はほぼマヒしてしまう。33基ある日本の原発のいくつかが破壊されたら、放射能で日本は滅びる。

独裁国家の恐ろしさとは、プーチン大統領が示してくれたように常識や良識に囚われないことだ。習主席が良識に従って行動する訳がない。ダモクレスの剣はいつ落ちてくるかわからない。強盗事件、醤油ペロペロ、感染症、公金チューチューもまず日本国あっての話である。チェンライにミサイルは落ちてこないだろうが、日本国が無くなれば、我がロングステイなど雲散霧消する。

■日本をどうしたいのか
岸田首相の支持率が落ちている。保守系の論客からの批判も厳しい。安倍さんは日本をこうしたいという理想を持ち、全部ではなかったにせよ、日本を世界の中に位置づけることに成功した。「自由で開かれたインド・太平洋」は世界のリーダが使うフレーズだが、この構想の立案者は安倍元首相だった。

それに引き換え、岸田首相は日本をどうしたいのか、どうやって守るのかについて確たる考えを持っていないように見える。安保関連3文書は安倍、菅政権の流れで岸田首相が発表した。でも広島出身を吹聴しては「核なき世界」を説いている。自分だって核なき世界のほうがいいと思うけれど、どうやってロシア、中国、北朝鮮、そして米国の核を無くすのか、取りあえず北朝鮮に核を諦めさせてから言ってもらいたい。ウクライナは核を放棄したためにロシアに侵攻された。

首相はG7のメンバー国を歴訪して「核なき世界」を説いたという。これを聞いた各国首脳は、日本は米国の核の傘にぶら下がってくせに何でこんなアホなことを言っているのかと呆れたのではないか。逆説的ではあるが「核なき世界」を実現させるために日本は核武装します、が日本の取る道である。

■部下を守らない
岸田総理の秘書官を務める荒井勝喜氏が、LGBTなど性的少数者について「隣に住んでいたら嫌だ」などと発言し、後に謝罪し、撤回した。荒井秘書官は3日夜、記者団の取材に対応するなかで、LGBTなど性的少数者を巡り、「隣に住んでいたら嫌だ」などと発言した。これは秘書官と記者団の「オフレコ」の会見の出た発言であるが、まずオフレコの発言を記事にするのは如何なものか、と思う。発言全体が報道されてないのでわからないが、一部切り取りのかなり意図的な報道ではないか。
自分が「おっぱいの大きい女性は頭が悪い、と言われますが本当でしょうか」と発言したとする。これを聞いた記者は、あいつはおっぱいの大きい女は頭が悪い、と言った、セクハラ、性差別主義者だ、社会的に葬ってやる、となりかねない。

それに秘書官はLGBT への個人的な好みを表現しただけだ。ボクはパクチーが嫌いだ、と言ったらパクチーへの差別になるのか。LGBTには人権はないと言ったのならともかく、神様だってソドムとゴモラを亡ぼしたではないか。荒井さんも神様もLGBTを良く思ってなかったんですね、くらいにしておけばよかった。

嵌められた荒井秘書官は、すぐに発言を撤回し、謝罪した。それなのに岸田さんは釈明も聞かず、即、秘書官を更迭した。これまで閣僚を交代させているが、刑法犯罪ならともかく、本来なら、本人も自覚しているので引き続き職務を全うさせます、で閣僚を守るべきだった。

部下を守らない上司は人望を失う。

タイの米、日本の米

苗代

田植え風景、少なくなった

同上

田植え後

直播

同上

 

 

タイの米、日本の米

■バラバラの田んぼ風景
チェンライは水さえあれば一年に3回、お米がとれる。日本でも石垣島など南ではでは2期作が行われ、年2回米を収穫している。チェンライには台風も来ないし、霜が降りる心配がない。一年中、いつでも籾をまき、田植えをしても構わない。

昨年の12月くらいから代搔き、つまり田んぼを掘り起こして、水を張っている田んぼが出てきた。水を張って1月もしないうちに田植えが始まり、今では日本の5月末のような青田が広がっている田もある。その一方で2月に入ってやっと代搔きを始めている田もある。日本ではほぼ一斉に代搔き、田植えが始まり、稲刈りもごく限られた期間で終了するが、こちらでは稲の育ちがバラバラな田んぼが広がる。稲刈りもバラバラだ。

