チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

クラシックと劣等感

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近所の小山八幡

 

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品川神社

 

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品川神社

 

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三谷八幡神社

 

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神社付設お稲荷さん


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戸越神社狛犬

 



 クラシックと劣等感

 

■憎悪か向上心か
劣等感を感じたことのない人はいるのだろうか。劣等感は誰にもある暗い情念ではあるが、それが発奮の源泉となることもある。ナポレオンもヒットラーも背が低かった、毛沢東ポルポトは正式な高等教育を受けていないという負い目を持っていた。習近平主席も16歳から22歳まで陝西省の片田舎に下放され、青春時代を教養とは全く関係ない生活を送っていた。
劣等感が恵まれたものへ対する憎悪、あるいは人並外れた向上心につながることはあるのだろう。


自分のような小市民は劣等感の塊である。でも人を羨んだり、憎んだりすることは少ないと思うし、かといって人生を変えようという発奮の材料ともなっていない。そこが小市民である所以だろう。
若いときは、モーパッサンやO・ヘンリーといった外国小説や家にあった文学全集を片端から読んでいた。読書量がつまらぬ自負の根源ではなかったかと思う。今となっては恥ずかしい。

 

■音楽に対する劣等感
音楽的な家庭環境で育ったわけではなく、それほど興味もなかったのでクラシックとかジャズは聴いたことがなかった。音楽といえば旧御三家(橋幸夫舟木一夫西郷輝彦)の歌謡曲を聴く程度。高校2年の時に友人に誘われ、新宿の厚生年金会館で欧州から凱旋した、まだ20代だった小澤征爾指揮の交響曲を聴いたことがある。でも曲目は全然覚えていない。

小説や歴史、美術などは本からの知識で多少はカバーできるが、音楽だけは聞いたことがないと話題についていけない。当時、クラシックに詳しい女の子に「今度、レクイエムを聞きに行くの。毎年行くのよ」といわれたが、レクイエムが何かわからなかった。彼女とはうまくいかなかった。多分、会話が成り立たないと愛想をつかされたのだろう。

 

アバドの思い出
出張でフィラデルフィアにいた。夕方散歩していたらオペラハウスの前に人だかりがしている。新進の指揮者、クラウディオ・アバドがロンドン響を率いてのコンサートという。当日券はかなり高かったが迷わず購入した。アバドはこのとき40代半ば、晩年のがんに侵された姿とは違って精力的で溌溂としていた。曲目は忘れたが、終わると拍手もせずに半分ほどの観客が出口に向かったのには驚いた。自分の隣には足の不自由な年配の女性が座っていた。彼女は自分の杖を転がしてしまった。それを見ていたら「ピック・イット・アップ(拾え)」と命令された。能楽の「張良」のように杖を渡した途端に、クラシックの奥義に目覚めた、とはならなかったが、クラシックに親しむようになったのはその後、自分が40から50代になってからではないかと思う。

 

■辻井さんのピアノ
ウズベクではタシケントのナボイ劇場でオペラや交響楽を楽しんだ。その頃にはネットで世界の名曲を聴けるようになっていた。だだっ広い居間の机で音楽を聴きながら授業の準備をしたものだ。当時よりPCの機能も向上している。先月、PCを買い替えた。音質が格段に良いことを実感している。

最近、辻井伸行さんのピアノをよく聴いている。彼が2015年にウィーンフィルプロコフィエフのピアノ協奏曲の演奏を終えた後、アンコールに応えてリストの「ラ・カンパネラ」を弾いた。初めてこの演奏を聞いた時、感動のあまり涙が流れた。自分だけではない。辻井さんのピアノに感泣する人は少なくない。

辻井さんは2009年のヴァン・クライバーン・ピアノコンテストで優勝している。その時の模様をヴァン・クライバーン財団理事長、リチャード・ロジンスキー氏はこう語っている。「ハーレンベルグ・シティセンターで行われた最終選考会で目にしたことない光景を目にしました。総ての審査員が立ち上って拍手をしていました。そしてその目には涙が光っていました。審査員は普通、決して立ち上がることも、喝采を送ることもしないのです。彼らは打ちのめされるほどに感動したのです」。

 

