チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

断捨離

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チェンライ花祭りから

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断捨離


■捨てる
小学生の時から30歳で家を出るまで、今の家に住んでいた。自分の部屋は長らくそのままになっていたので、押し入れの戸袋には古い手紙や書類が詰まっていた。

飛ぶ鳥、跡を濁さずではないが、自分もそろそろ身辺整理を始めるべき年齢だ。なんだ、こんなもの残しておったんか、などと息子たちに言われたく無いので、不要なものを整理することにした。チェンライに戻れないのだから時間はある。

60になった時、もうこれらの本を読み返す元気も時間もないと思い、何度も有価物置き場を往復して本をすべて処分した。もともと着るものには無頓着だったので、衣服の始末も簡単だった。でもまだ捨てるものがある。どういうわけか、学生時代からのパスポートが全部そろっていた。出入国のスタンプを押すページが足りなくなって増補した旅券もある。この頃は海外出張が多かったな、などと追憶に耽っているといくら時間があっても足りない。旅券の写真がだんだん老けてくる。こんなに年寄りじみた写真で、と当時は思ったものだが、今見ると若々しい。タイに戻ったら、ホレ、昔はこんな顔だったんよ、とお手伝いさんを笑わせてやろうと、写真だけ切り抜いて旅券はすべて破棄した。

中学生3年から高校にかけて書いていた日記が出てきた。昔から字が汚くてそれだけでも読む気がしないし、自分でも恥ずかしくなるほど稚拙なことが書かれている。今に至っても稚拙な文章を書いているが字がきれいなだけブログの方がましである。「悪筆のさほど困らぬ職を持ち」の人生であったが、タイピストや写植のお姉さんに頼まなくても文書が書ける時代が来るとは思わなかった。

日記は50年以上経って紙質が劣化しており、かなりの厚さのページを難なく破ることができた。これで恥多きわが人生の一部は闇に葬られた、ということになる。

 

■感傷に耽る暇はない
その次は手紙だ。以前に処分したつもりであったが、それでも大きな菓子箱に一杯残っていた。40年以上前に亡くなった父からの手紙もあった。明治生まれの父は自分と違って端正な字を書いた。家族の消息を伝える何気ない内容でも元海軍技術将校らしく、簡潔で無駄のない文章だ。それでも息子に対する控えめな愛情が伝わってくる。父は61歳で亡くなった。70歳を越えた息子が、50代の父の気持ちを推し量る。あまり話をすることはなかったが、やはりいい父親だったんだなあ、と感傷的になってしまった。

終活である。手紙を一つ一つ読んではいられない。読めばいくつもの思い出がよみがえってきて整理の手が鈍る。明日死ぬとしたら思い出など取るに足らぬこと、残された人のゴミ捨ての手間を少しでも省くことが肝要だ。ちと心が痛んだが、友人や家族の手紙を思い切って破いていった。これで菓子箱はからになり、思い出の一部も消去された。この自分が消去される日も近いのであるからそれで構わない。

 

■写真も処分
チェンライにも2,3軒、日本雑貨を扱う店がある。夜逃げをした家から洗いざらいかっさらってコンテナで運びこんだのではないかと思うくらい雑多な品が売られている。「先祖代々」と書かれた湯飲みもあれば、位牌の入った仏壇もある。痛ましく思ったのは幸せそうな家族写真のスタンドだった。岸辺のアルバムではないが、この家族はどうしているのだろう。日本でもゴミ置き場に古い写真が散らばっていたことがある。写真には霊が籠っているとは言わないが、心が乱れる。

写真もかなり家に残っている。もう亡くなった親戚や知人、自分の写真を処分した。叔父や祖母の写った写真を破くときは躊躇したけれど、もう知っている人もいない。それでも全部に手を掛けることは憚られ、整理は途中となっている。

 

■葬式の手はず

今回、帰国した折、息子、娘に、タイで客死することになっても葬式には来なくていいと言い渡した。ブアさんの修行していた寺の住職と仲良くなり、数年前にその寺のメンバーになった。メンバーフィーは10万B。誰でもメンバーになれるわけではないのは霞が関カンツリー倶楽部と同じ、住職のお眼鏡にかなう人物という条件が必要。メンバーは死期が迫るとお寺で面倒を見てくれ、葬式一切を執り行ってもらえる。遺骨は多分、メコン川に流してくれる。葬儀互助会のタイ版といえる。

