チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

読書、映画、会話

 

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河口湖あたり

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イチョウ、紅葉の競艶

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河口湖紅葉祭り

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河口湖の富士

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同上

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河口湖畔の公園から

 

読書、映画、会話

■安心の日々

兄が9月初めに帰国した。現在、茅屋に老人2名が暮らしている。お兄さんがお帰りになって賑やかになったでしょうと言って下さる人もいる。確かに会話があるから、黙想修行僧のような生活からは解放された。さりとて高尚な話をしているわけではなく、あの歌手、まだ生きてたっけ、ネットで見てみろよ、といった他愛のない会話で過ごしている。

それでも家に誰かがいると安心である。孤独死をした人を知っているせいか、自分がそうなって人様に迷惑をかけたくないと思っていた。武漢肺炎より、自宅の風呂で溺死する老人のほうが多いのだから、と酔っているときの入浴は控えた。二階への上り下りも安全確認をしながら一歩、一歩、ゆっくりと足を運んだ。転倒、転落によって死亡する人は年間8千人前後、交通事故死より多い。また転倒、転落死の9割以上が65歳以上の老齢者となっていて、半数以上は居室内で亡くなっている。

年を取ると平衡感覚が鈍る(自転車の走りはじめ、ふらつくことがある)、筋力が低下している(テニスボールに追いつけない)、視力が低下して足元が見えにくい(布団を二階に持ち上げるとき足元が不安)と、自分も年相応の自覚症状はある。それに家がもう立て替え寸前の古い日本家屋であるから、落とし穴こそないものの床の状態はいまいちだし、照明も暗い。事故と隣り合わせの生活ではあるが、兄が帰国し、同居しているお陰で、階段から転げ落ちても救急車をすぐ呼んでくれるだろうし、場合によっては葬儀社の手配もしてくれる。心強い。ブログがアップされているから生きているんだろう、などと言っている子供たちよりずっと頼りになる。

 

■読書

考えてみれば、昨年3月帰国してこの9月までの1年半が生まれて初めての独居生活だった。チェンライでは通いの女中さんか来るし、団地の警備員の巡回もある。見てみないようではあるがご近所の眼もあるから、「独り」を実感することがなかった。それに引き換え、緊急事態発令期間中は引き籠り、独り言が無ければ今日の発声件数ゼロ、という日もあった。

「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」(世の中の人々と、付き合わないというのではないが、心のままに独りで楽しんでいる事が私にとってはよい事と思われるのだよ)。良寛さんは子供とも遊び、70歳を過ぎてから40歳も年下の貞心尼という美貌の尼僧と交際していたから、人との交流という意味では自分よりずっと華やかな一生だったように思う。

ともあれ、交友関係の広い良寛さんも時には一人読書に耽って「ひとり遊びぞ我はまされる」と言われたのである。誰もがこういう瞬間を持つ。だから良寛さんの和歌が心を打つのだろう。

自分も地域の図書館にはお世話になった。20冊まで借りられるし、書架になくてもネット検索して予約すれば必要な本を取り寄せてくれる。ここ10年、殆ど読書はしていない。それまでは寝床の周りには数冊の読みかけの本があるという生活を送っていた。それが普通だと思っていたが、タイで暮らしてみて「あ、俺は本を読まなくても暮らしていける人間だったんだ」と気が付いた。読もうと思えば読めないこともないがテニスや旅行、ネットサーフに忙しく、車を30分運転して友人宅に本を借りに行くことも面倒だった。

 

■数粒の砂であっても

でも帰国して、古い習慣がよみがえった。友人から勧められた小説も読んだ。ここ10年で全く知らない小説家が活躍していることを知った。タイの歴史とか日本文化の本も読んだ。この本を読むとそれに関連する本も読みたくなる。映画も140本以上観たが、映画の原作となった小説はできるだけ読んだ。ネットによる本の取り寄せはこういう時に便利だ。「ご希望の本が図書館に着いています」とメールで教えてくれる。代行業者に頼めば宅配も可能ではないだろうか。

読書も映画も、そして人と会って話すこともみな共通点がある。それはそれまで知らなかった新しい、面白いことを自分に教えてくれる、ということだ。古今東西、日常、いろいろな人が自分とは全く違った経験をしている。そのかけらであっても新しいことを知ることは楽しい。