■涙もろい
それにしてもピアノを聴いて涙を流すようになるとは思わなかった。もともと涙もろいほうではあった。寝床で森鴎外の「即興詩人」を読み、薄幸の歌姫アヌンチャタに涙する姿をカミさんにバカにされたことがある。時代劇でも家老が幼君に「殿、もはやこれまで、落城にござりまする」と告げる場面でも泣く。

ブックオフではあるが辻井さんのCDを2枚買った。また、辻井伸行オンライン・サロンコンサートの視聴チケットも買った。会場に足を運べば7500円はする演奏が1800円、決して高いとは思わない。クラシックに対する劣等感と失恋の思い出は感動の涙と共に薄れてきたように思う。辻井さんに感謝、である。

 

辻井さんのラ・カンパネラはこちらから

 https://www.bing.com/videos/search?q=%e8%be%bb%e4%ba%95%e4%bc%b8%e8%a1%8c+%e5%8b%95%e7%94%bb&ru=%2fvideos%2fsearch%3fq%3d%25e8%25be%25bb%25e4%25ba%2595%25e4%25bc%25b8%25e8%25a1%258c%2b%25e5%258b%2595%25e7%2594%25bb%26qpvt%3d%25e8%25be%25bb%25e4%25ba%2595%25e4%25bc%25b8%25e8%25a1%258c%2b%25e5%258b%2595%25e7%2594%25bb%26FORM%3dVDRE&view=detail&mid=58A38AA5A0A96B4C2E0B58A38AA5A0A96B4C2E0B&&FORM=VDRVSR

南院で思ったこと

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象牙透花雲龍紋套球

 

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故宮5大宝物の一つ、毛公鼎

 

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赤茶碗 楽家六代左入作 江戸時代

 

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黒釉茶椀 銘「寒山」 楽家三代道入作、 江戸時代

 

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景徳鎮

 

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明、萬暦年製

 

 

南院で思ったこと

 

■南院に行くなら新幹線
南院は台北にある「國立故宮博物院」の南部分館である。正式名称は「國立故宮博物院南部院區・亞洲藝術文化博物館」。故宮博物院清王朝の財宝を中心とした歴代中国王朝のコレクションで有名であるが、南院は中華圏のみならず、シルクロードから東南アジアまで、アジア全体の工芸品やアートのコレクションと研究を行う場、という位置付けになっている。

台湾を兄と訪れたのは今年の2月末、中国本土からの観光客をシャットアウトしていたため、観光客は少なく、故宮博物院も南院もゆっくり回ることができた。
南院には台北車站から新幹線の高鐵で1時間半、嘉義駅で降りる。これが一番便利、駅から南院行きのバスが出ている。自分たちは一般鉄道、台鉄の嘉義駅で降りた。これは失敗、台鉄の嘉義駅から南院までバスはあるがかなり遠い。タクシー代を考えると新幹線にすべきだった。

嘉義といえば数年前に映画化された「KANO 、1931海の向こうの甲子園」ですっかり有名になった嘉義農林があったところ。駅から10分ほどのロータリーには嘉義農林学校野球部で活躍した呉明捷投手の像が立っている。

 

■庭を歩けば1日は必要
南院は2015年に完成した。広大な湖を含む公園の中にある。周りにはお土産物屋もレストランもホテルもない。ただ、モダンな建物が自然の中にポツンと立っている。

実は故宮の分館だから、狭くてしょぼい展示物ばかりで1時間かそこらで見学が終わると思っていた。しかしその収蔵品の質と量には驚いた。ガンダーラ、クメールの石仏、室町から江戸、そして現代の茶器など逸品ぞろい。日本の焼き物を異国で見るのはいいものだ。日本の茶碗には「銘」があり、乾山とか楽家三代道入、六代左入といった作者の名前が入っている。

ところが中国の皿や壺は龍泉窯。景徳鎮とか作陶された地名は出てくるが、作者の名前は全く出てこない。故宮博物院5大宝物の一つである彫象牙透花雲龍紋套球は象牙の玉を23層に刳りぬいたものだ。この玉を120年3代にわたって彫り続けた彫刻師の名前は残っていない。

 