息子たちは「行くよ、実父が死ぬと7日休みがもらえるんだ」と言っていた。エンディングノートには、葬式に来た子供には別途10万Bを支給し、北タイ観光をして帰るよう書いてある。これでいつ死んでも慌てることはない。待てよ、死んだら慌てることなどできないか。

 

 

 

 マスクと給付金

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台湾、故宮博物院

 

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独り占めで鑑賞できた。3月6日

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マスクと給付金


■マスク到着

4月28日に厚生労働省からマスクが2枚届いた。洗って何度でも再利用可能というだけあって、しっかりした造りだ。お上からの下され物、有難く押し戴く。これでマスク不足に苦慮している医療施設、介護施設などに十分なマスクが行き渡るようになるかもしれない。

3月初めの来日時から日本全国でマスク不足が指摘されていた。トイレットペーパーが一時、スーパーから姿を消したが、国内メーカーには在庫があり、ほどなく品不足は解消した。それに引き換えマスクの供給不足は長く続いた。近所の商店街で「マスクあります」の店を見たのが4月の中旬、定価の10倍以上したと思う。それでも高齢者が買っていた。

その後、マスクを売る店は増えていき、値段も下がって1枚100円以下になっている。その矢先に、国から2枚のマスクが届いたわけで、この分だと5月に入ればマスクの投げ売りが始まるのではないかと思う。

世界におけるマスク生産量の85%は中国だ。日本や米国から進出したマスクメーカーも少なくない。あまり報道されていなかったが、中国には「国民総動員法」という法律があり、今回のマスク不足ではこの法律が発動され、中国内のマスク会社はすべて共産党支配下にはいった。日本のメーカーがマスクを輸出しようにもマスクは中国当局が接収してしまったので、日本に送ることができない。

 

■徴発と連動して買い占めも

そればかりかオーストラリアでも同様のことがあったと非難されているが、朝早くから中国人留学生が薬局の前に並び、マスクを買い占めた。マスク不足を加速させ、暴利を貪ろうという中国共産党と連動した動きだ。早朝から列に並んだ中国人も党中央の指令で動員されたのだろう。

こうして中国は、1~2月まで世界各国で約20億枚のマスクを買い占めると同時に、逆に欧州や南米などに対して、自国では使えそうもないマスクや検査キットなどの不良品や粗悪品を輸出して顰蹙を買っている。オランダが50万枚、カナダが100万枚、医療用の基準を満たしていないと中国に突き返した。実際にに病院で使い始めて、不良品が発見されたのだが、支払いをすませた後だった。

アフリカやアジア諸国にはマスクと抱き合わせで中国製品の購入を強要している。雨後の筍のように生じた中国のマスクメーカーの生産能力は4月下旬で日産1億1600万枚。日本のある議員のもとへ、「マスクが大量にあるんですが」と持ち掛けてきた業者があった。その議員はマスクの出所を聞いて、斡旋を断った。4月までは中国はマスク商売でかなりのドルを稼いだと思われるが、5月に入れば大量の在庫を抱えて行き詰るはずだ。2枚のマスクをアベノマスクと揶揄したり、有効利用しない人は、結果として中国を利することになる。

 

■10万円

4月30日に補正予算が成立し、10万円の特別定額給付金が5月中には給付される。自分も住民票があるからその恩恵に浴する。しかしながら安倍首相は「国民、一人一人に」と言ったのに、在外150万邦人には給付されない。海外に住んでいる日本人は国民じゃないのかよ、という不満を漏らすブログもある。

本来、給付、助成といったお金は本当に必要な人、例えば客が減って休業せざるをえないレストラン、ホテル、出演できないミュージシャン、俳優、或いはサッカー、野球を筆頭とするスポーツ関係者など収入が減った、或いはゼロの人に渡すべきだ。でもその人がどれだけ困っているか、いくら収入が減ったかをいちいち検証するのは大変だし、必ず不公平という不満が上がってくる。