「私は砂浜を散歩する子供のようなものである。 私は時々美しい石ころや貝殻を見つけて喜んでいるけれど真理の大海は私の前に未だ探検されることなく広がっている」(ニュートン)。

自分は石ころさえ見つけられず、海の前の広い砂浜の砂を数粒もてあそんで喜んでいる子供だ。今日も兄に、あの俳優、生きてたっけ、と聞いて、ネットで調べろよ、と言われて過ごしている。

漁夫の利

 

 

 

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みなとみらい

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同上

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同上

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同上

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横浜駅へ向かう

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みなとみらいにあるホテルの喫茶室



漁夫の利

■ローマ時代から
紀元前58年、シーザーはガリアの属州総督に就任した。ガリアとは現在のフランス、ベルギー、スイス、並びにドイツ、オランダの一部を含む広大な地域である。この地にはノルマンディーから来たケルト人、北東から下りてくるゲルマン勢力、フランス中央部にいたヘルウェティイ族(ガリア人)の3つの勢力が3すくみで対峙していた。

シーザーはこの3つの勢力に情報を流して互いに戦わせる。戦いに疲弊した3勢力を一気に殲滅してガリア地方を制圧する。この後、シーザーはローマに凱旋して皇帝となるわけだが、そのきっかけはガリアでの成功にあった。戦いに勝つにはできるだけ自分の戦力を温存する。敵同士を戦わせて、戦力が落ちたところで圧倒的戦力をもって、敵方を一掃する。効率的なやり方である。この戦法を20世紀の欧米諸国が採用した。英国はインド兵を使ってセイロン、ビルマを攻めたし、フランスはベトナム人を使ってインドシナを支配した。

■有色人を戦わせる
白人は自分では戦わない。有色人種同士戦わせて、有色人種がへたったところで漁夫の利を得る。アメリカはアパッチとチェロキーを戦わせて、居留地の女子供老人を皆殺しにして広大な土地を手に入れた。欧米は中国領土と権益を手に入れるために蒋介石を焚きつけて日本と戦わせた。
大東亜戦争では日本軍が戦ったのは欧米だったはずなのに出てくる兵隊はフィリピン人、インド人、中国人、マレー人などの現地人ばかり、やっと白人が出てきたと思ったらすぐ降参した。インドネシアでは色の黒い兵隊が出てきたが、逃げ出して戦わなかったため、オランダは開戦後、1週間で降伏した。

友人が週刊新潮の名物コラム、高山正之の「変見自在」943号を紹介してくれた。アメリカは、朝鮮で何も白人が血を流すことはない、日本人を使おう。そこでマッカーサーは吉田首相に「(共産主義の」悪と共に戦おう」と持ち掛けたが、吉田は「米国の盾となって戦いたいが違憲だからダメ」と笑って断った。
3万6千人の米軍兵士が戦死した朝鮮戦争が終わると、今度はベトナムがおかしくなってきた。昭和28年にニクソン副大統領が来日し、「米国は日本に非武装を強いる間違いを犯した」とGHQによる新憲法押し付けを詫びた。憲法を改正して軍隊を持つよう促したが、吉田首相は「いずれそうするが今ではない」と断った。アメリカは日本がだめなら、と韓国軍を使った。その代り日本はアメリカの指示で日韓基本条約を締結し、韓国に多額の経済協力をした。

コラムはこんなところだが、白人は有色人種を戦わせる、これは変わらない。ベトナム戦争ではラオスのモン族がCIAの指揮下で戦っているし、韓国、タイ、フィリピン、台湾からも戦死者が出ている。

■仏の圧政
自衛隊ベトナムに出兵を余儀なくされていたらどうなっていただろう。ベトコンを指導し、北ベトナム士官学校を作って幹部を教育したのは旧日本陸軍の兵士、将校であった。危うく日本人同士が戦うところだった。そうなれば戦後、アジアの日本に対する態度は変わっていたに違いない。

19世紀にインドシナを植民地にするとフランスはまず刑務所を200ヶ所建設し、50台のギロチンを持ち込んだ。べトナム人のフランスに対する憎しみは強かった。大東亜戦争が終わったあと、ベトナムではフランス人が襲われる事件が続発した。
フランスは、捕虜となっていた日本兵に銃を持たせ、仏人エリアを警護させた。でもベトナム人がフランス人住居を襲うとき、彼らは日本人警護員を襲わなかったし、警護員は空を眺めて知らぬふりをしていたそうである。