■職人の歴史はない
20年以上前、シンクタンクに出向していた頃、東京大学東洋文化研究所の所長だった原洋之介先生から「中国には職人の歴史はない」と聞いたことがある。日本なら彫刻なら運慶、快慶、ずっと下がって左甚五郎、陶芸であれば本阿弥光悦酒井田柿右衛門野々村仁清尾形乾山、青木木米などの職人の名前がすぐ浮かぶ。

中国ではあれだけの工芸美術品が皇帝に捧げられていながら、実際に作った職人の名前は一切出てこない。故宮5大宝物の一つ、毛公鼎をネットで調べたことがある。この青銅器の鼎は西周、紀元前8世紀から前11世紀の時代に作られた。その当時の社会は天子といわれる皇帝と皇帝を取り巻く士大夫、それと奴隷という単純構造。職人はもちろん奴隷階級である。皇帝を国家主席、士大夫を共産党員と読み替えれば今の中国となる。要するに、中国の社会構造は何千年も前から変わっていないということだ。

 

■技術、技能への尊敬
技術、技能を持つ人を広義の職人といっていいと思うが、いまだに中国には職人の歴史はない。ファーウェイは巨額の開発費を投じて5Gの先頭に立ったが、彼らの開発費の8割はヘッドハンティングに費やされたという。集めた職人は用済みとなればポイと捨てられる。技術、技能に対する尊敬の念は全くない。
あれだけの人口を抱えながら物理学、化学、医学・生理学のノーベル賞3部門で共産中国からの受賞者はわずか1名(屠 ?? 2015年マラリアの研究で医学・生理学賞)に過ぎない。これも職人軽視の結果ではないか。

 

■改めて日本は
実はタイも職人を大切にしない国だ。安土、桃山から江戸初期の大名や茶人が大喜びした宋胡禄(すんころく)は14世紀に北タイのスワンカロークで焼かれた古陶磁であるが、17世紀には廃窯となり今は跡形もない。他にもタイにはベンジャロン焼きとかセラドン焼きなどの陶磁器があるが、一度はぷつりと窯が途絶えている。もちろん陶工の名も残っていない。

最近、疫病退散のお礼回りを兼ねて、近所の神社を再訪している。神社の狛犬は江戸時代から明治初年にかけてのものが多い。獅子を見た人がいない時代だから創造力に富んだユニークな狛犬ばかりだ。狛犬の台座に氏子一同と共に「石工、清三郎」と大きく彫り込まれていた。
石工の矜持と誇り、氏子の石工に対する尊敬の気持ちが伝わってくるように思う。日本は昔から職人を大切にする国だ。

 

 

 

 

1日も早い自立を

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靖国神社、神池庭園

 

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靖国神社

 

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靖国神社 神池庭園

 

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靖国の紫陽花

 

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靖国の植え込みで

 

 

 

1日も早い自立を

 

■BLM 
BLMという言葉をよく聞くようになった。ブラック・ライヴズ・マター、 Black Lives Matter、頭文字をとってBLM。黒人の命は大切だ、の意味である。初めは黒人の命も大切だ、と訳されていたが、黒人の命こそ大切だ、と黒人を強調する訳に変わってきている。黒人に対する暴力や構造的な人種差別の撤廃を訴える、国際的な積極行動主義の運動である。特に白人警官による無抵抗な黒人への暴力や殺害、人種による犯罪者に対する不平等な取り扱いへの不満を訴えている。

BLMは2013年に黒人少年が白人警官に射殺された事件を契機に始まった運動であるが、今年5月にミネソタ州ミネアポリスで発生した黒人男性を白人警官が死に至らしめた事件で燃え上がった。全米各地で人種差別反対のデモが起きた。ただ差別反対を叫ぶだけならともかく、デモ行進のついでに放火や略奪を行うのだから、やはり米国民は民度が低いなあ、と思ってみていた。

人種差別は黒人だけではない。スペイン系、またアジア系の民族も差別されている。だがBMLは他の民族と手を携えて人種差別と闘っていこうという考えはない。あくまでも黒人だけ、昨今はアンティファと呼ばれる極左集団と手を組んで破壊活動を行っている。放火、略奪が起り、それを見て見ぬふりをしている州は、軒並み民主党支持州であるところを見ると、11月の大統領選挙を睨んだ政治活動と言える。