日本では大寒というのに、こちらでは田植え、違和感がある。更に代搔き、水張り、田植え中、或いはもう30センチほど稲といった田んぼを見ると、見慣れた風景であるにも拘らず、この締りのなさは何だろうか、と思ってしまう。「豊葦原千五百秋水穂国」(とよあしはらの ちいおあきのみずほのくに)に生まれた自分としては、整然とした祖国の田んぼが懐かしく感じられる。

水さえあれば3期作も、と書いたがチェンライ県内でも雨季だけ、1年に一回しか稲作ができない土地もある。あと10年くらい経つと農業用水が引かれて、2期、3期作も可能になると期待している農民がいるが、チェンマイからチェンライまで鉄道が延伸されるという期待と同じく、自分が生きている間にはまず実現しないだろう。

■煎餅の原料
タイはお米の国、これは間違っていない。2019年のタイ農産物輸出品の第一位は米で輸出額は42億ドル、2位が天然ゴムで30億ドル、3位が鶏肉缶詰で28億ドルとなっている。
乾季に採れる米はあまり味が良くない。日本で販売される安いあられや煎餅の原料は乾季に採れたタイ米と聞いたことがある。亀田製菓、三幸製菓、栗山米菓、ブルボン等の米菓メーカーではタイ米を使用しているというから、我々もタイ米煎餅やタイ米あられを口にしていると思う。

チェンライでも日本風あられが売られていて、見た目は日本のあられであるが、味がいまいちである。日本の職人が来て、多分、日本と同じ設備とプロセスで作っているはずなのに、どうしてこう違うのかと思う。

チェンライにもカニカマがあり、見た目は日本のカニカマと同じだが、味は日本のカニカマのほうがはるかに優れている。設備、プロセス、原料は同じはずだが、作る人の心意気とか品管に差があるのかもしれない。

タイ米の作り方
米でもタイでは美味しい米を作ろうという意欲に欠けている感がある。タイ米は田植えをすればあとはほぼほったらかし、粗放農業に近い。稲田で農民の姿を見ることは稀である。日本の篤農家は毎朝、田を見て回り、生育状況を確かめ、水の量を調整する。日本のお米作りは芸術的と言ってもいいくらい、手が掛かるとともに人の愛情が込められている。

確かに整然と機械植えされ、時にはザルから肥料をばらまく人がいる田んぼもタイにはある。でも我が団地と幹線道路の間にある田は、土地に高い値段がついているせいか全くやる気がない。この田んぼには稲と同じくらいの量の粟だか稗が繁茂していて、米ではなくて雑穀づくりの田と見まごうばかり、ヒョロヒョロと伸びた稲にはパラパラと籾がついていた。人に聞くとこういった田の米は全然旨くないそうだ。日本なら田んぼを雑草だらけにしていたら村八分になるのではないか。

■銘柄米も売られている
日本米の栽培は手間がかかるので、少々儲かってもやりたくないとタイ人は言うそうだ。そのせいか14年前は日本米を手に入れることは難しかったし、値段も高かった。でも日本米は美味しいということがわかり、また栽培に手のかからない品種ができたのか、ここ2,3年、スーパーでコシヒカリあきたこまちなどの日本米が販売されるようになってきた。

タイ米の値段は5キロで400円から500円が一般的であるが、日本米は5キロで1000円前後だ。タイ米の倍以上の価格であるが、スーパーではいつも在庫が少なく、時には売り切れのこともある。高くても人気があると見える。

日本では銘柄米は、キロ数百円はする。タイにいてコシヒカリがキロ200円程度で食べられるなんて有難いと思え、と言われそうである。確かに感謝しながら毎日食べているが、やはり日本で食べていた白飯の味は格別であった。あられや煎餅、カニカマと同じく、お米も何故か本家に及ばないんだなあ、という気がする。

 

異次元の少子化対策

 

3年前の浅草寺

仲見世

シャッターの降りている店も

本堂

内部も閑散

一人なので入店せず

 


異次元の少子化対策

■減少傾向は50年前から

岸田文雄首相は1月、伊勢神宮参拝後の年頭記者会見の冒頭で、2023年は「異次元の少子化対策に挑戦する」ことを表明した。少子化の原因は女性の高学歴化による晩婚、晩産、経済的理由、独身を楽しみたいという文化的理由が挙げられている。経済的理由を言うのであれば、戦後のベビーブームの時はみんな貧しかった。それでも年間260万人以上の子供が生まれた。昨今の出生数は80万人を下回る。

少子化対策は出生数が200万人を割った1975年あたりから講じられてきた。1984年に150万人を割り、2005年からは100万人台となり、2016年に生まれた子供は約98万人と初めて100万人を割った。以降、90万人台から80万人台と減り続け、昨2022年は77万人と最低を記録した。