■結果としてジェノサイド
国内に対立抗争がないと、白人は異民族を外から連れてくる。ベトナムには中国人を、ラオスカンボジアにはベトナム人を移住させ、現地民の収奪、圧政を下請けさせた。ベトナム戦争終結時、中国系ベトナム人が、ポルポトカンボジアではベトナムカンボジア人がン百万人単位で虐殺されたことは記憶に新しい。

中国は、欧米だって民族浄化、虐殺をやっていたじゃないか、という。確かに一理ある。中国はそういった欧米のやり方を十分研究している。モンゴルのように内部を分裂させ、漢人男性を入植させる。法律に基づいて香港を中国化する。今、中国の支援を受けて日本を分断しようとする勢力がある。

戦わずして勝つことが孫子の兵法では最上策と言われている。皇室を貶める、憲法改正に反対する、東シナ海での中国の無法を見てみぬふりをする。行きつく先は戦わずして日本が中国の手に落ちる、その日が来ないことを願ってはいるけれど。

 

感染症以後の世界

 

 

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目黒の自然教育園

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同上

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同上

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カモ、望遠で

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同上

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あはれ今年の秋もゐぬめり

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アキアカネがまだいた


感染症以後の世界

■環境問題は宗論
飲み会で話題にしてはいけないことが3つあるという。政治、宗教、そして自分がモテた話である。他人がモテた話は聞いていても面白くない、これはわかる。一方、政治、宗教の話は意見が異なってもお互い妥協に至ることはないからだ。中国共産党幹部と人権活動家が議論しても「私が間違っておりました、あなたの言う通りです」とはならないだろうし、イマームと修道士が論争しても、「はい、あなたの教えに帰依します」にはならない。江戸時代の川柳にも「弥陀、釈迦のちがいが不縁のもととなり」とある。

先日、友人と会った。地球温暖化を何とかしないとだめだ、グリーンランドの氷は解けているし、白熊が激減しているという。いや、グリーンランドの氷は解けていないし、白熊の生息数は増えている、キリマンジャロにも雪は降っている、ツバルは海に沈むと言われていたけれど、まだ水没していない、と反論しても納得しない。お前、それを見てきたのか?、そう言われれば、こっちもネットでの情報だから何も言えなくなる。環境問題は一種の宗教論争だから、お互い、なるほど、という結論にはならない。大人だからこういった話にはそれ以上、深入りはせず、まあいろいろな意見があるからな、と最近観た映画とか面白かった本など当たり障りのない話題に切り替える。

■気候変動は本当か
環境問題を扱うシンクタンクに在籍したことがある。COP3のシェルパ作業もやっていた。直接はタッチしていなかったが、その頃から環境問題、地球温暖化には疑問を持っていた。まず、CO2の排出と地球温暖化の関係はまだ証明されていない。とりあえず関係があるという前提で走ってみましょう、関連が証明されなければその時見直しましょう、だった。でも仮にとはいえ、前提ができてしまうとそれが真実のように扱われ、変更は難しくなる。

日本の小選挙区制度を作ったのは小沢一郎だが、「小選挙区で問題が出たら、その時は中選挙区に戻せばいいだけの話」と言っていた。英国に範を取った2大政党による政権交代はうまくいかなかったし、選挙で落ちたはずの候補が復活するなどおかしな制度で、批判が高まっている。でも一度決めたものは中々元には戻らない。

CO2と温暖化は関係はないというデータがある。ここ100年台風、洪水、ハリケーンなど自然災害は増えも減りもしていない。今年はCOP26の年だが化石燃料80%削減を呼び掛けている。日本は火力発電をやめ、2030年までにCO2排出量を46%削減すると約束している。他の先進国は削減に同意していない。

日本のCO2排出量は世界全体の3%ほどだが、中国は30%、米国は15%だ。日本は気候変動関連で中国を含む発展途上国に対して年間1兆3千億円の援助を行っている。COP3の20年前から日本は乾いた雑巾を絞るようにCO2削減に努力してきた。それをあと10年で半減?実現しても排出量全体への貢献は1.5%に過ぎない。日本は頑張っている、中国や米国がもっと努力すれば、と言ってくれる国はない。