■工作活動か
BLMやアンィファはテロだ、軍隊を出して取り締まれ、とトランプ大統領が言ったが、正当性はある。シアトルでは黒人たちが3週間にわたって市の一部にバリケードを築き、自治区と称して警察、消防の入域を拒んだ。学生時代に大学がバリケードで封鎖されていたことがある。でもシアトルの自治区では自警団が銃撃戦をやって警察の解体を要求するのだから、物騒度が桁違いだ。こんな状態を放置していたら法治国家とは言えないだろう。

アンティファは敵視する対象の行動を阻止するためなら騒乱、襲撃、といった暴力も辞さないことで知られる極左集団だ。陸のシーシェパードみたいなものか。人種差別反対のデモは世界各国に広まった。BLMは中国語で「黒命尊」という。アンティファやBLMの反社会的活動の陰には中国が見え隠れしている。


日本でも5月に渋谷区内で車に乗ったクルド人男性が同署員の職務質問を受けた。男性や友人らはこのときに威圧され、署員から身体を地面に押さえつけられるなどの暴行を受けたと主張。男性の友人が様子を動画撮影してSNSに投稿、インターネット上で拡散し、約1週間後の5月30日にJR渋谷駅周辺や同署前で抗議デモが行われた。デモにはアンティファの旗を掲げた集団が参加していた。旗を作るにもお金がかかる。米国で起こった騒乱を日本でも再現しようとした勢力がいることは容易に想像される。日本は欧米と違って民度が高いから人種差別は殆どない。デモには外国人よりもファシスト・アベのプラカードを掲げる日本人のほうが多かったそうだ。

■香港安全法
工作を仕掛けるだけではない。1国2制度の国際公約を平然と踏みにじり、中国は7月1日に全6章66条からなる「香港国家安全維持法」を施行した。国家分裂、政権転覆、テロ活動、海外勢力と結託して国家安全に危害を加える罪には、最高で無期懲役を科すと定めた。

同法は、香港に駐在する海外の非政府組織や報道機関への管理を強化すると記し、外国人にも適用されるとした。つまり自分が中国は国際公約を守れと言ったら、中国の官憲に捕まる恐れがある。ジャーナリストならずとも香港や中国に行くことは憚られる。

捕まっても今の日本政府は助けてくれない。1日も早く日本が国防力をバックに毅然と物言える国になって欲しいと願うのは自分だけではない。

 

 

日々の暮しから

 

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 商店街も七夕飾りが。

 

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戸越銀座商店街

 

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七夕の代わりに感謝の垂れ

 

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城南島から

 

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同上、天王丸

 

日々の暮しから

 

■買い物は鍛錬
東京で暮らしていると、これはチェンライでは経験しないな、と思うことが多々ある。まず、買い物だ。

チェンライでは車でスーパーに行く。カートに瓶ビール1ダース、洗剤5キロ等を投げ込み、駐車場に行き、車に移し替える。市場では果物も野菜もキロ単位、スイカやミカンは10キロ単位で買い込む。家に着くとメバーンが出てきて重い荷物の運び入れを手伝ってくれる。つまり買い物に出かけても重い荷物を持つ必要がない、持ったとしても棚からカートに移す一瞬の間、青果市場でもすぐ近くに停めた車までだ。

ところが今はスーパー買った食材を自分で運ばなくてはならない。缶ビールを半ダース、牛乳1パック、玉ねぎ、ジャガイモとなると相当の重さになる。支払いを済ませるまではさほど、と思うのだが、歩き始めると5,6分の道のりが遠く感じるほどポリ袋の重さが腕から肩に堪えてくる。チェンライでは袋を提げて歩くことはない。どこへ行くにも車だから歩くことがない。

今は買い物もテニス代わりの鍛錬と自覚し、手に食い込むポリ袋の重さを感じつつ、努めて速歩を心掛けている。

 

■配送の時代
時間帯にもよるのだろうが、スーパーには高齢者が目立つ。国立社会保障・人口問題研究所が昨年に発表した将来推計では、東京都は一人暮らしの高齢者世帯が15年に79万世帯だったが、2040年には116万世帯となる見込み。65歳以上の高齢者のうち46%、約半分が一人暮らしになるという。