自分は年金生活だから、収入に増減はない。でも今は非常時、GDPの穴埋めの一部としてすべての人に等しく給付金を配り、消費し、GDP押上に協力してもらう。それがまわりまわって経済を良くし、収入の途絶えた、若しくはは減った人に戻っていくという考えだ。したがって10万円は日本のGDP向上に寄与できる人に給付するが正解。

給付金を受領する人の中に300万人の外国籍の人がいるというが彼らも日本でお金を使えばGDP に寄与する。その意味では外人だろうが反社会的勢力だろうが10万円給付する、は正しい。例えばタイに住んでタイでお金を使う人に給付しても日本のGDPには寄与しない。でもタイの経済向上に寄与するという大局的見地に立てば日本国民として10万円の給付があってもいい。一部自民党議員の中に在外邦人にも等しく給付をという声があるし、まだ希望はある。

個人的には10万貰ったら趣旨に賛同し、まずは近くの寿司屋で散財しするつもりだ。

 

品川神社参拝 

 

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品川神社大鳥居

 

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石段、かなり急

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神社本殿

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絵馬

 

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絵馬2 

 

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板垣退助の墓


 

品川神社参拝 

 

■寺社数の比較

街を歩いていて、お寺や神社が多いことに気づいた。タイにいる間にお寺に参詣し、タンブン(お布施、徳を積む)をするようになった。タイ国内を旅行すれば、必ずと言っていいほど土地のお寺に詣でる。そういった生活を送ってきたから、宗教施設感度が高くなっていて、家の周りの神社仏閣が目につくようになったのかもしれない。

タイにいくつお寺があるかというと約4万、そのうち使われているお寺の数は33,902という。日本は、というと文化庁の宗教統計調査平成29年度によると、寺の数が77,256、それに神社の数が81,158、合わせて15万8千ほどの神社仏閣がある。人口差を考えても日本の方が多い。

多事多難の昨今、3密を守るくらいしかやることはない。でも体を動かさないと免疫力が落ちて肺炎にかかりやすくなる。たまたま、品川の神社、寺院ランキングを見ていたら「品川神社」が出てきた。かなり立派な神社らしい。まだ行ったことはない。我が家から12キロ、サイクリングに行くには格好の距離だ。

 

■心が浄められる

道に迷ってもう帰ろうかと思ったときに神社が見つかった。第一京浜旧東海道に面している。正面に石造りの大鳥居があって、右の柱には昇り龍が、左の柱には降り龍が彫り込まれている。かなりの迫力だ。この大鳥居をくぐって勾配のある石段を上る。石段は掃き清められていて、季節柄、何片かの桜の花びらが散っていた。本殿に近づくにつれて心が浄化されていくように感じる。石段を登り切って振り返ると北品川の街並みが見える。古くは海が見晴らせたのだろう。

品川神社平安時代末期の文治3年(1187)に、源頼朝安房国の洲崎明神(現・千葉県館山市鎮座 洲崎神社)の天比理乃咩命を当地に迎え、海上交通安全と祈願成就を祈ったのを創始とする。慶長5年(1600)、徳川家康関ヶ原の戦いへ出陣の際に参拝し戦勝を祈願し、その後、祈願成就の御礼として神輿などを奉納した。

タイの歴史は13世紀のスコタイ朝に始まる。スコタイ以前の神社だ。これだけでありがたみが増す。時節柄、広い境内にはほとんど人がいない。近所の人であろうか、親子がやってきて参拝している。まだ小学生だが、作法通り手水で清め、二拝二拍手一礼で本殿に詣でていた。こうして伝統は続いていくのか。

自分もお賽銭を上げて冠状病毒退散を祈願した。本来、神社では神様にお願い事をしてはいけないのだそうだ。これまで無事に過ごしてまいりました、の感謝とこれからもお見守り下さい、と自分の誓いを述べる。

神社には絵馬が上がっている。そのうちの一つ、小学4年生の男の子の絵馬、「4教科で100点を取ります。よろしくお見守り下さい」。これが正しいの参拝の仕方なのだろう。

 