グレート・リセット
経済成長をするとCO2 の排出量が多くなる。日本は高度成長を達成し、火力発電所ができたし、車社会となった。大東亜戦争であれだけ痛めつけてやったのに、またあの黄色い猿が立ち上がって俺たち白人のシマを荒らしやがる、ジャップの力を削ぐにはどうしたらいいか、そうだ、化石燃料を抑制させれば、電気代が上昇し、工業製品のコストが上がる、日本の得意なガソリン車を廃止し、電気自動車に代える、これでジャップはへこたれるだろう。

第一次大戦後、日本は世界の一等国となった。その日本を抑えるため大正10年のワシントン海軍軍縮条約で主力艦の数の比率を、米国と英国が「5」、日本が「3」と決めた。再起した日本を痛めつけるには、そうだ気候変動でいこう、COP26は21世紀のABCD包囲網だ。歴史は繰り返す。

国連に影響をもつ「ダボス会議」クラウス・シュワブ会長は感染症後の世界は「グレート・リセット」だ、と言っている。感染症拡大を防げなかったのは国民の監視が行き届かなかったから、政府に大きな力を持たせるべきだ、また欲望を抑えれば幸せになるのだから、自動車、電化製品を持つこともジェットに乗ることもやめる、また肉食をやめることも気候変動問題解決に寄与する等々。アンタ、アタマおかしくない?といいたいが真面目に会議の議題に取り上げられるようだ。ダボス会議に集まる「貴族」は豪華なホテルで年代物のワインを啜りながら、庶民は欲望を抑え、国に管理されて幸せになれ、と説く。これを全体主義というのではなかったか。

 

マスクをしっかりと!

 

 

 

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ネット裏で観戦

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1塁スタンド前にチアガールが見える

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それを望遠で撮影

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同上

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亀井善行選手の引退セレモニーがあった

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望遠で。涙が滲む。巨人ファンも泣いていた。


マスクをしっかりと!

■マスク美人
武漢肺炎が日本で収束に向かった理由の一つとしてマスク着用が挙げられている。電車やバスでは今もほぼ100%の乗客がマスクをしている。ワクチン接種済みの人はもう着用しなくてもいいのでは、と個人的には思う。でもマスクをしていない人は人の迷惑を考えない自分勝手な人と見做されるから自分も形だけマスクをしている。年齢のせいか太陽が眩しく感じるので、交通機関の中でもサングラス着用ということが多い。マスクにサングラス、それに野球帽だから2,3年前であれば、アヤしい人、見るからに変質者であるが、今はそれほど警戒されない(と思う)。

元々、バスや電車内で人を観察するのが好きだった。今はサングラス越しに向かいに座っている人の顔を見る。顔といっても相手はマスクをかけているから目と眉、そして髪型である。若い女性や女子高生を中心に見る。マスクで隠れていない所、「眉と目」で勝負と思っているのか、個性をそこに集中させている。髪型も様々で、若い女性が額から眉までパラパラと数本の髪を垂らしている。たらし方に工夫の跡が見える。チェンライでは若い女性の髪形といえばロング、或いはおかっぱ、眉は生まれた時のまんまのゲジゲジ眉が多い。女子高生であればスカートに白いブラウス、長い髪、化粧っけはまるでなし、まあ10代の女の子だから年相応に素朴で可愛らしいが見た目は同じ。

でも東京の女子高生はうっすらお化粧をしている。眉は細目で眼とのバランスがいい。天然眉の子はまず見かけない。目と眉だけ見るとこれは絶対、美少女に違いないと思ってしまう。マスクもありきたりの白マスクでなく、ピンクや柄物でアクセントをつけている。表現手段が限られていても控えめではあるがしっかりと個性を主張している。こんなところにも日本人の美意識の高さが表れているのではないか。

■とかく年寄りは
公共交通機関でのマスクは必須、していないと白い眼で見られる。自分も車内では鼻の上を覆ってマスクをしている。でも街を歩くときは鼻を出したり、顎の下に引っ掛けたり、とずぼらである。街を歩いていてすれ違いに武漢肺炎に感染してしまう確率はほぼゼロだ。それに速歩だと息が切れることがあり、マスクは鬱陶しい。