今はカートを押しながら歩いているおじいさんを見かけるが数年もすれば外出はできなくなるだろう。自分も身につまされる。買い物に出かけられるうちが花だ。でも時代は変わりつつあって、必要なものはネギ2本でも家に配達してもらうという時代になってきている。この風潮は三密の自粛によって拍車がかかった。
街には宅急便やウーバーの車や自転車が走り回っている。決済はカード、居ながらにして食材やレストランの出前が届く。

これは東京だけではなく、肺炎騒ぎの前のチェンライでもウーバーのバイクが急激に増えていた。グーグルマップがあれば配達先まで導いてくれる。道路は広いし、渋滞、駐車違反、スピード違反の心配がない、基本的にタイは外食文化、東京よりチェンライのほうが、益々配達業務が拡大していく素地があると思う。

買い物は配達が主流となり、時代遅れの老人だけがスーパーや商店街に足を運ぶようになるのかもしれない。

 

■家事を楽しむ
買い物と並んで料理、掃除、洗濯、ごみ捨てが家事では大切だ。チェンライではほぼすべての家事をメバーンがやっていた。今は皿も洗濯物も何もしなければそのままになっている。ごみ捨ても分別、出す日が決まっている。実をいうとそれほど家事が嫌いではない。お皿や鍋がピカピカになると達成感がある。チェンライでもメバーンの休みの時は洗い物をする。でも自分が皿洗いをすると嫌がられる。そのままにしといて、という。自分の業務範囲を侵されると感じるらしい。

家事の中でアイロンだけはやったことがない。ところがタイでは洗濯機や冷蔵庫のない家でも必ずアイロンがある。どうしてかわからない。洗濯したタオルをパンパンとはたきながら干す。こうすると繊維が毛羽立って、乾燥してもソフトな感触となる。ノーアイロンのYシャツを広げながらニイさんがこういったシャツにも必ずアイロンがけをしていたなあと思う。アイロンがけはタイの文化だろうか?

 

■白バイに捕まる
城南島を後にして環状7号線に入る手前、国道15号線との交差点だった。直進しようと中央線を走っていたが、交差点に入ったところで信号が変わりかけた。そこで右横で動き始めたバスにくっついて右折し、15号線に入った。後方でサイレンが鳴っている。誰か違反したな、と思って走行していたら、後ろに白バイがいて「左によって停車しなさい」。
あれ、どうして自分が。20代半ばの若い警官である。「車線を急変更して右折したね、違反だよ、知らなかった?」、「知らなかったです」、「減点1点ね、免許証出して」。
いよいよタイの国際免許の出番だ。「日本の免許証、持ってないの?」、「ないです」。警官は国際免許を手にも取らず、「それじゃ今回は警告だけにしておく。気を付けて」。
えっ、勘弁してくれるの? 思わず顔がほころぶが、それを隠すのに苦労した。違反切符を切るのが大変なのだろうか、それとも座席が破れたみじめなスクータに同情してくれたのか、とにかく国際免許のおかげで罰金を免れたことは確か。


ネットによると国際免許でも減点、罰金は逃れられないようだ。親切なお巡りさんでよかった。そこそこ刺激のある毎日でまずまず。

最近したこと、思うこと2題

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城南島海浜公園

 

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潮干狩りもできるようです。ただし今年は不作とのこと

 

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望遠の威力

 

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頭上のジェット

 

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同上

 

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望遠で。左はスカイツリー 


最近したこと、思うこと2題

 

■ツーリング
250㏄の古いスクータを借りているので行動半径が広がった。日頃、PCの画面ばかり見ているので目が疲れる。そこでスクータに跨って家から15キロほど離れた城南島海浜公園に行ってみる。この公園はキャンプ場、スケボー広場、砂あそびや散歩ができる砂浜が整備されており、東京湾を出入りする大型船や羽田空港を離発着する飛行機を間近に見ることができる。この公園にはタイ移住以前、何度となく来ている。