今の親世代は90年代に生まれた人たちが中心だろう。親世代の人口が少ないのだからその親が生む子供は少なくなくなる。その子供が親になった時に生まれる子供はさらに少なくなる。

ここ40年以上、少子化対策には医療費補助、出産祝い金、乳幼児教育の無償化、学費補助等、莫大な予算がつぎ込まれてきた。しかし、効果があったかというと出生数の推移が示す通り、それほど効果はなかったというべきだろう。

化粧品会社の営業部長の話を聞いたことがある。「このしわ取りクリーム、あまり効果がないように思うんだけど」という苦情に対し、「奥さま、しわがその程度で済んでいるのはこのクリームのお陰でございますよ」。これで客は納得するという。

少子化対策を講じてきたから出生数が77万人で収まっているのですよ、と言われても納得できない。これまでの対策はカネである。カネを出せば子供が増えるか、増えなかったではないか。

 

少子化に対応した社会を

スウェーデンやフランスで出生率が上がった原因として非嫡出子が増加したことが挙げられ、日本でも非嫡出子を温かく迎える文化に変えようという意見があって驚いた。「テテ無し子」などと言ったら差別主義者と糾弾されるのだろうか。テテ無し子やイスラム系移民の子供で満たされた日本に明るい将来が待っているとは思えない。

少子化の問題点として労働人口の減少が挙げられている。30年ほど前、米国の経済学者の講演を聞いたことがある。「イスラエルに行った時、朝、ホテルの窓から道路を見下ろしたら、ソ連から移民してきた元教授やバイオリニストたちが箒を持って道路を清掃していた。そのあと日本に来た。早朝、ブラシを着装したトラックが道路を驀進しながら清掃を行っていた。日本はすごいと思いました」。

つまり労働人口が少なくなったら、できることは機械やAIに任せればいい。生産性が上がって豊かな生活が送れる。あと元気な老人を高い給料で釣って働かせるという手もある。100年前、日本の人口は今の半分くらいだった。それでも世界を相手に戦えたし、戦後の復興だって成し遂げたではないか。

それに3分の1以下に出生数が減れば、団塊の世代に比べて東大や早稲田に3倍入学しやすいし、就職も楽になるのではないか。

労働人口が減ると介護要員も減り、老人の世話が行き届かなくなります、というが、これでは介護職員確保のため、子供を産め、と言っているに等しい。

 

■消費増税の手段か

岸田さんは異次元の少子化対策、と言っているが、何も具体的なことは示していない。異次元というからこれまでの補助金バラマキをやめて、例えば、優生保護法の廃止、ピル、コンドームの販売禁止くらいのパンチある対策を取り入れるのかと思ったが、やはりカネを出せば子供が増える、といった従来対策の延長でしかないようだ。岸田さんは「新しい資本主義」とか「資産倍増計画」とかぶち上げるのはいいが、何も具体策が無くて尻すぼみが多い。

子供を持ちやすい環境は、と問われれば誰でも何らかの発言はできるだろう。高橋洋一さんは、そういった様々な意見に岸田さんは耳を傾け、「それではその対策を実行するために国民に消費税の増税をお願いします」と言い出すに決まっていると言う。

岸田さんには効果の見通せない少子化対策よりも、皇室の男系継承、憲法改正、国民の生命、財産を守る防衛問題に道筋をつけてほしいと思う。国の将来に希望が持てるならば、国民は伝統に従い、よき家庭を持ち、子供を産み、育てるに違いない。

もう一度言いたい。カネで子供は増えなかったし、これからも増えない。だが祖国日本を日本人が誇りに思う時、その時に少子化はおのずと解決するはずだ。

 

【出生数・子供の数の年推移】年別の人数が一目瞭然|年収ガイド (nenshuu.net) 

ツーリングで得た結論は

 

フォルツァ350

メコン対岸はラオス

メコン

乾季で水量が少ない。岩が見える。

中国資本のビル

フォルツァ350

 

 

ツーリングで得た結論は

フォルツァ350

フォルツァ350を手に入れてからほぼ1年が経つ。その前はフォルツア300(排気量279cc)に乗っていた。350の排気量は329㏄であるが、各段に性能がアップしている。排気量が50㏄も増えているのに燃費が2割ほどよくなっている。カタログでは29km/Lとなっているが、実際のツーリングでは35km/L以上走る。