映画館の切符売り場の女性にマスクを鼻の上まで、と注意を受けたことがある。チケット売り場は公道に面していたのであるが、このまま館内に入られては、と思ったに違いない。中には「なんだ―、まだ館内に入っていないじゃないか」とキレるご同輩もいるかもしれないが、自分は「あっ、すみません」と言ってお嬢さんの指示に素直に従った。
先日もマスクエチケットに関し、女性から注意を受けた。くどくなるがその経緯をのべてみたい。

■マスクなし美女群
先日、友人から貰ったチケットで東京ドームに巨人―ヤクルト戦を見に行った。座席はネット裏の特等席、プロ野球観戦は小学生以来、もちろん東京ドームは初めてだ。巨人の東京ドーム最終戦ということで観客は7割ほどの入り。

両軍の攻守交代のたびに女性係員が通路を下から上へと昇ってボードでマスク着用を呼び掛ける。館内は飲食自由だったから、ひっきりなしにビール、焼き鳥、弁当、たこ焼きな飲み食いに専念しているオジサンもいたし、声を出しての応援はいけないとの指示があるにも拘わらず、東京音頭を歌うヤクルトファンもいたから、マスク着用が、どれほど効果があるのかわからない。この日の東京の感染者数は32人だった。8月には1日5千人超の感染者がいたことを思うと、もうマスクをしてもしなくてもまず感染しないと言っていいと思う。でもマスクをしているから感染者が減少したのです、というマスク信仰にが世に浸透しているから、信仰の自由を侵すことはできない。

売店をのぞいてみようと席を立った。観客席から売店フロアに移る通路で女性係員から「あっ、マスクを鼻の上に」と注意を受けた。すっかり忘れていた。公徳心のない年寄りはこれだから困る、という目で見られ、恥じ入った次第。

野球のほうは11-1で巨人の勝利、ヤクルトのボーンヘッドもあり大味な試合。1、3塁スタンド前では何度かチアガールのお姉さんが出て美しい演技を見せてくれたが、ネット裏からは豆粒にしか見えなかった。でも我が超望遠83倍のニコンで撮ったところ、美女揃いだった。マスク美人もいいがやはり露出度100%の美顔は目の保養になる。自分には予防ではなく、あんぐり開いた口を隠すためにマスクは必要だったが。

 

 

年寄りの関心事

 

 

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八坂の塔

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清水寺近く、人通りがない

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足利義満ゆかりの相国寺

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相国寺石庭

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和気清麻呂ゆかりの護王神社

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足腰の痛みにご利益のある神社

 

年寄りの関心事

老害
年寄りは自分に関すること、自分のやってきたことだけに興味がある。黙っていればいいものを上から目線で話し、間違いを認めず自説を曲げない。自分の若かった頃の価値観を押し付けて、同調してくれないと怒りだす。中には「俺はえらいんだ、尊敬しろ」まがいの態度をとる年寄りもいる。ほんの一部を除けば年寄りなど人生裏街道の枯れ落ち葉、えらいなんてものじゃない。多くの年寄りは人様のお世話になって暮らすようになる。自分だってそうなるのだから、謙虚に生きなければと自戒はしている。

若い頃の自慢話は定番であるが「士(おのこ)やも空しかるべき万代に語りつぐべき名は立てずして」(山上憶良)の万代どころか全然、名を立てたことはないのだから、自慢話は書きたくても書けない。同年配の友人の中には入退院を繰り返したり、足腰の痛みで走ることができない人もいる。6ゲーム先取のテニスを3セット、2時間コートを走り回って疲労困憊した、などと書くと、なんだ、仕事では大したことなかったから今は健康自慢かよ、などと言われかねない。どうも自粛癖が自分にも及んできているようである。

チェンライにいたころは世界地図の中の日本列島を思い浮かべることが多く、また異国人に囲まれているせいもあって政治、外交問題に興味があった。いくつか国際関係のブログを書いたこともある。でも東京に暮らして1年半が過ぎたが、中韓関連は殆ど書いていない。いまさら言ってもどうなることでもなし、という気持ちが強い。