ブルーシートを草原に敷いて寝転がる。スカイツリー、東京タワー、都心の高層ビルを遠望できる。目の疲れが取れる。

眼前を通り過ぎる船は貨物船、コンテナ船が多いが時には白く瀟洒な大型客船が通る。我が望遠83倍、ニコンクールピックスP900であればズームで近寄ってわけなく船名を確認できる。
時間によっては頭上を旅客機が羽田空港に向かって高度を落としていく。望遠を使わなくてもファインダー一杯にジェット機が迫ってくる。
オリンピックを控えて国際便の増加が予想され、横田空域通過を黙認するという日米合意があって羽田新ルートができた。城南島から見る飛行機の離発着は12年前と異なっている。

でも相変わらず横田空域は存在する。気にしても仕方ないので、ファインダーを空から砂浜で遊ぶ家族連れに向ける。肉眼では豆粒にしか見えないが、P900なら波打ち際で戯れる子供の表情をはっきり捉えることができる。でもこれは盗撮と言われる行為なんだろうなあ。

■徒労感
「繰り返しの話ですみません」というブログを書いた。過去のブログを読み返してみると、反中、嫌韓憲法改正といったものが目に付く。憲法改正は折に触れて書いている。「ネトウヨ老人」と揶揄されたこともあるが、そんな中傷は気にならない。でも何故、毎度毎度同じことを書くのだろう、と徒労感を覚える。しかしその徒労感は自分だけではないようだ。産経新聞、阿比留 瑠比記者のツイッターから。


(引用)
31年前、私が産経新聞社の入社試験を受けたのはものを書く仕事に関心があったのと、何か世の中に少しでも役に立てないかと思ったからでした。で、新入社員時に志望部署を政治部(第二希望は文化部読書班)にしたのは、「世の中の仕組みがよく分からない。政治部であれば分かるのでは」と考えたからです。
 

で、仙台総局、文化部生活班、社会部を経て政治部に配属されて現在に至るわけです。確かに、世の中のアレコレ、特に政治と行政に関するなにがしかは理解できましたが、今度は、それをうまく読者に伝えられないジレンマに苛まれるようになりました。
 イザブログ時代を含め、本当のところ、実際のところはこうなのだとずっと書いてきました。もちろん、産経紙面でも政治の生の声をどこの社より、誰よりも伝えようと努めてきましたが、非力・無能ゆえきちんと伝わりません。

 取材し、記事を書いたり、常々感じていることをコラムに書いたりするのが仕事なので、そこから逃げるわけにはいきませんが、もう何を書いても…と。賽の河原で石を積み続けるというのは大げさですが、無力感と徒労感に囚われる日々です。
 何をやっているんだろうかなあ、いい歳をして。
(引用終わり)

たのしみは蝦夷(えみし)よろこぶ世の中に皇国(みくに)わすれぬ人を見るとき(橘曙覧 独楽吟より)

自分はもうトシでめげそうだが、若い阿比留記者にはこれからもお国の為に頑張ってほしい。

 

日本食が世界を救う

 

 

 

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今年1月に行ったミャンマーチェントンの市場、喜捨を受け取る

 

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チェントンの市場、白い髭根はニラの根、炒めて食べます。キンピラのような味です

 

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大根は日本に比べ小ぶり

 

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川魚だけ

 

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被り物で山岳民族名がわかる.モン族か

 

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右はカボチャの蔓か。




 

日本食が世界を救う

 

■料理の写真
緊急事態宣言が一段落したある日、友人と昼食をとった。目の前には高さ15センチあろうかというハンバーガーが置かれた。チェンライではまず見ることはできない。感動のあまり言葉も出ない。友人が言った。「写真撮らないの?」。彼は自分がブログを書くことを知っている。そういえば自分の食べた料理をアップすることはあまりない。


日本に戻って美味しいものを食べさせてもらっている。知人宅であれ、レストラン、寿司店、ラーメン店であれ、料理は美しく盛り付けられている。このような繊細かつ美的な盛り付けはタイの一般的なレストランではあまり見られない。タイ料理といえば肉と野菜を鍋に放り込み、オイスターソースをかけてガチャガチャと炒め、そのまま皿に移して一丁上がりが普通。キャベツが皿の端っこにぶら下がっていても気にしない。カエルスープを頼んだらカエルの片手がお椀の端にかかっていたこともある。今思うとあのスープは写真に撮っておくべきだった。もしあの手が動いたら、ホラーブログが1本出来上がったに違いない。