板垣退助の墓

神社境内の一角に小さな墓地があり、2基の大きな墓があった。板垣退助と令室の墓だ。ここは寺の敷地だったが関東大震災で寺が移転した後、墓だけが残されたという。墓の右手には「板垣死すとも自由は死せず」と刻まれた石碑がある。文字は佐藤栄作の揮毫による。板垣が1881年に創設した政党、「自由党」が時代を経て現在の自由民主党になっている。その縁だろうか。

大学でR先生の「江戸政治史」の講義を受けた。板垣が暴漢をハッタと見据え、「板垣死すとも自由は死せず」と叫んだ、はウソ、当時の記録を見ると、こけつまろびつ、舞台のそでに逃げ込んだ、事件の後、書生が「先生が亡くなっても・・・」と言ったコメントを当時の新聞記者が書き飛ばしたのが真相だそうだ。怪我した板垣を最初に診たのが後藤新平、後藤は傷を一目見るなり「しんぺえねえ」。学生たちがわっと笑ったあと、先生は「板垣は学校を作ればよかったんですよ」と呟かれた。

同時代の大隈重信は早稲田を、新島襄同志社を建てた。慶応義塾は言うまでもない。板垣は土佐に立志社という政治団体を持っていたが、やはり土佐あたりで学生が集まる見込みがなかったのだろうか。

思いがけず板垣退助の墓を発見したおかげで半世紀以上前の講義を思い出した。自分としてはめづらしく全授業に出て、一生懸命ノートを取った。エピソードなども記録したと思う。漫才芸人のネタ帳ではないが、あのノートが手許にあれば、ブログになに書こうかなあ、などと悩まないですんだかもしれない。よく書けているというので、同級生や後輩に借りられているうちにノートは行方不明になってしまった。

ああ、貸したノートと青春は戻らない。

街を歩いて気が付いた

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街を歩いて気が付いた

 

■チェンライより自由
緊急事態宣言が出て以来、ほとんど電車には乗っていない。人と会う約束がないし、映画館など行きたいところは休業しているからである。タイでは毎日、テニスをしていたのだから暇で仕方ないでしょう、と言ってくれる友人がいる。確かにテニスはできないが、1日1回は外出しているし、テレビはないものの、友人が紹介してくれたユーチューブをみたり、ニュース解説を視聴してストレスなく暮らしている。家事も忙しい。

チェンライは夜間外出禁止、酒類販売停止、県外は勿論、県内でも郊外に移動できない。レストラン、バー、理髪店、マッサージ等はほぼ休業、テニスコートも閉鎖されたままだ。国際便の乗り入れは禁止されているし、ミャンマーラオスなど隣国の国境は封鎖されている。何せ、独裁国だからやることが早い。でもそのおかげかタイでは感染者数、死亡者は減っているし、チェンライ県ではとうとう感染者ゼロとなった。やはり人との接触を制限することが感染拡大防止には効果があるようだ。

タイではまだ5人以上の集会、宴会は禁止だと思う。でも10年もタイに暮らしているとどこか抜け道があるのではないかと疑ってしまう。タイでは以前から酒類の販売時間は午前11時から午後2時まで、それから夕方5時から11時までの制限があるが、小さな商店ではいつでもビールが買えたから、酒類の販売全面販売停止と言ってもどこかで手に入るし、バーも、モグリでやっているような気がする。ただし、時として警察の手入れがある。ルールはあっても徹底していない、が中進国の特徴だ。


■外人化
外国人が日本に来て吃驚したこと、感動したことを紹介するユーチューブが上がっている。チェンライで見ていた時は、へー、そんなもんかなあ、と思っていたが、今、同じように吃驚したり、感動している自分に気づく。

まず、街が清潔、ゴミ箱がなくてもゴミが落ちていない。住宅街を歩くと、玄関先にはよく手入れされた花壇があり、センス良く植栽されている。歩く人はこざっぱりとしたた服装で特に子供はかわいらしい。お母さんお手製のマスクをした幼女を見ると心が和む。大体、惨めっぽい風体の人を見かけない。強いてあげれば、このところ着た切り雀の自分くらいだ。