■岸田政権で株安、円安
政治外交問題に関心が無くなったのか、というとそうでもない。年寄りだから自分の身にに多少なりとも影響があるのでは、と思うとネットで調べたり、図書館で本を借りたりする。

10月18日の党首討論会で、岸田首相が「消費税を引き下げると、買い控えや消費の減退に繋がるなどの副作用がある」と発言した。安倍政権で消費税が8%から10%に上がった時を思い起こしてほしい。消費税を上げると買い控えや消費の減退に繋がる、が常識だ。実はこの発言には「頻繁に消費税を上げ下げすると」という前提がついていたが、いずれにせよ消費税を下げれば消費は増加する。消費需要が増えてインフレが進めばインフレを抑えるために消費税を上げるという手段はあるだろう。でもそこまで景気が過熱するなら万々歳だ。それに消費が増えれば税額が下がっていても消費税からの税収額は減らないか、増えるかもしれないし、景気がよくなれば所得税法人税からの税収も増える。そうなれば消費税を上げないで済むだろう。

総裁選挙期間中は河野、岸田、高市、野田の4候補が意見を活発に交わして、東証株価は上がり続けた。でも岸田さんが首相になった途端に株価は下落、さらに110円から114円台へと円安に振れてしまった。円安は今、高騰している石油やガスを輸入している重厚長大産業に悪影響を与える一方で輸出産業には追い風となるから、一概にいい悪いは言えない。でも円安はタイの年金暮らし邦人にとっては影響大である。岸田政権誕生前は1万円が3030バーツだったが、今は2930バーツだ。円安はタイでの年金手取り額の減少につながる。(なお、民主党政権時代、1ドル80円の超円高で、1万円が4300バーツに交換できた)

■米中の動き
昨年の米国大統領選の頃、もしバイデンが大統領になったら、バイデン政権はドル札を大量に刷ってバラマキ政策に打って出るからドルが下落する。よって円高、1ドルが100円を割り込むと言われていた。ところがバイデン大統領登場で1年になろうとしているのに、円高どころか円安、いい加減なことをいうエコノミストが多い。というより、都合のいい言説のみを信じる自分が悪いということだ。

それにしてもバイデン親子の親中べったりのスキャンダルは消えてしまったし、アフガン撤退の不手際もそれほど非難されていない。バイデン大統領は「自国を守る意思のない国をアメリカが助けるわけがない」といってアフガンを見捨てた。渡部昇一先生は十数年前に「米国は米国と中国が手を結ぶかもしれない、そうなれば尖閣、沖縄は中国にくれてやれ、と日本に言うだろう。日中が戦争状態になってもアメリカは日本を助けない」と言っておられた。(これだけは知っておきたいほんとうの昭和史、致知出版社

米国内の孔子学園復活、ファーウェイの孟晩舟副会長引き渡しなど米中は再接近している。なんとなく渡部先生の危惧通りの状況になりつつある。自分の健康や為替動向に関心はあるが、他にもいろいろと心配事があるわけです。

 

季節に関して

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インフルエンザが激減

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菊の御紋章

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京都御所、御池庭

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同上

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御学問所?

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これは御所近くの相国寺の庭



インフルエンザが激減



季節に関して


■何故か収束
急に寒くなった。夏から秋を通り越して急に冬になったような感じ。通常、こういう気候だと風邪が流行るのであるが、風邪やインフルエンザに罹ったという話はあまり聞かない。厚生労働省の推計では、インフルエンザの医療機関受診者数は2020年秋から2021年春にかけて、約1万4000人である。例年のインフルエンザの感染者数は、国内で推定約1000万人いるといわれているので、今シーズンは約1000分の1に減少したと言える。

今時、熱が7度5分も出ると、「差別」を受けても仕方ないから、ちょっとでも具合が悪くなれば休養に努めるという国民的同調圧力に予め従っているお陰か。インフルエンザだけでなく感染性胃腸炎、水痘、手足口病流行性角結膜炎等、ウィルス性の病気も過去5年に比較して激減しているという。ウィルス干渉とかいう作用で武漢肺炎ウィルスがインフルエンザなどを退治してしまったという話もあるが、どうして感染症が収束してしまったのか、と同じように誰もはっきりした理由がわからない。手洗い、うがい、消毒、マスクがウィルス感染症に効果があった、ということか。こうなるとアルコール消毒とマスクはここ何年にもわたって定着するのかもしれない。真夏のマスクは勘弁してほしいけれど・・・。