 

■毎食ブログ
百田尚樹さんの著書「バカの国」では日本のあらゆるバカがやり玉に挙げられている。今、手元に本がないのでうろ覚えだが「自分の食べたものをブログにアップするバカ」があった。かなり痛快な罵倒で面白く読んだ。書くことがなくなると自分の食べたものを毎日載せるようになる、確かにそういったブログは少なくない。でも自分は百田さんがバカと罵倒するほどのこともないと思っている。

樋口一葉は日記に日々の食事内容を書いている。彼女が1年の間にタンパク質を摂ったのは2回だけ、それも鮒の煮つけかなんかだったらしい。5千円札の顔になるよりその頃に5円のお金があったほうがずっと嬉しかったに違いない。現在の毎食ブログも百年くらい経ったら価値を生むかもしれない。それに人の食べたものに興味がなければ読まなければいいだけのこと。読まなきゃいい、はどんなブログにも言える。


■サヴァランの美味礼賛
世の中にあまたある料理随筆の中で、フランスの政治家で美食家のジャン・アンテルㇺ・ブリヤ・サヴァランの著した「美味礼賛」はよく知られている。フランス料理など食べたこともない20歳の頃に読んだ覚えがある。この本の原題は「味覚の生理学、或いは、超越的美食学をめぐる瞑想録;文科学の会員である一教授によりパリの食通たちに捧げられる理論的、歴史的、時事的著述」というものだ。著者名も長いが題名も長い。
内容はグルメガイドブック、料理の紹介というより、むしろ食事にまつわる事柄について哲学的考察を進めてゆく随筆であって、かなり読み応えがあった。


サヴァランのよく知られている名言に「君が何を食べるか言ってみたまえ。君が何者であるかを言い当てよう」がある。食べているものでその人の人となりがわかるという意味だ。日本でいえば文化文政のころに書かれた本だから、食事で階級が知れるということではないか。でもこの名言を敷衍してその国の食事が国民の性格を形作るといった解説もある。

 

■疫病収束の秘密
6月17付ヤフーニュースに英国在住のジャーナリスト、谷本真由美さんの「コロナショックで日本食に群がるイギリス人…世界で見えはじめた“日本爆上げ時代”到来の予兆」があった。記事によると、新型コロナウイルスが依然として猛威をふるうなか、「アフターコロナ」を見据えた欧州では、なぜか日本の評価が爆上がりしているという。


武漢肺炎以後、世界的に健康重視の風潮が高まっているのは確かである。その中で日本人は健康長寿、ウィルスの抑え込みにも成功した。その秘密はなにか。


「すでにイギリスでは、激安スーパーでも高級スーパーでも日本食用の食材がバカ売れしています。 日本人=コロナで死んでない=健康だからにちがいない=多分日本食を食べているから健康なんだ=カツカレーとラーメンを食べれば死なない! ――というような突き抜けた思考回路になっている人もいるのです」。


納豆と米で日本人の遺伝子が形作られたという学者もいることだから、欧米人も是非、日本食を食べ続けてほしい。サヴァランなら「納豆と米を食べている?なるほど、それだからあなたは民度が高いのですね」と言ってくれるだろう。

食物で性格や精神が変わるかどうかわからない。でも食物と健康には密接な関係がある。数多ある我が同胞の毎食ブログを分析すれば健康長寿への示唆が得られると思うが、そういった研究をする欧米の学者はいるかしら。

 

繰り返しの話ですみません

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靖国神社に行った。

 

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本殿、人はまばら

 

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遊就館左庭にあるパール判事の浮彫

 

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パール判事の東京裁判に関しての言葉

 

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疫病退散のお礼参りに品川神社

 

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慶安元年建立の鳥居、品川区で一番古い。本殿は修理中。

 

 


繰り返しの話ですみません

  

■アベノマスクを使用中

東京はだんだん暑くなってきた。日中30度を越えて熱中症への警戒が呼び掛けられる日もある。年配者にとってマスクは健康によくないという。確かに息苦しい。というより、マスクの内側に汗をかいてしまうので不快である。マスクを外して鼻の下や口の周りをタオルで拭う。