乾季で季節はいいし、昔のようにちょいとメコンを越えてラオスへ単独ツーリング、スコタイ、ランパーンへ1,2泊の旅と、長距離ツーリングもいいのだが、さっぱりその気になれない。近場の市場やスーパー、市内で開催されている花祭り等、2,3日に一度はフォルツァで出かけるのだが、1日100キロ以上のロングツーリングは、昨年11月に友人に誘われて出かけたドイ・パータンの日帰りハイキングだけである。

ここ1年の総走行距離は4500キロ、月平均で400キロ足らず。1週間で3000キロを走破したチュンポンの鷹の渡り見物や1日に660キロ走ってパタヤドラゴンボート日本代表を応援に行った頃が懐かしい。でも女中さんは、年寄りはバイクに乗るもんじゃないと自分のツーリングにいい顔をしない。

彼女と同じように、高齢者が大型バイクを運転するのは危険、事故率も高いのではという先入観をお持ちの方もおられると思う。でも免許保有者10万人あたりのバイク事故件数は16歳から19歳の若者の1043件に対し、60歳から79歳の場合300件台にとどまっている。80歳から84歳で430件、85歳以上になると524件と漸増しているが、それでも若者に比べ、事故件数は圧倒的に少ない。(警察庁「令和3年中の交通事故の発生状況」)

但し、事故件数は少なくても第一当事者としての死亡事故件数は85歳以上の高齢者の場合、若者より高くなっている。死亡事故はマスコミに報道されるので、老人の事故件数は多いと思う人が多くなるのだろう。でも85歳以上でバイク事故に散るのであれば、そう悪い死に方ではないように思う。

 

■突然思い立って

そういえば長距離、走ってないなあ。ある日、メコンを見にチェンコンへ行ってみようと思い立った。我が家からチェンコンまでは100キロ強、バイクで1時間半の距離である。昼食の後、13時過ぎに家を出発、ライディングジャケットを着用するのは昨年の11月に続き2回目である。近場に行くときは短パンにサンダル履きということもあるが、今回はGパンに靴、正規のツーリンググローブもはめた。

チェンコンには2013年までタイとラオスを結ぶ渡し舟があった。自分も何度か舟で対岸のラオス、フエサイまで行っている。今は渡し舟を利用できるのはタイ、ラオス人だけ、外人は友好橋を利用しなければならない。中国の貨物船も行き来して、メコンの港町として栄えてきたが、橋ができてからはチェンコンに立ち寄る観光客は激減、今はひっそりとしている。

最近、チェンライからチェンコンへの道が整備された。まだ完成はしていないが、片側2車線の直線道路が数キロ続く場所がある。本来であればタイとラオスを結ぶ観光バスが何台も走っているはずだが、バスを1台も見ることはなかった。まだ観光客は戻っていないようだ。高速道路ではないが、前後に車が走っていないのでスピードが出る。11月にこの道路で瞬間的に120キロ出した。今回は120キロが通常速度、アクセルをフルに上げていなくてもスムーズに140キロは出ることが分かった。

走りながら考えた。時速130,140キロで走るシニアライダーは少ないのではないか。フォルツァ350は日本で販売されていない。だからフォルツァに乗って140で飛ばす日本老人は自分だけだと思うと運転が慎重になる。往復210キロを3時間で走破、気温の割にはジャケットも暑く感じなかったし、何よりも体力的にロングツーリングに自信が持てたことが大きい。

 

■大型バイクは高齢者のもの

日本自動車工業会の調べによると、2019年度のバイクの新車購入者の平均年齢は54.7歳と、高齢化の一途を辿っている。定年になってお金と暇のできた熟年が大型バイクを購入する。排気量1000cc以上、BMW、ハーレーなど最低200万円はする大型バイクに人気がある。時速160キロはスムーズに出るだろう。やはり、やっと時速140キロが出るスクータより1000㏄超の大型バイクのほうが余裕ある走りができるはずだ。でも200万円はなあ。日本にはお金持ちのシニアが多いというか、自分が貧乏なだけというべきか。

上を見ればきりがないという亡き母の言葉や、足るを知る経済というプミポン国王の教えを思い起こしてしまう。身の程を知り、謙虚に過ごすことが幸せの第一歩である。これが巡航速度時速120キロで走りながら得た結論である。

 

 

万世一系の有難さ

花祭りから

同上

同上

同上

同上

紫陽花も人気

 

万世一系の有難さ

■タイにタイ人はいない

タイにはタイ人というエスニックグループはない、つまり典型的なタイ人はいない、とタイ研究の第一人者、元大阪外国語大学学長、赤木攻先生は言っておられる。(「タイのかたち」、めこん社)