■心で季節を感じる
日本のここが素晴らしい、ニッポンすごいぞ、といったユーチューブを見る。安全、清潔、便利といった項目を上げる人が多い中で、「日本の四季が素晴らしい」という外人は日本理解度80点以上と書いたことがある。四季の移り変わりは自然の中の出来事であるが、移ろいの妙、はかなさ、或いは待ち遠しさといった気持ちは日本特有のものではないだろうか。

「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」(古今和歌集藤原敏行)。歌の意味は、「秋が来たと、はっきりと目にはみえないけれど、風の音で(秋の到来に)はっと気づいた」というもの。「秋立つ日詠める」という詞書が付いている。秋立つ日とは立秋の日で、旧暦で7月1日、今の暦ならば8月8日前後だ。平安時代は今より涼しかったのかもしれない。でも8月の初旬であれば、厳しい太陽の光が木々の緑に降り注ぐ盛夏の風景が目に映るであろう。でも日中は猛暑であっても夕暮れに吹くそよ風、その風が微かに奏でる稲葉のそよぎに季節の移ろいを感じる。音で感じたのか、心で感じたのか判然とはしないが、秋って目ではなく耳を通してやってくるんだよなあ、と千年の時を越えて日本人の心情に訴えてくる。

■京都観光、おまけ
清水寺京都御所を回ったのは2日間だけだった。ブログは3本書いた。一回おきアップしたので、人によっては数日京都滞在をしたのでは、と思った方もおられるかもしれない。でも観光は2日だけ、もう1,2日いてもよかったかと反省している。

京都は空襲を受けていない。ちょっと小路に入れば趣のある店とか家屋が見つかる。それこそ古今和歌集の頃の仏像や神社仏閣だって残っている。御所の紫宸殿や御学問所などは江戸時代に建て直されているが、創建当時の形を保っているとのこと。新しいが古い、が体現されている街と言っていいと思う。
御所には御池庭ばかりでなく、いたるところに松や楓の樹木が茂っている。三十三間堂相国寺にも庭があり、形のよい植木があるが、御所の樹木はひとつひとつがよく手入れされており、品格がそこいらの寺とは違う。御所内のあちこちで植木職人が働いていて日常的に手入れされていることがわかる。松の枝ぶり、植木の根元にびっしり生える苔まで趣きがある。緊急事態宣言解除の前後だったから、参観者は少なかった。2年前の御所は韓国人、中国人で一杯だったという。宣言は解除されたし、あのようにゆっくり落ち着いて参観、参拝できる京都にはもう出会えないかもしれない。感染症も悪いことばかりではないということか。

修学旅行で御所を訪れた記憶がない。修学旅行のコースにはいっていないのでは、と訊ねると、「修学旅行生の目的はお土産を買うこと、この周りには土産店がないでしょう。それに食事ができるレストランもありません」とのことだった。確かに相国寺を出て、京都御苑に沿って烏丸通りを今出川から丸太町まで30分ほど歩いたが食堂は殆どなかった。距離にして1.6キロ、疲れた。実は御苑は15分で突っ切れる、御所から四条まで歩いていけます、と教えてくれた友人がいた。でもその人が京都にいたのは学生の頃、御所から四条まで地下鉄で3駅3キロ以上、20代ならともかくなあ。健康のためには歩かないといけないと思ったけれど・・・。

京都観光(3)

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本堂正面

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三十三間堂裏側から

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京都御所入り口、清所門

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紫宸殿、ここで五箇条の御誓文が下された

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御学問所、ここで王政復古の大号令が発せられた

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御池庭

 

京都観光(3)

三十三間堂
清水寺から京都駅行バスで5分、三十三間堂に着いた。ここは修学旅行でざっと半世紀前に訪れている。三十三間堂というから三十三間、1間は1.8メートル、だから1.8メートルX33で60メートルくらいの長さの建物なのかと思っていた。しかし、境内に立ってみると本堂の大きさに圧倒される。木造建築物としては世界でも類を見ない南北に120m、奥行き22m、高さ16m、自分の思い込みの倍の長さがある。三十三間堂という名前は、南北120mに渡る本堂の内陣に「33の柱間」があるという特徴から由来するという。「三十三」という数字にも理由があり、 観音様が人々の救済のため「三十三の姿に変化する」 というエピソードに基づいているとのこと。