緊急事態宣言発令下であるが、商店街には人が歩いているし、スーパーも少し間をあけてレジに行列ができている。でも繁華街への人出は強制力がなくても7,8割減だという。人に迷惑を掛けてはいけないという思いやりの気持ちの表れ、これが日本人の民度というものか。


■タイの犬、日本の犬
チェンライの犬は首輪もなく、放し飼いが普通、お寺にはタンブンの余ったご飯があるからかなりの数の野良犬が住み着いている。昼はだらだらと寝ているが日暮れになると狂暴化する。どーしようもない雑種犬がタイにはびこっている。時折、噛みつくから外人からよく苦情がでる。何人かの邦人はも噛みつかれた後、狂犬病の予防注射を打ちに行っている。

さて、いま日本では不要不急の外出は・・・と言っても愛犬家にとっては犬の散歩は必須。外を出歩くと犬を連れた人と良くすれ違う。トイプードル、ポメラニアンダックスフンド、柴犬などの小型犬が大半で、それも血統書付きと思われる生まれの確かなお犬様とお見受けする。さらにその犬が、今さっきトリミングサロンから出てきたのではないかと思うくらい清潔で毛並みが美しい。

タイに行ってから10年、その間にこのあたりではタイのような小汚い雑種犬は淘汰されてしまったのだろうか。

 

■喫茶店が増えた
3月に高田馬場で友人と待ち合わせた。時間を間違えて1時間早く着いたので、駅の周りを歩いてみた。チェーン店のレストランと並んで、喫茶店、カフェが目についた。喫茶店は30-40年前に比べれば少なくなったというが、最近は盛り返しているのだろうか。友人も確かに喫茶店が増えたなあという。2018年の帝国データバンクの調査によると喫茶店、カフェの売上高は2013年の4871億円から2017年の6415億円と順調に増大している。最近は焙煎法、抽出法の違いを前面に出した高品質珈琲に人気が集まっているとのこと。

我が家の近くの戸越銀座商店街にも喫茶店がある。珈琲チェーンは日本に29もあってしのぎを削っているそうであるが、商店街には昔ながらの喫茶店も健在だ。スタバは店内利用を禁止したが、その分、喫茶店には人が入っている。こんな時期だからこそおしゃべりくらいしなければ・・・。下町庶民の心意気ということだろうか。

 

武漢肺炎より怖い

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故宮南院

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武漢肺炎より怖い

 

■映画館まとめ

映画館は3密の最たるものと思われがちである。でも帰国した3月は、武漢肺炎の緊張感が高まりつつあるところであったから、映画館は空いていた。品川のシネマジョイでは200-300席の座席のうち、埋まっているのは10席くらい、映画が終了して後は振り返ってみたら3,4人しかいないことがあった。映画館は空調が効いているし、3列に1名しか観客がいないし、そもそも映画を見ながらしゃべる人はいないのだから、電車に乗ったり、スーパーで買い物をする方がずっと感染の可能性が高い。

 

飯田橋にあるギンレイホールは200席ほどの小さな名画座である。2本立てで1000円、支配人は女性という。映画ファンの心をつかむ作品上映を心がけていて、支配人の心意気を感じる。

飯田橋駅を降りて靖国神社方面に富士見坂を上って高校に通っていた。半世紀以上前のことだ。帰りは飯田橋の駅からそのまま帰宅。あの頃、飯田橋外堀通りに面して佳作座という映画館があった。3本立てだったような気がする。佳作座がギンレイホールになったのかと思っていたが、ギンレイホールは1974年にスタート、佳作座は1988年に閉館、2館並立していた時期があったようだ。

高校の中間、期末テストが終わると、佳作座には我が校の生徒が沢山居たという。自分は硬派というか融通の利かない少年だったので、神楽坂方面に行く高校生は不良だと思っていた。同級生がパチンコをしていて、隣のおっさんが「さっぱり出ねえなあ」とつぶやくので顔を見てみたら我が校の数学教師だった、などという話を苦々しく聞いていた。

神楽坂に行かなかったのは自分が不良を嫌っていたというより、多分、喫茶店や映画に行く金がなかったのだと思う。かといって親にせびるとかバイトをするという考えがなかったのは不思議である。