タイ人の出自を探るとクメール系、モーン系、ムスリム華人、ラーオ系、タイ・ユワン、ミエン、インド系、ベトナム系、プータイ、タイ・ヤイ、それに少数山岳民族もいて、それぞれが複雑にまじりあっている。何せ、インドシナ半島は陸続きだからいろいろな民族が攻めこんできたり、逆に攻め入って奴隷を確保したりと目まぐるしく人が入れ替わっている。

タイのワチラロンコン国王はラーマ10世を名乗っている。タイのバンコク王朝は18世紀、アメリカの独立の少し後に成立したのでまだ10世、10人しか王様が出ていない。タイは米国並みに新しい国といえる。新しい上に種々雑多な種族がいたのだから、タイという一つの国として国民をまとめるのはアメリカより難しかったのかもしれない。タイ語公用語とし、バンコク王朝以前のタイの歴史、文化をどう創り上げてきたかについては赤木先生の著書に詳しい。

日本は曲りなりにも皇紀2600年超、はっきりしているだけでもここ1700年、天皇陛下をトップとして国が続いてきた。それ以前、縄文、弥生、古墳時代から日本は島国だから、住んでいるのはずっと日本人という感覚は自明のことだ。

時折、工事現場で人骨が出てくると戦国時代であれ、江戸時代であれ、ああ、我々のご先祖様なのだな、と思う。タイでは古い人骨が出てきても、ご先祖とか自分に関わりがあるとかはまず考えないだろう。多分、肌の色も言葉も体つきも違う異国人、どこの馬の骨ともわからない。紀元前3000年から2000年頃にタイ東北部、ウドンタニに栄えたバンチェン文明は稲作文化を持っていたが、この文明を築いた種族は不明である。自分もバンチェン遺跡を見学したことがある。発掘途中のままに展示されている人骨はがっしりしていて大きく、恐らく身長180センチはあると思われた。今の小柄なタイ人とは似ても似つかない。

 

■日本の始まり

異国に住んでいるせいか、友人と日本人のルーツとか日本文化発祥といった話題になることがある。稲作に関しては弥生時代に半島を経由して日本に稲作技術がもたらされたと言われていたが、熊本県本渡市の大矢遺跡から出土した縄文時代中期(約5000~4000年前)の土器に稲もみの圧痕(あっこん)を確認したという報告がある。また遺伝子調査では縄文時代の米は中国南部の米と同種であり、稲作は半島を経由してきたという説は成り立たないそうだ。

DNA解析とか炭素14による高精度年代測定など科学の進歩により、これまでの考古学の定説が覆されつつある。日本人のルーツはよくわからないが、3万年から4万年前の岩宿遺跡から磨製石器が発見されているので、この頃には日本人の先祖が住んでいたとみられている。

各地域の最古の磨製石器の出土状況は、オーストリア 約2万6000年前、オーストラリア:約2万5000年前、中国:約1万5000年前、朝鮮半島:約7000年前となっている。文化の発祥は日本から,と強弁することも可能だが日本人はお隣の国とは違うからそんなことは誰も言わない。

 

■歴史人口学

歴史人口学という学問があって、縄文時代から現代までの人口を推計している。縄文、弥生時代の人口は遺跡数等で推計するそうだ。

縄文早期(8100年前)の日本列島には2万人の原日本人がいた。前期(5200年前)から中期(4300年前)にかけて11万から26万に急増した後、後期(3300年前)・晩期(2900年前)にかけて8万人に急減し、その後、弥生時代1800年前、西暦200年頃)に入って、再度、急増して59万人となっている。人口変化は気候変動、火山爆発、農業技術開発などいろいろな要因があって、因果関係を見るだけでも興味は尽きない。

ともあれ、日本列島には2万人の日本人がいて、この人数をコアに2008年には1億2,808万人のピークに到達した。島国だったお陰で外国からの大量移民は歴史的になかったから、ほぼ原日本人が現在の日本人と重なる。以前は縄文人弥生人は骨格が違うなどと言われていたが、今では江戸人と東京人は別の人種だというに等しいトンデモ学説ということになっている。

こうしてみると日本人なら誰もが何処かで天皇家源平藤橘の血筋を引いているに違いない。みんな親戚同士、同じ日本人じゃないか、と肩を叩きたくなる。白人国家の侵略を前にして「想像の共同体」を構築せざるを得なかったタイ人から見れば、日本は本当にいい国だね、と羨ましく思うに違いない。