大きさを実感するために本堂を一周する。人か上げはまばら。東大門の両側に和風庭園があった。三十三間堂庭園は江戸時代にカキツバタ(燕子花・杜若)の名所だったと言われているが、現在の庭園は1961年(昭和36年)に作庭家・中根金作(なかねきんさく)の監修によって作庭された。三十三間堂庭園は芸術性を強調した鎌倉時代の作庭法によって作庭され、池畔にサクラ・サツキ・ボタン・ツバキ・ナツツバキ・スイレンなど四季の花々が植えられている。回廊塀に囲まれているが境内には自由に入ることができる。ベンチが所々にあるので、池の畔をゆっくりと眺めるのも悪くはない。時間はあるし、またこの日は気温が高かったので、本堂に入る前に木陰に腰を下ろし、時折通り過ぎる人を眺めた。一人旅は休憩も参拝も自分の都合で自由にできる、というより足腰を休めないと、と気になる。

■観音像群に圧倒される
三十三間堂の拝観料は600円。A4三つ折りのしおりには「無限の慈悲・千体の観音立像」、「国宝雷神と風神像」、「国宝観音二十八部衆像」の3つについて日、英、中、韓の4言語で解説されている。本堂に入った時、1001体の観音像の迫力に圧倒される。不信心な自分ではあるが思わず背筋が伸びる。鋳物の金ぴか釈迦像に慣れたタイ人が本堂に足を踏み入れたら吃驚するのではないか。芸術性、歴史、有難み、月とスッポン、とてもタイののっぺりした釈迦像が及ぶところではない。

堂内での撮影は禁止となっている。緊急事態宣言が発令中であったから、参拝客はパラパラとしかいなかった。フラッシュを焚かなければ、人の迷惑にもならないし、と思ったが、通常は外人でごった返す本堂、撮影自由にしたら、押し合いへし合いの阿鼻叫喚となるかもしれない。絵葉書が売れなくなるから、というしょぼい理由ではなく、熟慮の結果、撮影禁止となっているのだろう。

千体の観音像は重なり合っているのですべての御尊顔を拝することはできない。しかし、堂内入り口に仏像検索システムがある。半世紀前の修学旅行では考えもつかなかった技術の進歩だ。「三十三間堂内の仏像すべてを検索でき、上段におられる観音さまもはっきりと尊顔を拝見できるタッチパネル式モニターを設置。すべての観音様とご縁を結ぶことができます」とのこと。このソフトが欲しいと思ったがもちろん売っていない。

京都御所
京都御所は英語で言えば「kyoto Imperial Palace」だ。しかし欧州やアジア諸国の王宮と違って、敵や民衆の襲撃を防ぐための堀とか高い城壁はない。兵士のための兵営もない。これが古来からのご皇室、日本の在り方だ、と青山繁晴参議員が力説していたので、一度は行ってみたかった。

朝9時の開門直後に清所門から御所に入る。入場料は無料、ただし、入り口でアルコール消毒と共に皇宮警察官から手荷物検査を受ける。首から下げる入館証の番号は4番、自分のあとには誰もいなかった。京都御所は1331年から1869年(明治2年)までの間の内裏(天皇が居住し儀式・公務を執り行った場所の事で、現在の皇居とほぼ同義)。現存する建物は概ね1855年安政2年)に造営された安政度内裏である。他国の王宮と違って金銀の煌びやかさは全くない。古神社のような簡素のなかにも格式を感じさせる建物が多い。

平安の頃には、御所に泥棒が入ったというし、戦国時代には塀の隙間から、清涼殿で天皇がアルバイトの百人一首書きをしているお姿が垣間見られたという。それでも天皇に危害を加えるとか、その地位を奪う人は出なかったことは特筆されてしかるべきだ。王様の首をチョン切ってしまう歴史を持つ白人には考えられない。御所は日本人の民度の高さをかたちとして見せてくれる。

御所は国賓の接遇に使用されているという。日本の為に大変良いことと思う。先人はいいものを残してくれました。