ギンレイホールは熟年を中心に2割ほどの入りだった。帰国後行った映画館の中では一番混んでいる。自分の3席左に座った老人はB6ほどの大きさのノートにものすごい速さでペンを走らせていた。休憩時間になるとホカ弁を取り出して2,3分で食べ終えると、またノートに大きな字を書き連ねる。長髪、ジャンパー、もしかして名のある映画評論家なのかもしれない。

ギンレイホールは老夫婦割引がある。左隅の2席に老夫婦がいて、少し手が不自由なご亭主に奥さんが飲み物を勧めている。いたわりあって、趣味の映画を見に来ているのだなあ、と心温まる思いがした。パソコンで鑑賞するのと違って、映画館には映画ファンの人生が垣間見えるようで、これも映画館に行く楽しみの一つと言える。

 

■正しく怖がる

年金老人のささやかな楽しみは、映画館休館という形で絶たれてしまった。行くところがないということはつらい。まとまった休みが取れれば、それ、旅行ということになるが、今は東京人が地方に行くとバイキンマンが来たかのように嫌われる。自分もPCの前で大人しくしている。

正しく怖がれ、というが武漢肺炎で亡くなった方は200人でしょう。それも60歳以上の人が全体の4分の3を占める。この際、老人に限り、映画館を開放してはどうか。老人が死ぬのは順番だから仕方ないし、年金の支出も、それから朝日新聞の購読者も減る。

北大の先生が武漢肺炎で国内で約85万人が重篤になるとの試算を公表した。うち約42万人が死亡する恐れがあるという。でもこれは何も対策を取らない場合、という前提だ。映画館は閉まっているし、飲み屋、イベント、プロ野球は開催の見込みが立っていない。国民ができる範囲で対策を取っているのに「何も対策を取らない場合」の試算など発表して何の意味があるのか。ただ単に怖がれ、ということか。


武漢肺炎で死ぬ確率

今、一人暮らしである。咳も熱もない。でも風呂に入るときは注意している。浴槽内での溺死は2016年のデータで5632人。その85%が70歳以上の高齢者、70%以上が家庭内の風呂だ。野村監督の溺死も記憶に新しい。熱中症でも年間1000人は死ぬ。白血病では年間8000人ほど亡くなる。もう撲滅されたと言われる結核でも年間1700人ほど亡くなっている。

福島第2原発では放射能で死んだ人はいないが災害関連死は657人に上る。政府は経済対策を打ち出しているが、失業率と自殺者数には相関関係がある。不況による自殺者増加も心配だ。ここ数年、2万人台に落ちていた自殺者数は、過去のデータから3万人以上に跳ね上がるとみられている。武漢肺炎より恐れるべきことはいくらでもある。

 

映画は映画館で2

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故宮南院の展示物から

 

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映画は映画館で2


■評価を参考にして
大きな映画館のHPには上映予定、短い解説、それにファンの5段階による評価が載っている。評価が4点以上であればまず傑作。3点の後半であれば「佳作」の部類になる。これはかなり参考になるので評価点数だけ見てその映画を観にいくこともある。ただ、人には好みがあるから、点数が高くてもなんだかなあ、といった映画がある。映画を見て深く人生を考えるという人もいれば、明るい恋愛喜劇、痛快なアクション映画が好きという人もいる。

自分は貧乏を主題にした映画は好きではない。「パラサイト、半地下の家族」、「ジョーカー」は国際賞受賞作品で傑作と言われるが、それほど楽しめなかった。貧乏が故の差別、憤り、惨めさ、絶望感、こういった暗い面を突き付けられると気分が落ち込む。
「パラサイト」は高評価4.0のブラックコメディである。半地下の安アパートに住む夫婦、息子、娘の4人家族、全員無職、それが息子がある金持ちの家に家庭教師にもぐりこんだことを契機に全員がその家の使用人になる。
でも金持ちは金持ち、貧乏人はどうしても貧乏人の現実の果てに惨劇が起きる。息子はいつか自分も金持ちになって、と思うところで映画は終わる。