ニュースを見ると閣僚、官僚は、不織布製とみられる幅広のマスクを着用しているが、安倍首相だけは小ぶりの「アベノマスク」をつけておられる。吉村大阪府知事には「吉村、寝ろ」、「吉村、休め」という声がかかったが、安倍首相は、残業手当、休日手当などもなく、普通の会社ならもう定年の年齢というのに、ここ4カ月以上、休みなしで働いている。それなのに首相をねぎらう言葉はなく、「安倍、やめろ」の誹謗中傷ばかり。体力も精神力もタフな人だと思う。その安倍さんがあのマスクで頑張っておられる。自分も洗濯を繰り返しながら「アベノマスク」を着用している。

友人にも街を歩く人もアベノマスクを使用している人は殆どいない。このマスクはガーゼ4層、しっかり作ってあるので、着用すると息苦しく、クーラーのきいているところでなければかなりの苦痛を伴う。そのたびに「安倍さん、お国のために頑張ってください」と心の中でエールを送る。

 

■称賛の的、安倍首相

何故、安倍さんを貶すのか。友人、知人と話していてわかったことは、テレビや新聞が安倍批判をするからだと気が付いた。皆、マスコミのオウム返しだ。今回の武漢肺炎抑え込みに関して世界から日本は称賛を浴びている。異論はあると思うが政治は結果だから、日本政府の対策が良かったといっても間違いではない。でも、マスコミは、マスク配布は税金の無駄だった、配るのが遅い、給付金の入金が遅い、様々な不手際を挙げて政府を非難している。

マスクを配布したら途中で盗まれる、その前に横流しされる国はゴマンとある。その中で全世帯にマスクを配布し、国民に等しく10万円を給付した国はない。住民票を持つ外国人にも給付金が配布されたことは世界中を驚かせた。俺も日本に住みたいという外人が激増しているという。海外が日本の防疫対策、景気浮揚策をどう評価しているのかをマスコミは正確に報道してもらいたい。6カ月、いや3カ月でもいいから正しく安倍政権の実態を報道すれば、支持率は劇的に上昇すると言われている。これも一般国民の定見のなさを見下した話と思うけれど。

 

横田滋さんの逝去

横田滋さんがお亡くなりになった。以前も書いているが、大学の1年先輩に横田滋さんの弟さん、つまりめぐみさんの叔父さんにあたる人がいて、かなり以前から拉致問題に関心を持っていた。横田夫妻は日本が拉致被害者を取り返しに行ける国になってください、憲法の改正を1日も早くお願いしますと訴えていた。

如何に精強な陸自の特殊部隊といえども憲法の制約の下では拉致被害者の奪還はできない。憲法改正により、海外でも戦える国になることによって北朝鮮は初めて交渉に応じる。力なき正義は無力であり、無力であるが故に正義なき暴力による国家的犯罪、拉致を糾すことができない。家族会はこのことをよく理解しておられた。

もちろん、安倍首相も憲法改正には並々ならぬ意欲を持っておられるが、それを阻むのは野党と与党の一部であり、地上波、新聞を主とするマスコミである。憲法改正により日本が普通の国になることを危惧している国の筆頭は中国である。

 

憲法改正

尖閣列島では中国の公船が60日以上、日本の排他的経済水域、領海内に侵入し、日本漁船を追い回している。日本の船舶が中国領海内に入ったら撃沈される。インドネシアやアルゼンチンでは領海に侵入した中国漁船が海軍によって撃沈されている。これが国際常識だ。中国にとって、尖閣、沖縄を奪取するには日本の自衛権を抑えておきたい。憲法改正はもってのほかだ。

各国の武漢肺炎対策を念頭に安倍首相は「非常事態」に関する憲法改正論議を野党に呼び掛けたが、一顧だにされなかった。安倍首相は6月18日の首相会見で、憲法調査会の開催にも応じないということはどういうことか、と珍しく怒りをあらわにした。

日本は民度が高く、別に強制力がなくても武漢肺炎を抑え込むことができた、だから憲法をあえて改正する必要はない、こんな意見が出てくるような気がする。

でもあなたのお子さん、ご兄弟が無法に拉致され、犯人もわかっているとしても何も手出しできない、こんな国でいいのでしょうか、この拉致被害者家族会の訴えにはどう答えるのだろう。