「パラサイト」はパルムドール賞、アカデミー賞を受賞し、韓国民はこの快挙に一時沸いたが、大韓航空の国際便の機内で上映される映画には採用されなかった。ある意味で韓国の恥部をさらけ出している。高卒の給料は大卒の半分、中卒の給料は高卒の半分と聞いたことがある。大卒でも有名大学でなければ就職もおぼつかない。貧乏に生まれればまず這い上がれない。コメディではあるが観た後、救いのない韓国社会を思って気が滅入ってしまった。

 

■途中退席すればよかった
「ジョーカー」はベネツィア国際映画祭で金獅子賞、アカデミー賞の主演男優賞などをを受賞している。評価は4.1だったと思う。でも自分には何故これが面白いの、と思うほど暗い映画だった。

精神的な問題や貧困に苦しみながらも、コメディアンを目指している道化師、アーサー・不レック。認知症気味の母の面倒を見る心優しい男だったが、自身の辛い境遇から精神のバランスを崩し、次第に常軌を逸した行動を取っていく。感情が高ぶると、自分の意思に関係なく突然笑いだしてしまう病気を患っており、また妄想と現実の区別もつかなくなってきている。職を失い、はずみで3人の青年を射殺し、果ては認知症の母、憧れていた人気トーク番組の司会者も殺してしまう。

あまりにも暗い映画なので、ユーチューブのように先送りのボタンがないかと思ったくらいだ。途中退席しようかという気持ちを抑えて観ていたが最後まで救いはなかった。


■無実を晴らす
「黒い司法、0%からの奇跡」、「リチャード・ジュエル」の2本は、実話に基づいた法廷モノ、どうやって冤罪を晴らすか。米国の司法、検察の闇がよく理解できる。この手の映画は善玉、悪玉がはっきりしていて、最後は無実が証明され、やはり正義は勝つ、という筋だから安心してみていられる。両方とも評価は4まではなかったが、前2作に比べれば格段に楽しめた。

「黒い司法」は冤罪の死刑囚たちのために奮闘する弁護士ブライアン・スティーブンソンの実話をマイケル・B・ジョーダン主演で映画化したヒューマンドラマ。黒人への差別が根強い1980年代の米アラバマ州。犯してもいない罪で死刑宣告された黒人の被告人ウォルターを助けるため、新人弁護士のブライアンが立ち上がるが、仕組まれた証言や白人の陪審員たち、証人や弁護士たちへの脅迫など、数々の困難に直面する。アラバマ物語の黒人差別は1980年代でも全く変わっていないことにも驚かされる。


■マイケルとなおみちゃん
と、書いてきて、マイケル・B・ジョーダンと言えば、大坂なおみ選手だ。彼女は女子テニス全米オープンで優勝した直後、人気番組「エレンの部屋」に出演した。「好きなセレブは誰なの?」。最初は照れて答えなかった大坂選手もエレンにしつこく問いつめられて、俳優のマイケル・B・ジョーダンだと告白!。

エレンは即座にセルフィーをマイケルに送付。するとこれにマイケル本人がビデオメッセージでリプライ。「君に愛と応援とおめでとうという言葉を伝えたかったんだ。君の態度はとても謙虚で品位があった。見ていてとても素晴らしいと思った。これからも頑張って。みんな見守ってるよ。……僕もね」照れまくるなおみちゃんも可愛かったが、マイケルの返信もいい。二人はデートすると言われていたがどうなったのか。

話が逸れて「リチャード・ジュエル」に言及する字数が尽きてしまった。

映画は映画館で

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故宮博物院の仏像から

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映画は映画館で

 

■銀幕派

映画が好きである。3月の中旬に東京にやってきて4月にかけて8本の映画を見た。題名を順にあげれば、「フクシマフィフティ」、「パラサイト、半地下の家族」、「黒い司法、0%からの奇跡」、[ボヘミアン・ラプソディ」」、「リチャード・ジュエル」、「ジョーカー」、「テルアビブ・オン・ファイア」、「ロングショット 僕と彼女のありえない恋」の8本である。最初の4本は品川のTジョイPrinnceで、あとの4本は目黒シネマ、それに飯田橋ギンレイホールの2本立てで見た。

 

映画ファンの中にはDVDやネットで片端から映画をはしごするという人もいれば、わざわざ映画館へ足を運んで映画鑑賞を行うといういわゆる「銀幕派」もいる。もちろん自分は銀幕派だ。タイなら封切館で200円ほどで見ることができるが、日本なら字幕があるから安心だ。シニア料金1200円であるが、日本で見る映画に支払うお金は決して惜しくない。

予告編や「結婚指輪は月収の3倍が目安です」といったCMが終わり、画面が左右に広がってさあ、これから映画が始まるぞ、と言った瞬間が好きだ。

ボヘミアの平原を渡る風の音、かすかな吐息、木の葉にあたる雨音、遠い汽笛、夜のしじま、満天の星・・・。映画館の暗い空間は、スクリーンの中の世界に観客をそっと包み込む。体で感じるような大きな衝撃音だけでなく、かすかな音の再現性、そこから生まれる緊張感。やはり映画は、暗がりのシートに身を潜めて、スクリーンの世界と一体となれる映画館で観るに限る。

 

ボヘミアン・ラプソディ

映画の良さの一つに、登場人物に共感し、感情移入して同じ人生の一コマを共有できることがある。自分のようにごく平凡な人生を送った人間でも、無実の罪で死刑囚になった人の気持ちとか、スーパースターの苦悩を疑似体験できる。

ボヘミアン・ラプソディは伝説のロックバンド、クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーが主人公の映画だ。まだ自分が若手社員だったころ、おそらく1980年代前半だと思うが英会話教師がクイーンの雑誌記事をもとに、熱くこのロックバンドを語っていたことを思い出す。映画の中では聞いたことのある曲が流れていたが、それほど興味を持って聞いていたわけではない。

フレディ・マーキュリーバイセクシュアルで1991年に45歳でHIVによる肺炎で亡くなっている。映画の中で、彼が男性とベロチューを交わす場面があって、思わず顔をそむけた。LGBTとまっすぐに向き合っているということもこの映画の評価を高めているという。LGBTに寛容なタイに長く暮らしているが、やはり男同士のキスにはついていけない。クイーンは1985年、20世紀最大のチャリティコンサート、「ライブエイド」に出演した。10万の観衆を熱狂させたこのライブシーンがこの映画のクライマックスとなっている。全世界が熱狂!感涙!喝采!魂に響くラスト21分!と解説にはある。

映画鑑賞後、ユーチューブでライブエイドの実写を何度も見たが、舞台を駆け回るマーキュリーが何となくホモっぽくて、なんだかなあ、という気になった。偏見があり、それよりまず、それほどロックが好きでない、ということだろう。

 

■人それぞれ

音楽ジャーナリスト、アマンダ・ペトルージックの映画評から。

クイーンが嫌いな層というのは確かに存在する。自己陶酔しすぎだし、押し付けがましいというのだ。ただ個人的には、そういう人たちは少しばかり社会から浮いているのではないかと思っている。

クイーンに対して否定的な意見をもつ人は、ヴォーカルのフレディ・マーキュリーについてあれこれ言いたがる。マーキュリーが卓越した歌唱力の持ち主であることは間違いないが、オリジナルメンバーの4人(マーキュリー、ギターのブライアン・メイ、ベースのジョン・ディーコン、ドラムのロジャー・テイラー)は、全員が非凡なミュージシャンだ。

アルバムはどれもドラマチックで過激で、夢中にならずにはいられない。1973年のデビューから1986年の最後のツアーまで、どの曲も聴くたびに、自分が生きていることがうれしくてたまらなくなる。クイーンのヒット曲を聴けば、いつでも即座にやる気が出てくるのだ。(引用終わり)

とはいえ自分も、マーキュリーが「ぼくは死にたくない、ときどき自分なんか生まれてこなければよかったと思う、ぼくがいなくなっても母さんはこのまま普通に暮らしてね」とボヘミアン・ラプソディを叫ぶように歌ったとき、なぜか胸が熱くなった。

 

映画鑑賞を楽しみにしていたのに、緊急事態宣言で東京の映画館が一斉に休館になってしまいました。